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関東大震災から100年、「帝都復興」の今を訪ねる

こんにちは。レスキューナウ危機管理情報センターの一柳です。

毎年9月1日は、関東大震災が由来となった「防災の日」。そして今年は関東大震災の発生から100年目にあたります。

今回は私の趣味のひとつである「東京の都市計画史を訪ねる」という中で、「関東大震災後の復興事業で作られた、今も残るもの」に焦点をあて、当時の人達の復興に関する考え方や、また災害対策として今でも参考となる点を見ていきたいと思います。


関東大震災とはどのような災害だったか

関東大震災が災害の中でも特筆できるのは、明治以降に関東地方を襲った地震として、今に至るまで最大の被害をもたらした、という点です。特に現在の東京23区東部はほぼ全て火災で燃え尽くされてしまいました。

関東大震災の詳細な被害状況については、レスキューナウ危機管理情報センターのスタッフも分担して執筆に協力した「Yahoo! JAPAN天気・災害 災害カレンダー」のこちらのページをご覧下さい。
Yahoo! JAPAN天気・災害 災害カレンダー「関東大震災(1923年9月1日)」

震災後、政府は「帝都復興」と呼ばれる東京の再建を目指す事業を開始します。しかし、当初30億円とも40億円とも言われた壮大な計画は、最終的に5億円弱まで縮小されます。それでも、帝都復興事業は現在の東京を形作る成果を残しています。

では、帝都復興が残した成果を今の東京に探してみます。

清洲橋。震災から5年後の1928年に竣工しました。帝都復興事業で隅田川に架けられた橋の代表的存在で、重要文化財にも指定されています。

「橋」からみる帝都復興

まず紹介したいのは隅田川の橋です。
隅田川といえば、東京でも有名な観光地・浅草の東を流れる川で、水上バスに乗られた方も多いのではないでしょうか。水上バスからは次々に通る様々なデザインの橋を見上げることができ、このうち6つの橋が帝都復興事業として架けられたものです。架け替えられた相生橋を除く、永代橋、清洲橋、蔵前橋、駒形橋、言問橋は今も使われています。およそ100年前に建設された橋が、夜にはライトアップされ、観光にも欠かせない場所となっているのです。

もう一つ、帝都復興事業で架けられた隅田川の橋、蔵前橋の写真も。この橋はアーチが路面の下にある「上路式」で、竣工当時は「モダンな橋」と言われたそうです。川面に近いテラスに下りると、アーチの様子がよく分かります。

隅田川に架かる橋も惹かれるのですが、個人的に好きなのが神田川や小名木川など、隅田川に注ぐ支流に架かる橋。これらの川に架かる橋も、特に河口にある橋は、隅田川と同じく一つひとつに意匠を凝らしています。当時、水運は今よりも盛んで、隅田川やその支流を多くの船が行き交っていました。隅田川から見える、いわば支流の「門」となる河口部の橋は、ひとつずつデザインを変え、隅田川からどの支流なのかを一目で判別可能としました。単にデザインを凝っただけではなく、川の判別という実用性を持って建設されたのです。

柳橋。神田川が隅田川に注ぐ河口部に架けられています。現地の説明板には「支流河口部の第一橋梁には船頭の帰港の便を考えて各々デザインを変化させる工夫をしています」と記されています。この橋も中央区民文化財に指定されています。

横網町公園に見る関東大震災の反省と教訓

隅田川を蔵前橋から東に向かうと、南側に都立横網町公園があります。ここは関東大震災でもっとも大きな被害が出た本所被服廠跡です。震災当時空き地だった場所へ避難した多くの人たちが、ここで火災に巻き込まれ命を落としたのでした。

横網町公園と東京都慰霊堂。震災後、多くの犠牲者を出したこの地に慰霊の場として震災記念堂が建てられ、戦後に空襲で犠牲となった人々の慰霊も兼ねる東京都慰霊堂となりました。なお、園内には復興記念館も置かれ、当時の遺品や復興の様子が展示されています。関東大震災の被害と復興について知りたければ、まずはこの公園へ!

もともとこの土地は震災前から公園の予定地でしたが、被害を受けてこの公園に震災記念堂(現在の東京都慰霊堂)と、復興記念館が建設されました。
帝都復興事業では、この横網町公園のような中小の公園だけでなく、錦糸公園、隅田公園、浜町公園といった大規模な公園も火災の延焼を食い止める意味や復興のシンボルとして整備されました。現在でも例えば隅田公園は春には桜の花見の場所として親しまれています。

「下町」の地図に描かれる街並みと帝都復興事業

続いて、隅田川の東側の街並みに目を向けましょう。

菊川駅周辺の地図。道路が南北に整然と走り、学校や公園が配置されています。よく見ると、2つある小学校の隣に同名の公園も置かれています。今当たり前に見ている風景は、帝都復興事業によって生み出された街並みなんですね。

この写真は、墨田区の菊川駅周辺の地図です。道路がきちんと四角に伸びていて、地下鉄が走るような大通り、その大通りを補助する少し狭い通り…と整然と並んでいます。そして小学校や公園が等間隔に分散して、かつ隣り合って配置されています。

このような街並みが東京23区(震災当時の東京市)東側の墨田区の南部や江東区、江戸川区に広がっています。実は、今では当たり前のように使われているこうした道路網、学校、公園といったものの配置も、帝都復興事業による区画整理で生み出されたものです。

防災を考慮して建設された学校はいま

では、もう少し公園と学校といったものの配置に近づいて見てみましょう。向かうのは中央区の旧十思小学校と十思公園です。

旧中央区立十思小学校の校舎。円形の玄関に最上階のアーチの窓、並ぶ丸い柱が印象的です。右手奥の緑が、小学校に隣接する十思公園。現在は中央区の施設「十思スクエア」となり、福祉施設やホール、銭湯が入居しています。

帝都復興事業では、地域の公園と小学校を極力一体として各地に配置されました。これは、小学校の教育や、災害時の避難先として学校と公園をセットで活用しよう、という発想からです。十思小学校は既に統合されて廃校となっていますが、当時の校舎と、隣に配置された公園という形が今も残っています。先に挙げた菊川駅周辺の地図でも、小学校と公園が隣接している様子が読み取れます。

十思公園。現在は小学校の校庭部分に十思スクエアの別館が建てられ、やや空間的に狭まった印象がありますが、区民が利用する施設に隣り合う公園として、現在も建設当初の考え方が生かされている場です。

十思小学校をはじめ、復興小学校と呼ばれる帝都復興事業で建設された校舎は、火災に強い鉄筋コンクリート造で、当時は珍しい水洗トイレまで備える近代的な建物が建設されました。単に小学校を再建するだけでなく、次の災害への備えや、新しい衛生概念を子どもたちに伝える役割も込めて、新しい校舎が建設されたのでした。
もちろんデザインも美しく、旧十思小学校の校舎は東京都選定歴史的建造物に指定され、学校が統合された現在も地域住民が利用する公共施設として活用されています。

愛宕神社や放送博物館がある愛宕山の下を通り抜ける愛宕トンネル。改修が行われていますが、トンネルポータル部分は開通当初から変わらないそうです。

東京23区全体や横浜にも広がった復興事業

ここまで東京の下町を中心に帝都復興事業の成果とその今の姿を見てきました。しかし、帝都復興事業は下町に留まりません。当時の東京市全体、つまり現在の東京23区の西側や、横浜市でも実施されました。東京23区内では靖国通り(当時は大正通り)や昭和通りなどの大通りや、港区愛宕山の下を通る愛宕トンネルもその一環として建設されています。

横浜港に面した山下公園。当時多かった居留地に暮らす外国人の散策の場を意図して建設されました。今では横浜で最も有名な観光名所といえるこの公園は、帝都復興事業によってもたらされた大きな財産です。

東京と比べ若干規模は小さくなりますが、横浜市でも区画整理などよって道路網が整備され、公園の整備も進められました。今でも有名な観光地となっている海岸沿いの山下公園や、横浜市民に親しまれる動物園がある野毛山公園も、帝都復興事業によって生み出された場所でした。
横浜で育った私自身、小さな子どもの頃は何度か野毛山公園に遊びに行った記憶があります。いわば、復興の成果の場で遊んでいた訳です。

山下公園の一角にあるインド水塔。関東大震災の際、横浜市が外国商人に対して行った救済措置の返礼として、横浜を拠点としたインド人商人の組合から寄贈されました。この水塔の存在が、関東大震災からの復興の場としての山下公園を物語ってるように思えます。

おわりに

駆け足ですが、関東大震災から100年を迎えるタイミングで、復興事業で整備されてきた街並みや施設を見て歩きました。関東大震災という大災害から復興する過程で生み出されてきた遺産は、防災施設としての意義をもって作られたこともさることながら、今でも用いられ、親しまれています。そして、街のシンボルやシビックプライドを生み出す源泉として機能しているのが分かります。
関東大震災から100年がたった今、直接的に見られる震災の痕跡は僅かですが、震災からの復興が成し遂げた成果を見て、災害への備えや、災害後の復旧そして復興について考える機会としてみてはいかがでしょうか。

野毛山公園からの眺め。現在はビルが立ち並んで見えませんが、以前は港まで見渡せました。いまこうして日々暮らす街並みが広がるのも、災害からの復興が行われたからこそですね。

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