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訪問介護の話し②

巨大県営住宅の一階の一番の陽の当たらない角の部屋。
始めて訪問した時に 息をのんだ。

ありとあらゆるゴミ?生活物に覆い尽くされた部屋に家族は住んでいた

お母さんは昔、看護婦長を勤めていた、今は片麻痺でなんとか歩ける状態。お父さんは肺気腫が酷くなり
自宅で酸素療法、外には付き添いありで病院の検査のときのだけ外出。

息子50歳くらい、独身 少し精神に偏りあり。異常に若く見える。。

訪問する度に少しづつ部屋は片付いていった、万人には不必要と見える
生活物がお母さんには大切な道具だった、片付けるのも捨てるのも相談しながら進んで行った、

洗濯、掃除ゴミ捨て、トイレ、風呂掃除、服薬確認、などが主な仕事。

後はお母さんの買い物の付き添い
お母さんはこの買い物をとても楽しみにしていた、歩ける所まで歩いて後は車椅子でスーパーに行く。目を輝かせながら、これ!息子がすきなのよぉ!と次々と買い物していく。

看護婦長だったお母さんと
長ーい髭のまるでキリストがガンジーのような風貌のお父さん。

2人合わせたらなんとか暮らせるくらいの年金が貰えたのだろう、

50歳の息子は
いつも家にいた、自分の働きは無いけれど たまにふらりと出掛けて行っては真新しい真っ白な靴を買ってきた。

お父さんはいつも明るくて、息苦しさを感じさせないようにしていたが本人はそうとうの辛さだったと思う。。。

ある日なんの気なしに聞いてみた、
「お父さんはさぁーー生まれ変わったら なにになりたい?」

すると「俺はカバになりたい!」
なんで?「だって思い切り大口を開けて息が吸える!でも。。。。人間には 生まれ変わってきたくないなぁ。。」

なんで?
「だって 仕組みが悪いもん。」

と言っていた その二週間後にお父さんは亡くなった。

その日は これから 週に2度しか訪問出来なかった お父さんの所に毎日 様子を見に行けると ケアマネから 連絡があった 日だった。。。

お母さんはいつものように 苦しそうな息づかいだったが あえて 救急車は呼ばなかった。。。

幾多の死を見てきた お母さんがいくら自分の片手足が動かなくても

最後まで自分の家でお父さんの息づかいを聴いて 近くで絶命したことに まるで誇らしげな様子だった。

生や死や愛や全て ごちゃまぜなこの家族が私は大好きだった

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