見出し画像

rhythm

 数日前に誕生日を迎えた。ホットペッパービューティーの割引クーポンやEParkに届いていたお誕生日クーポンを使うべく、ここぞとばかりにフェイシャルエステ、ボディマッサージ、美容院に行った。美容に疎い私は、その類のところに行くときはいつも「店員さんにお任せ」だったが、今回は自分の言葉で「これがいやです。これがつらいです。なおしてください」と言った。心身の声を、自分でちゃんと聞いていこうと思うきっかけとなった。

 高校一年生の頃のプリクラを見ると、10年前の日付が書かれていて、もうそんなに経ってしまったのか、と驚いた。高校生活には苦い思い出ばかりで、私にとって挫折の季節であった。
 中学も高校も一緒で、私をよく知る友人がいた。彼女が、高校に入ってからふと「あなたは、前に比べて集中力がなくなったよ」と私を評した。喫茶店で、共に勉強をしていた時だった。言われた私は焦り、とにかくちゃんとしよう、と背筋を正した。しかしその時も、その後も、勉強の内容がほんとうに頭に入ることはなかった。
 ちょうど高校に入る時に手に入れたiPhoneの充電コードが点滴の管に見えたことがあった。本当は学校と家を往復しているだけで、世間知らずな私は、広い世界を知るために日々、画面越しの情報の洪水に頼るしかなく、それに繋がれることで生かされているのだ、と。洪水に溺れていることはとても便利で、しかし本当は無関係な世界から日々刺激を受け続けるということへの限界もあった。
 iPhoneを起動すれば何でも検索することができた。教科書は分厚く、読めば読むほど未来が確約されるルールだった。縋るように真面目に与えられたことに向き合った。でもそれは何一つとして自分の言語ではなかった。

 住んでいる三鷹は、太宰治にゆかりのある土地で、玉川上水、執筆をしたと言われる飲食店、その跡地などのスポットがある。そのうちに、太宰治文学サロンというスペースがあり、太宰治の著作や、関連書籍、グッズが並んでいて、自由に座って休憩しながら閲覧することができる。
 桜桃忌が近かったので、ふと思い立ってサロンに立ち寄った。中には何人か人がいた。数々の書籍の中で、スタッフの方が和紙に筆で写した作品が、綺麗に製本されて並んでいた。私はその日、筆書きの「走れメロス」を読むことにした。久々で、ストーリーもうろ覚えだったのだが、その読書体験が私にとってとても良いものとなった。
 字が手書きであることで、本の製作者について想いを馳せることになる。一字でも、一払いでも書き損じたら、そのページはやり直しになっただろう。完成したものは一糸の乱れもなく、縦に筋が通ったようにまっすぐで、美しかった。
 読んでみる。まるで、暑い夏の日に家に帰って、たくさんの氷を入れた麦茶を飲んだ時のように、文字が、身体に沁み渡った。字を読んでいると言うより、読み聞かせを聞いているように、内容が頭に入ってきたのだった。
 高校に入って過剰に忙しくなり、iPhoneも手に入れ、世界の広さを知った気になってから、ずっと浮いていた私が、ほんとうに心に語りかけるものに、触れることができた。ほんとうに心が動くと、それがリズムとなるのも感じる。筆書きのリズムが合うのならば、今まで読んでもわからなかった本も、筆書きなら頭に入るのかもしれない、などと思う。

 曲がりなりにも音楽を仕事にしていると、音楽的なリズムについて考える機会は多い。単語やパターンとして覚えていることはいくつかあるが、今後は身体に沁み込むような体験について考えていこう。そうすれば、ずっと悩んでいた、自分の音楽とは何か?という問いにも繋がるかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?