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子供についてずっと考えてる

子に対する考えがまとまってきたので記しておこうと思う。
23歳、現在、私は子供を産みたいか産みたくないかでいうと産みたくない。というかまだ産めない。

妊娠してから「やっぱり無理かも」なんて思ったって、もう遅いのだ。このことについては妊娠する前にとことん向き合いたいと思っている。

子を産むとしたら、夫婦どちらかが倒れても子と生活できるような資金を貯金しなくてはならない。夫婦共にまだ20代なのでキャリアも道半ば。キャリアアップして収入を上げることが優先されると思う。


子供をこの世に誕生させるということは、私が誰かの人生スタートボタンを押すことができるということである。私はそれがとても怖い。しかも、産んでくれと頼まれて押すわけではなく、私達夫婦の完全なるエゴでスタートボタンを押す。だからこそ、もしも産む選択をするのなら、その子が選択したいことが自由に選択できるような環境を整えてあげたい。それぐらいしかやってあげられないし、産むからにはそれをやる義務があると思う。

子とは血が繋がった他人であり、お腹にいる時から私とは別の人間である。と、どこかで読んだ覚えがある。私は血の繋がった他者を自分の思い通りにできるとは思えないし、そうしてはいけないと思う。その子の、個性を人格を人生を尊重したい。そのためには潤沢な資金がいる。そして、私達夫婦の精神的な成長も必要だ。


こんなに大変なのに、こんなに恐ろしいことなのに、こんな世の中に産み落としてしまうことが申し訳ないとも思う。それは私が、この世界をいい世界だと思えないからだと思う。私の命より絶対的に明らかに大切になる私の子を、私が、いいと思えない世界に誕生させてしまうことが申し訳ない。

私と私の大好きな夫との遺伝子の塊と一緒に生活できるのは想像するだけで、愛おしく、ありえないくらい幸福で、きっと世界がいいものにみえるようになるのかもしれない。

でも、それは私の意見である。

子は?自分が頼んでもいないのにこの世に産み落とされたその子はどう思うだろうか?この親で、この世界で、産まれてよかった、と、幸せだと、感じるのだろうか?



私は大学生のころ、鬱病になった。眠れない日が続き、早朝5時、一人暮らしの狭いワンルームのベランダでどうにか誰にも迷惑をかけずに死ぬ方法を検索していた。

いま、私は薬や夫のおかげで、生きていることが幸せだと感じる。この生活もいいもんだ、と思うこともある。(思うようにしているだけかもしれないが…)

でも、当時の私がずっと考えていた、生まれてこなかったらこんな苦しみも抱かずに済んだのに、という想いが微かに残っている。

この世に誕生することで、絶対に苦しみからは逃れられない、死にたいと思うかもしれいない、生まれてこなければ、と思うかもしれない、大切な大切な大切な自分の子がそう思うかもしれない。もちろんそれを越える幸せにも出会えるかもしれない。でもそんなギャンブルみたいなことを大切な大切な我が子にさせたいと思うのだろうか…子の成長を陰ながらハラハラしながら幸せになってくれ〜〜と祈りながら、親達はみんなギャンブルのような、人間の誕生を人体錬成を行ったのだろうか。

ずっと不思議でならなかった。明らかに自分より大切になる存在を苦労することはわかりきってるこの世に産み落とすことを。もちろん幸せもあるだろうが…親はなぜ産むことを選ぶのか?ずっと疑問だった。

自分の親になぜ自分を産んだのか聞いたことがある。父はもうずっと前に母と離婚しているし、最低最悪な人間でほとんどまともな会話はできないので、縁を切った。私は母に聞いた。なぜ私を産んだのか。産んだことを責めている訳ではなく単純に疑問なので率直に教えてほしい、と言った。

母は、教えてくれた。
母達が若かった頃、結婚=出産が当たり前の常識だったということ。私の地元はいまだに車を走らせないとコンビニにすら行けない田舎で、父は結構大きな農家の長男である。母は父の両親(私の父方の祖父母)から「5人まではいいよ」と言われた、とのこと。(これは跡取り(男)を産むまで5人までは産んでも面倒を見るよ、ということであり、いうなればお金はあるからソシャゲのガチャを回してくれ、と同じなのかと反吐が出たが)当時の母にはそれが常識であり疑う余地もなかった、とのこと。母は結婚したのに子供を産まない人生なんて考えたこともなかった、と。母の母(私の母方の祖母)の教えとして子供産む幸せについて、産むことで学べることがあるという教えが大きかったこと。(私は子を産むことで学べることがある、人生が充実するという考え方が嫌いである。子は親の人生を豊かにする道具ではないし、自分の人生くらい自分自身で豊かにしたい、そのためだけに新たな命を誕生させるなんて、自分勝手な大いなる人生の暇つぶしのつもりか?と思ってしまう)母自身は何も考えていなかったし、想像もしたことがなかった、と。

私はもちろん母を責めるつもりはなかったし、いまでも責める気持ちは湧いてこない。社会、環境、時代、何をとっても、私が、母の立場でもそうしたのかもしれない。私は選べる。産む、産まない、を。母は選ぶ余地も選べるという考えを持つことも許されなかったのかもしれない。考えを持つ余裕がなかった、そういう社会、環境、時代だったのかもしれない。

話は逸れるが、母とはずっと話しが合わないと思っていた。母は自分のことを楽観的だと言う。私はネガティブなのだろう。考えすぎてしまう。母はあまり考えずどうにかなるだろう、という感じである。母には赤、緑、青に見えている世界で、私は水色や桃色、黄緑、藍色なども感じ、それぞれに感情を持ちながら生きているような気がする。母にここに黄緑があるよ、黄緑とは少し薄くて明るい緑のことでね、とてもきれいだよ、と話すと理解はしてくれるが、認知はしていない、ような感じである。生きている世界の尺度が大きく違うように感じる。


私はよく考える、子供はいなくても、大好きな夫とずっと二人で暮らしてもありえないくらいの幸福であること。私は子供がいる人生といない人生を選べるということ。

私の母への質問は根底から間違っていた。
「なぜ、子供がいる人生を選んだの?子供がいる人生にしようって思った決定打となる何かがあった?その気持ちの変化やどうしてそう思ったのか知りたい」

当時は選べるなんて思いもしなかった。が解答である。

この電話が終わったとき、私は夫のところに行っておいおいと泣いた。だってあまりにも報われない。あまりにも可哀想だ。19〜20歳の死にたくて仕方なかった、早朝狭いベランダで迷惑をかけない死に方について検索していた私は、生き続ける意味、産まれてきた意味についてずっと考えていた私は、田舎の農家の跡継ぎ長男ガチャのハズレだったことが。

どうしたら、19〜20歳の死にたかった私を救えるのか、いまだに検討がつかない。その時の私がたまにひょこっと顔を出して今の私に問いかけてくる。あんなに苦しかったことをもう忘れたの?




私は母の意見を参考にすることはできない。私の人生を私自身の考えで選択したい。子がいる人生、いない人生。

私達は貯金してキャリアも積んで、子を持つかもしれない。私達は子を持たず、小さい家でも買ってのんびり旅行したり趣味に没頭したりして過ごすのかもしれない。もしかしたら産みたいと思ったときには産めないのかもしれない。この人と一緒にどんな人生でも歩んでみたいと思える人と出会えてよかった。これからも私らしくぐるぐるぐるぐる考えながら、私の人生を選択していく。


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