万津人0007:川村吉保
万津町、昔ながらのたばこ屋さん。
昭和24年生まれ。名前は、川村吉保。吉と書いて、ヤスは、佐世保の保。俺は万津の人じゃなかけん。生まれたのは駅の上やね。白南風小学校、山澄中と。それで(佐世保)工業に行って、〈ダイキン〉に入った。
ここのたばこ屋はね、昔、佐世保港湾運輸っていうのがあってね。その佐世保港湾運輸の初代社長が、親父やったんすよ。で、戦時中、戦後間もない頃にね、佐世保の入り口のところで、塩を載せた船を転覆させたとよ。そういう事故があった。その頃の塩は専売品で、非常に貴重な品やったんよね。で、うちの親父が転覆させた責任を取ってね、社長辞めて、そしてこの角っこにたばこ屋ば作ったとよ。それが一番最初。
僕はなんも関係無かったとやけど、会社員になって、で、親父が死んで、おふくろがしよったけん、ここば。だから俺が、片手間にしようかねって言って手伝い始めたのが、今の店です。
古新聞や写真でたどる、かつての姿。
こがんして、佐世保とか万津の資料ばずっと集めよっとさ。ほらこれ、吉田めし屋さんとこを、長崎新聞が書いとらすと。1952年に吉田屋さんの両親が港湾従業者向けに店を開いた当時のメニューは、ご飯と味噌汁とかだった……って。で、今2代目で、おふくろの味に次ぐ2番手になってお客さんに長く愛されたいと……2代目って書いとるよ。吉田屋食堂2代目店主、吉田茂さん!あれ、56やったかな? ま、これ、平成25年4月の新聞やけん。
ほら、これはね、万津の鯨瀬のいわれがここに書かれとる。鯨って名がつくが、佐世保には捕鯨の記録が無かった、って。佐世保港の歴史に詳しい佐世保港湾経済運輸の人が、「岸にあたる波しぶきの音が鯨の潮吹きの音に聞こえたらしい」と書いてあるね。佐世保玉屋の歴史なんかも、ずっとスクラップしとるね。
こっちの記事は、朝市んことが書いてある。朝市って、元々は今の場所には無かったんですよ。昔はそこに佐世保港湾運輸があって、次に川端鮮魚、そして製氷会社があったとよね。その製氷の氷が、ベルトコンベアー通って、海岸部にダーッと運ばれてね。いやあ、昔の写真、俺も持っとるんやけどね。探さんばいかん。
たばこ屋はもう、別荘やもん(笑)。
最近はスクラップもしよらんとけどね、運動ばっかしよる。僕と奥さん、たばこ屋に来て……歩きに、運動しに来よるんやろうね。今は近くに、セブンイレブンが出来てですね。その時に、うちも一生懸命やりよったんやけど、権利ばくれっていうもんだから、権利やったんよ。もう、俺らもホント、歳やけんが、10年も20年も続けきらんけん、あと2、3年で畳むつもりやったけんね。セブンさんが頑張るなら、そしたらいいよって、やったんよね。
たばこ屋は、そいけん、親父がその、責任取って港湾辞めた時に作っとるけん。やけん、おそらく戦後……70年やけん、そいけんそのくらいは、やっとるっちゃないかな? 60年はあるっちゃない? 俺はダイキンの頃はサラリーマンで、たばこ屋はほとんど奥さんがしよったとよ。定年してからも、再雇用されてね。でも、去年の7月でもう縁切って、それからね。
昔は客も多かったとよ。まあ朝市が盛況やったけんね。朝市の人が寄って行きよったけんね。今はもう、朝市が全然ダメたいね……ほとんど跡継ぎの方がおらんけん、お客も来んし、やけん壊滅って言ったらおかしいけど……それに近い状態。今も成り立っとるところは玉屋さんにも納品したり、お得意さんで回っとらすけんね。
当時はね、そうやって常連さんもおって、たばこ屋も6時半頃から開けてた。もう昔から癖だよね。で、18時頃までおって。家に帰っても居り場所なかけん(笑)、たばこ屋はもう別荘やもん(笑)。それであそこにおるとですよ。楽しかばっかいですよ。
誰も来んけん安心して運動出来る。知った人しか来んけん、もう俺がおらんでも待っとらすけん。うちの奥さんは、井炉端会議の場になっとるけん。たばこ屋によう友達が来て、2時間も3時間も話しよらすとよ。
できるうちはしとかんばいかんね、とはいっつも思う。
僕は万津町の町民じゃないけん。まあ、言い方悪いけど、部外者っちゃ部外者やけね。たまたま親父がやりよったけん引き継いで今……あれで商売なっとらんとやけど、もう奥さんとの遊び、遊びやないけど、そういう感じでやっとる。今後の万津町て言うても……僕はわからん。多分、6年後、9年後なんて、僕はおらんやろうけん。
でも、今はこんなたばこ屋も、「昭和レトロ」とか言ってね(笑)。前は、私の家の横に宮田商店ってあったけどね、あそことうちが昭和レトロでよう写真撮られよるねえって、喋りよった。
昭和レトロって言ったら、井手こんにゃくさんなんかも案外、ね。そいけんしばらくして僕がやめたら、万津も、ヤマハナさんと井手さんところ、そんくらいになってしまうね、って言いよったとよ。
でも、みんな僕が運動しよったら、周りのマンションの方が「元気かね」って、みんな声かけてくれる。そいけん、できるうちはしとかんばいかんね、とはいっつも思うんです。
取材・文:松本 拓馬(長崎県立大学)
写真:永田 崚(tajuramozoph)
編集:はしもとゆうき(kumam)
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