バーナム効果と虚離
セミナージプシーと言う言葉が定着しつつある昨今。
私もそのうちの1人なのかもしれない。
4月29日も六本木だったし、昨日の5月1日は午後から品川だった。
昨日はセミナーと言うよりライブだったのだけれど。
今までに参加させて頂いたセミナーや講習会の相場と言えば、教えている内容にもよるけれど、○十万円〜数千円までと、かなり幅がある。
それはさておき…
物心ついた時には既に自分の家に居心地や居場所を感じた事がないのだから、もともと備わっていた私の気質とも言えなくない。
中には、それは後天的に身についた事なのでは?と言う人もいる。
ただセミナージプシーと言う言葉がバーナム効果になってしまっている場合も考えると
やはり、概要となる大枠を伝える事と、
誰にでも当てはまる様な、曖昧性のある表現を見聞きして、まるで自分だけに当てはまる様に感じてしまう現象のバーナム効果とは分けて考えなくてはならない。
士業と言われる職業前半にも言える事なのかもしれないけれど、私自身コーチとして職種を真っ当するならば最重要課題として、自分の存在間をクライアントさんに優先させてしまっては元も子もない事と洗脳になってしまってはならない事がある。
ここ最近、セミナーに参加させて頂いた中で特に感じている事が、提供しているものが楽曲か知識の違いだけで、アーティストさんのコンサートの様に縦ノリまではないものの、
登壇者さんのアイドル化現象が場所によって起きていたりする。
不本意な登壇者さんもいれば、満更でもない登壇者さんもみうけられるので一概に判断はしずらいのだけれど、時として異様な光景を目の当たりにしてしまった様な感覚になってしまう事がある。
場違いな所に来てしまった間は、今更始まった事ではないのだけれど、その振り幅が場所によって、かなり差が多くなった様にも感じてならない。
29日の六本木では近くの人との自己紹介タイムがあったのだけれど、私自身あまり自己紹介が得意とは言えない事もあり、他の参加者さんは、あっという間に近くにいる人と名刺交換を始めながらの自己紹介タイムに華が先始める。その姿を見ていると、凄い戦闘力だなぁと唖然としてしまう私がいる。
そんな中、後方から肩を叩いて来た人がいた。
私の頭の中では瞬間的に「また戦力外通告が来てしまった。」と言う言葉がよぎり、「いやちょっとまて…受講料を納めて来ているのにお客様としての戦力外通告は流石にないでしょ。」と思いつつ後ろを振り返ると、名刺を持って話しかけて来て下さった方がいた。
するとテレビ局の方で登壇者さんのドキュメントの取材をされていると言う。
同じお客様ではなくて、関係者の方だったのねー。と思ったら私の頭の中は「戦力外通告」で頭がいっぱいになった。
敏感な人は敏感なのだけれど、昨今の日本人は肩を叩くに無頓着過ぎる人が多い。
これが諸外国の人ならば「何故⁉︎」「どうしてだ⁉︎」「視界内から名前を呼んで下さい‼︎」
「やだ‼︎」「認めない‼︎」と言った言葉がすかさず飛んでくる様な状況だっただろう。
ある企業様で海外から正規ルートで日本に研修に来た外国人労働者の方と一緒に仕事をさせて頂いた事があったのだけれど、周り騒音がうるさくて、大声で名前を呼んだものの聞こえていない様だったので、近くまで行って肩の背中側を叩きながら名前を呼んだら、途端にその人は「ヤダ~!!」と言ってその場から逃げる様に同じ国から来た人の、その日一緒のシフトに入っていた同じ国から来た人の所へ行ってしまった。
他に一緒にいた日本人の人は何が起きたのか、サッパリわからすポカンとしてしまっていた。
肩を叩かれるの意味が今の日本人の大半の人には分からない感覚になっているのです。
またその反面、「クビだ‼︎」とハッキリ言わないと分からない様な人に、それほどキツくない言葉をかけながら肩を叩いて戦力外通告をする私より年上の上司がいたりするのだけれど、肩を叩かれた本人は至って「もっと頑張れよ!」とばかりに励まされつつ声援を送って貰えていると思っていたりさるから厄介だったりする。
気が付かないのは本人だけで、周りは「あ〜あ、やっちゃったね。」と思っていたりする。
ちょっと話は逸れたものの、
セミナーによってはセミナー終了後に懇親会や立食パーティーがある場合もあるのだけれど、最近は殆ど私は参加しないで帰ってくる。その場の雰囲気もあるけれど、どうも私にはジンクスがある様で懇親会だけに限らないけれど私に話しかけてくる人は何故か、「まだ帰らないの?」と言ってくる人が多い。初対面で共通の話題もない中で話しをするのだから決して居心地が良いわけではないけれど、にしても何故だか「まだ帰らないの?」と言ってくる。不躾な人だなぁとも思いつつも、貴方がそう感じているのなら、
目障りでごめんねとばかりに…
どうやらリピーターさん同士での繋がりがも多そうなので、反骨精神もなければ
ハングリー精神も持たない私には、それならばと、とっとと帰って来る。
でもその言葉を言って本人は至って悪気はなく覚えていない事だと思いたいけれど、
無自覚による思わず出で来た言葉には、その人の本心が垣間見れる訳で…
主催者さんや登壇者さんなら良いと言う訳ではないけれど、場違いな理由はここにあったんだなぁとも思いながら。
昨今の企業様は、どのお客様がどの位の金額を使ってくれたかにらよって対応をかえてる
人もいる。要はお金さえ払ってあげれば極端な事を言ってしまえば、商品なんて受け取らなくてもいいし何の問題もない。使った金額によって判断されるてしまうのだから。
そういえばちょっと思い出してしまった。
トップダウンと言うと何故かイコールでスパルタとなってしまう風潮って何処で定着してしまったのだろう?
スパルタである必要性もないはずなのに、
何故にスパルタが定着してしまうのか不思議でならない。
私の知っているトップダウンが正しく機能している企業様にスパルタだった所がない。
もう少し具体的に説明すると、トップダウンとは上意下達という機能性の仕組みなだけであって、それをスムージーに機能させる為に、後輩だから部下だから、上司だからの関係なしに、業務連絡や指示出し、作業依頼などは仕事に関しての事は敬語で丁寧に接する事を徹底していて、それ以外の雑談や痴話話や休憩時間での会話はとてもフレンドリーな
企業様だった。
でも社内で常に内部戦が起きていたり、卑屈になってしまう人や、目の色が変わってしまう人、罵声や怒鳴り声や不平不満が蔓延している企業様の大半がトップダウン=スパルタという構図が出来上がってしまっている。
いい加減トップダウン=スパルタと言う習慣を
何処かで断ち切らなければ回収できない負債まみれのままになってしまうとも思うのだけれど、その方が心地よい権力者がいるのだから、ここまで来てしまったら今更な話しなんだろうな。
バーナム効果は恐るべし。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?