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岐阜にある「震災関連施設」を見て感じたこと

こんにちは。株式会社レスキューナウの危機管理情報部で主に鉄道情報の配信を担当している村松です。

今回は、2月に岐阜県にある震災関連施設を見学してきましたので、皆さまに紹介したいと思います。

岐阜に震災関連施設?

ここ10年以上、岐阜県を震源にした震度5弱以上の地震はなく、「岐阜県にある震災関連施設」と言っても、ピンとこない方も多いと思います

しかし、岐阜県には1891年に発生した日本最大級の「内陸型地震」である「濃尾地震」の震源地があり、震災関連施設が現在もいくつか残っています。

今回は今から約130年前に発生した大地震の関連施設を、内陸型地震の特徴も交えて紹介できればと思います。

130年前の地震で甚大な被害を受けた岐阜市街

濃尾地震は1891(明治24)年10月28日06:37頃、岐阜県南西部の本巣群西根尾村(現在の本巣市根尾地区)を震源に発生しました。
マグニチュードは8.0、最大震度は7と推定されています。この地震の大きさは後年推定されたもので、当時の震度は「烈」や「強」といった表し方で、岐阜が「烈」の揺れを感じ、岐阜や名古屋の気象台にあった地震計は振り切れてしまったそうです。

この揺れで岐阜市にあった家屋は約62%が倒壊。朝食時の地震だったこともあり、火災が広がり、倒壊を免れた家に次々と延焼していきました。火災では市内のおよそ約35%の家屋が焼失。倒壊・焼失を合わせると岐阜市内はほぼ壊滅状態になったと言えます。

当時の岐阜市中心街は岐阜駅から約3km離れた、いまの岐阜公園周辺に広がっており、第二次世界大戦後に発展した中心市街地「柳ヶ瀬」は濃尾地震のころにはまだ市街の南端にありました。

根尾谷地震断層観察館に展示されていた濃尾地震の地震計記録。途中で針が振り切れてしまっている。

近代初の震災慰霊施設「濃尾震災紀念堂」

「柳ヶ瀬」のアーケード近くは、地震当時田畑の中にありました。地震の2年後、その田畑の中に震災慰霊施設ができます。それが「濃尾震災紀念堂」です。

施設の建設は地元選出の国会議員が発案し、建設資金は市内の財界人や全国各地からの寄付でまかなわれました。その後は幸いにして第2次世界大戦の空襲でも焼失することはなく、近代日本で初めて震災犠牲者を追悼する施設として、2006年には国の登録文化財に指定されています。

施設が建立されてから現在に至るまで、地震が発生した28日には毎月慰霊の法用が営まれると共に、防災や濃尾地震に関連する講演会が行われています。

岐阜のまちなかにひっそりと建つ「濃尾震災紀念堂」(訪ねた日は28日ではなかったので、中を見ることはできませんでした)

濃尾地震に代表される「内陸型地震」の特徴

濃尾地震の大きな特徴として、先述のとおり、「内陸型地震」として「日本最大級」であったことが挙げられます。

地震は大きく「海溝型」と「内陸型」に分けられます。「海溝型」の地震は「プレート」と呼ばれる岩盤の境界で発生する地震です。海側のプレートの沈み込みと共に陸側のプレートの端が沈み込み、その沈み込みが大きくなると反発し、地震が発生します。海溝型は揺れが大きくなりやすいのが特徴で、東日本大震災を引き起こした東北地方太平洋沖地震はこの「海溝型」の地震でした。

一方、内陸型地震は「直下型地震」あるいは「断層型地震」とも言われます。こちらは地中で岩の割れ目が壊れてずれることで起きる地震で、この割れ目が壊れてズレたものを「断層」といいます。ちなみに断層のうち、ここ数十万年以内にできたもので、今後も活動する可能性のある断層を「活断層」といいます。

そして、内陸型地震の特徴としては、震源が浅めで、局地的に激震をもたらすことが挙げられます。近年の内陸型地震で代表的なものは熊本地震や兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)で、どちらも震源が浅く、熊本地震は深さ約12km、兵庫県南部地震は深さ約16kmです。

また近年、東京のリスクとしてよく挙げられる「首都直下型地震」もこの「内陸型地震」が想定されています。ただ、内陸型地震は巨大地震にはなりづらく、概ねマグニチュード7クラスです。

それに対し、濃尾地震はマグニチュード8.0と非常に大きなものでした。地震の揺れは北は宮城県の仙台、西は九州全土にまで広がりました。

活断層の様々なタイプの模式図。濃尾地震は左横ずれ断層のタイプ 
出典:国土地理院ウェブサイト (https://www.gsi.go.jp/bousaichiri/explanation.html) 

地震を引き起こした断層を見にいく

この大規模な地震を起こした断層は、実は震源地の本巣市でいまも見ることができます。

断層がある場所へは岐阜駅からJRと樽見鉄道線を乗り継いで鉄道でアクセス可能です。樽見鉄道線の終点、樽見駅は樹齢1500年、日本三大巨桜の「薄墨桜」が有名で、桜のシーズンになると列車の増発が行われます。

樽見駅に停車中の樽見鉄道の車両

断層が見られる場所は樽見駅の隣、水鳥(みどり)駅から徒歩3分ほどの場所にある「根尾谷地震断層観察館」。樽見駅から歩いても30分ほどですので、「薄墨桜」を訪ねるついでに断層観察、というのもよさそうです。

根尾谷断層観察館

<施設データ>(2023年3月現在)
開館時間:9:00~16:00(4月のみ17:00まで)
休館日:月曜日
入館料:大人500円、高校生以下250円(地震体験館は別途200円)

根尾谷断層観察館 webページより

この施設の最大の特徴は濃尾地震で発生した生の断層を観察できることです。その断層の高さは6メートル。数字だけみるとイメージが湧かないかもしれません。しかし、成人した人間で例えれば、3人を縦に重ねても届くかどうかの高さです。この「ずれ」の大きさは現地で自分の体のサイズと比較してようやくその大きさを体験することができます。まさに「百聞は一見にしかず」ですね。

そして、これだけの地面のずれでマグニチュード8.0というとてつもないエネルギーが発生し、激震が離れた岐阜や名古屋まで達したことに思いを馳せると、思わず身震いがするようでした。

濃尾地震の揺れや断層のスケールを体感する

断層観察館に併設されている地震体験館では、ストーリー調の映像と共に震度6程度の揺れを疑似体験できます。15分ほどですが、相当激しい揺れを体験することになり、ちょっとしたアトラクションに乗っているようでした。

実際の濃尾地震は震度7クラスだったといわれており、ここで体験できる揺れよりも更に激しい揺れだったと推測されています。

濃尾地震を起こした断層は、施設の外からも見ることができます。根尾谷断層観察館から道路を挟んで反対側、丘の上に登ると、断層が地面に露出している部分の全体が見えるのです。

実際に見ると、少し見えづらくはなり、写真と見比べないとわからない程度になっていますが、明らかに高低差があることがわかります。また、この断層を横切る道路の先が水鳥駅で、駅への帰りにも見ることができます。

画像中ほどにある堤防のようなところが断層が露出している部分
露出している断層を近くから見た様子

濃尾地震の関連施設を訪ねて思う事

ここまで、濃尾地震のメカニズムと共に震災関連施設を紹介してきました。断層観察館は貴重な施設ではありますが、近年訪れる人が減っているそうで、地震の記録の風化というのをどうしても感じざるをえません。一方で、濃尾地震を起こすような断層型の地震は現在のところ予測が難しく、このような場所で地震の仕組みを感じることで、備えについて考えることも重要ではないかと思います。

また、レスキューナウという、日本唯一の危機管理情報の専門会社の社員として、今回の施設訪問を通じ、地震のリスクに関する学びを新たにしました。

今後、いざというときに迅速により多くの正確な情報を皆さまにお届けするために、できることを社内でもさらに議論したいと思います。そして、メンバーも積極採用しておりますので、この記事を読んで興味を持った方とも同じ職場で議論する機会が持てればと思います。

最後に

レスキューナウは、日本唯一の危機管理情報の専門会社として、防災分野で様々なサービスを提供しています。防災・危機管理の重要性が叫ばれるなか、当社も事業拡大につきメンバーを積極採用しています。
災害や危険から安心な暮らしを守る事業をやってみたい、自分の価値観と共感できる部分がある、ちょっと興味が沸いたので話を聞いてみたい、ぜひ応募したいなど、弊社に少しでもご興味を持っていただけましたら、ぜひ弊社のリクルートサイトをご覧ください。