自由とは何か(#36)
最近、本当に自由とは何か?について考えています。
学生なら学校、社会人なら会社等の組織・団体、家族がいるなら家庭、あとは地域。意識的にも、無意識的にも様々な支配があります。
どうすれば自由な生活を送れるのか。実現可能なのか。
そもそも『自由な生活』というものは、誰からもその自身の行為についてとやかく言われない状態であるといえます。また、やりたくない事をやらなくてもいい状態ともいえます。ある程度の人達が自由な生活を望んでいるとは思いますが、実際、支配状態にも当たり前のようにメリットが多いので、あえてそれほど自由な領域を求めていない。という方もいるかもしれません。
会社組織内にいると、自由奔放な生活はできないです。
上司や顧客の言うことは聞かなきゃいけないし、やりたくないことも信念を曲げて、やらなきゃいけない時もあります。労働関係の法律上の権利があったとしても、実際に行使するのは不可能だったりもします。
同調圧力や、空気を読む、郷に入っては郷に従え、など自ら支配を選択せざるを得ない時もあります。
ただ、それが悪いというわけではなく、それと引き換えに給料や仕事を得られ、生活の保証があるのであれば、トレードオフの関係が成り立っています。
当たり前ですが、仕方ないです。(給料の高い安いの個別の問題はあるかもしれませんが)
問題なのは、自分がやりたいことを、やろうとする時に発生する支配や制約です。(自働的自由?)
自分が独立して、金銭面など全責任を持って、法律上、問題ないことを遂行しようとすることであっても、何の正当性もなしに批判や邪魔をされることがあります。権力者の支配やコントロールの危機に陥りそうになることもあります。
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それで、実は自由に選んでいるつもりでも、既存のAかBかCか、そこから選んで下さい。みたいな提示ってすごく多くて、それが根本的なモヤモヤに繋がっているような気がします。
自由といいつつ、型がある。本当に自由なら、自分が作り出した選択肢Dを選んでもいいはずなのに、それが阻まれてしまう。
多様性といいつつ、今現在の多様性の範囲内で選ぶことしか承認されない。
好きなことで生きていく。という場合、どこかの誰かが本に書いたり、InstagramやYouTubeでやっている『好きなこと』を知らず知らずコピーしたものが賞賛されてしまう。
とにかく、自分の考える自由って、実はものすごく誰にも理解されない、暗闇の中にずっといるようなものなのかなぁと思います。もしかしたら、先に誰もいないかもしれない。誰も来ないかもしれない。
社会的承認を得られる範囲内で、自由に選択しているうちは、きっと本質的なものから、逸れてしまうような気がします。