風剪博士対地底怪獣トラペゾヘドロン
先日、変死した叔母の遺品を整理したところ、古い大学ノートにびっしりと書かれた手記を見つけた。断言するが、叔母の筆跡ではない。また、手記中の地名を地図中の何処にも見いだすことはできなかった。
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かつて燿州新蹄郊外の旧市街に遊んだとき、ここには土地の者に無冒という古い神の廟堂の跡と伝わる断崖に穿たれた洞窟で、何処まで続いているのか正式な調査の入ったことのない廃墟があって、流石に入り口から1公里ほどは順路が設けられ観光地化していて、案内人が真偽定かならぬ伝説を聞かせてくれるというので、退屈していた私は、内戦から立ち直ったばかりの南都で雇った通訳の、子怜華女史と、物見遊山のつもりで出かけたのである。
旧市街の趣のある定宿から昨年開通したという真新しい駅の前の、対照的に寂れた広場でバスを待つこと暫し、やってきたのはバスと言うよりも乗り合い自動車という趣の、ひどく草臥れた車であった。
車が止まると、数名の乗客がどやどやと降り、運転手も降りてしまい、何処かへ行ってしまったが、客の一人がいやに青黒い肌の色をした老人で、何度も咳を繰り返しているのが気になった。何処か肌のヌメヌメした印象を遠目にも与える運転手が、休憩に行ってしまったので、時刻表を見ると、つぎに出るのは二時間ほどあとのようだった。
「どうしますか?」
「あのお爺さんに話を聞いてみたいんだが、構いませんか」
老人はすぐにはどこかへ行くわけでもなく、広場の横の木のベンチの横で蹲っていた。私は、これ幸いと、この老人から、暗墟(これが廃墟の通称である)のことを聞き出そうと考えたのである。
以下は、この老人から、私が聞き出した驚くべき話である。
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自分が一番後悔しているのは、妹を置き去りにしてしまったことである。ああ、今頃、どんな恐ろしい目に遭っていることだろうか。先生には私は老人に見えるかもしれないが、自分はまだ三十半ばである。
【続く】
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