かがみよかがみさんで母について書いたエッセイを母に読んでもらった
https://mirror.asahi.com/article/13856654
父の話と
https://mirror.asahi.com/article/13885761
母の話です。
母のことを書いたので掲載してもらう前に一応本人に読んでもらった方がいいか3日ほど悩み、結局読んでもらいました。
「母に実は伝えたいこと」というテーマで書いたのに言えないままなのはなんだかなぁ、と思ったので。
母はその時、空港にいました。
仕事で飛行機に乗る前で、私は悩みながら送り、ひどく緊張しながら母の返事を待ちました。
母は泣きながら、第一声、つらい時に助けになってあげられなくてごめんね、と。
私はなんと言ったか、あまり覚えていません。
とにかく焦りながら、傷付けられたと思っているわけではないということ、とても尊敬しているということ、話せなかったことで後悔したくなかった、ということ、などを矢継ぎ早に話したような気がします。
傷付けてしまったような気もします。
でも、誰も傷付けないような生き方なんてできないよ、と、心療内科の主治医の先生に言われたことを思い出して心して話しました。
私達は傷つけて、傷つけられて、そしてお互いを知っていくから。
母の声は喜んでいたようにも、後悔していたようにも聞こえました。
母もつらかったろうに、そこで踏ん張り、頑張って子供のために、と思って一人で解決しようと努力したことが、数年後、長女の重しになっていたなんて言われたら、私はなんと答えるだろう。
母はごめんね、とか、言ってくれてありがとうとか、空港で泣きながら読んじゃったとか、言っていました。
私はお母さんは悪くない、もう過ぎたことだし、私の大きな成長となったんだよ、というようなことを必死で伝えたかったのですが、伝わったのでしょうか。
数時間後、私はやはり見せるべきじゃなかった。全てを話せなくてもそれでいいのに。私が勝手に理想として、そして勝手にそうなれないと絶望しただけなのに、と後悔し、その旨も話しました。
母は何も後悔することはない、あなたのことがもっと知れてよかった、と。
思えば私は、幼い頃からずっと繊細な人間だったように思います。そして自分の感情を抑えてきたような気がします。繊細すぎるが故にその感情に気付いてしまったらつらすぎるので、蓋をして気付かないふりをしてきたような。今では自分の感情に気付き、それを伝える重要さを理解し、実行できるようになってきました。
でももし、あっけらかんとした、カラッとした性格の女の子だったら、「いや、私とお母さんは違うし〜?同じようにやるとか無理じゃね??」と苦しむことなく、10代でも気付けたのかな〜なんて思ったり。
(ぐるぐると考え込んでしまう私は私で最高なんですが)
言い訳や照れ隠しはあとからあとからぼろぼろと出てきますのでこの辺にしておきます。
心療内科に通って治療、カウンセリングを受けて自分がHSPと気付いてから、そして夫と出会ってから随分楽になりました。
そういえば母には私の苦しいこと悲しいこととかは話したことがないような気がします。心配かけたくなかったのかなぁ。
夫にはその時その瞬間に私の感情を瞬発的に言えるようになりましたが、これには数年間同じ部屋で一緒に住みながら向き合い続けることができたからこそのことです。私は家族には一線引いて向き合ってきたのかもしれません。
私は日々何かしらを吸収し、成長し、変化していきます。夫との暮らしは大親友とのお泊り会がずっと続いているような安心感で包まれています。母ともいつかそうなれたらいいな。お互いいっぱい話して、傷付けたり、傷付いたりしながらも、それも話して、心許せる人を増やしていく勇気を持って。
私と同じように繊細で明度の高い世界を生きている人の助けに少しでもなればと思い、母と私の話を公開しました。
これを書いて一番に思ったことはやはり母への感謝でした。守ってくれたこと、育ててくれたこと、諦めないでくれたこと、なんてなんて強い人なんだ、と、そう思いました。その時期、母が頑張ってくれたからこそ、今の私があり、今の幸せがあり、そして、私は私で母は母なんだと気付き、成長することができたのだと。
お母さん、あのね、誰も悪くないし、どうすることもできなかったけど、あのときの苦しみも悲しみもいまでは全部、糧となってるよ。
人生いろいろありますけど、これが人生なんだなぁ、なんて思ったりしながら、それをまた文章に書くのだろうなぁ、と思ったりしています。
おわり