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大人になりきれていない、おとな

よく子供の頃に親に叱られて、それをずっと恨んでやる!って思っていても自分が大人になると自然と吸収して忘れていく物だ。

しかし、稀に生い立ちや環境それに様々な人間関係を小さいころに強いられその「恨み」が本当に実体化してしまう人がいる。
ただそれだけならばその当人の問題で済む話なのだが、そのような人は大抵周りの人々を巻き込んで振り回す傾向にあることが多い。
更に自分が体験した「恨み」が消せないため、自分でも葛藤しなんとかしようとはするが、なにか辛いことなどがあるとすぐその言わば「殻」の中に閉じこもってある意味防衛しようとする。

子供の頃に満ち足りた愛情や理解ある大人に出会えていない人が多い。

そんな人が自分も親になったとき、よく言われるのが子供に自分がされたことを繰り返すということが指摘されている。もちろん、そういった人ばかりではないが相手が「子供」であることを忘れて自分と同等、或いは「大人」と変わらない接し方できつく叱ったり、できないことを軽蔑したりする行いを見せる。そのことでその子がどんなに小さい心に傷を負っているのか計り知れるものではない。またそういう環境や考え方が似るので第二、第三の大人なのに子供を本気で叱りとばす、ある意味の言葉の暴力にも似た表現が当てはまることも多い。この因果は、切り離さないとその家庭にずっと禍根を残すことにも繋がり、ひいてはその子の人格形成の時に大きな打撃とショックを与える可能性がある。

なぜそのように考えるようになったのか、大人になりきれていないとは?

分別のある普通の人であれば相手がここを越えたら激しく怒るだろうなっていう線引きがなんとなく見えるものである。しかしこのように自分がある意味大人になりきれていない人からすると、全てを言うことで自分の気持ちをストレートにぶつける直球型が多い。故に、相手を怒らせてしまうことが多くこの一線を越えて言ってはいけないなっていう線引きが心の中でできないのである。子供に対しても直球型なので「大人」と接するのと同じように、何故それができないのか?とか、あなたはそんなこともわからないで頭が悪いのか等、その子が理解できない遥か上からの圧をかけていることに気づかないという恐ろしさがある。その子もまた似たような「恨み」を持って成長すると無限な因果によって苦しめられてしまう。
ちょっと大袈裟に書いたが、実際このようなケースは珍しくないと思う。

昨今のSNSやネットで更にそれらを言いやすくなっているというのも一因。

SNSやネットは低年齢のうちは親がある程度規制して、やらせないようにしているものだが、これは昔テレビで良くあった話だがほらこのテレビに出ている子はちゃーんと宿題して、家に帰ったら勉強して。。。すごく偉いよね!そう思わない?子供に問うと「わからない」と答えるので親の方がイライラしてだからあんたはダメな子なんだよ!と酷い場合は罵ったりする人も中にはいる。今はSNSやネットでより小さなコミュニティーでそれが起きている。誰々ちゃんちの何とか君は勉強いつも○時間やって、塾にもきちんと通って、ゲームなんて一切しないって言ってたよ?子供に言うと「ふーん」、そりゃそうだ。子供からすればその子は自分とは別の人間だしそういうときだけ理不尽に比べられているっていうのは子供でも理解できる。

ストレートにあなた大人の考えしてないね!って言ってあげる勇気。

今まで散々、大人になりきれていないという題目で書いてきたけれど、その人にもそうなった過程があり、それはその人が必ずしも悪くはないということが難しい側面にあるんじゃないだろうか。わたしは僕はそう育てられて、それが当たり前で生きてきた。それのなにが悪い?と言われてしまうかもしれない。しかし、ある一線を越えて蔑む言葉を言ってしまうとか、子供にも同じ目線で接するという観点が違い、子供も大人扱いしているという点が明らかなときストレートに「もっと大人になったほうがいいよ!」「そこは言っちゃだめでしょう?考えればわかること」などと勇気をもって自制してあげることが必要だと思う。
仮にそれでもっと、その人が情緒不安定になり支離滅裂になってくればそれはもうメンタルが侵されている可能性もある。

自分が大人だと思ってる人、わたしも含め以外とそうでないところもあると思う。

どんな人でも子供っぽいところは持ち合わせているし、それが必ずネガティブなものではないこともわかっている。完全に「大人である」人間なんて実はいないのかもしれない。どこか、胸の奥に幼稚性やある一定のところで時間が止まったかのように考え方も凝り固まっていくことが多いと思う。わたし自身もそうだと思っている。そもそもこの文章の定義自体が崩れてしまうかもしれないが、大人であること、それはなにを指しているのか?
立派な演説ができて大衆を沸かせることができるリーダー資質な人なのか?それとも頭脳明晰でいろんな考えを巡らせることが同時にでき、引き出しが多いマルチタスクのできる人なのか?考え方にもよるだろうが、そんな難しいことではないと思う。懐かしい「昭和」にはあった、野球で人の家のガラスを割ってしまったら子供と一緒にその家に行って、子供に謝るよう促した上で、自分も深々と頭を下げ謝る。そういった簡単なことなのかもしれない。~ココロを見る~

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