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きみのロック

ロックに生きよう

こんにちは。れおにーです。
noteの更新が途切れてしまってました。実は自分の思ったことをnoteで発信することに急に自信がなくなってしまっていたのです。

理由は、ここでの執筆が若気の至りになってしまいそうなことが急に怖くなってしまったからです。
あなたは大学生だし、若いからねえ、と言われることに、敏感になりすぎてしまっていました。

でもそれから色々なことを考え、もやもやした結果、
このもやもやは、やはり
言葉を自由に使い、自分の外に出すことでしか晴らされない
一周回って戻ってきました。

若気の至りだろうが、わたしはこれからもわたしの思いを外に放っていくことにしました。
言葉を放つことが、今の私にとっては元気なわたしであるための大切な要素だからと気づいたからです。

★★★

もともとわたしがここ2か月間noteやレターライターとして人に向けて文章を書き始めたのは、ある人の言葉がきっかけでした。

'''れおにーには、ロックに生きてほしい'''

はっとしました。

でも違和感もありました。

まず「ロックに」生きるってなんだ、と。(笑)
そして、人の人生に対して「このように生きてほしい」と期待するって、何?と。(笑)

でも、言われたあとに残ったのはそんな違和感よりも
嬉しさでした。

怖がらずに、もっとはっちゃけて。自由に生きていいんだよ。というニュアンスをその人からわたしは読み取ったのです。

「ロックに」とか何かよくわかんないけど、わたしはわたしがやりたいことを好きにやってもいいんだ。

そしてロックに生きてほしいと願ってくれるその人は、
わたしの在り方を肯定してくれて、見守ってくれるんだな。

こうしてその言葉
「ロックに生きてほしい」
はすっと心に入ってきました。

その日の帰り道はどこか心が軽くて、ルンルンしながら帰りました。
とっても嬉しかったです。
不安で仕方がないけど、何か変わりたい!ともじもじしていた大学生の心にどれほど響いたことか。

何も気にしなくて良い。
誰かに許しを得るべき事柄でもないのにも関わらず、どこかのお墨付きを受けてどこか安心した気分。

そしてわたしはここでアカウントをつくり、自らの言葉をnoteに発信し始めたのです。

★★★

それから約2か月後、既述のようにわたしはnote更新を進める中で自信を無くし、
言葉を世に放つことに恐怖を感じていた先週

ふと、この思い出しました。

-ロックに生きてほしい


あのルンルンになって下った坂道を思い出そう。
見守ってくれる人の顔を思い浮かべよう。
「ロック」がよくわかんないなら、わたしが「ロック」をつくっていこう。

そうしてわたしのロックを再びnoteで鳴らすことを心に決めました。
だからわたしは記念に今ここで書き留めています。

あの時は、ありがとう
ただいま
わたしはまた、ロックに再出発するね


#きみの言葉に救われた  
#君の言葉に救われた



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差詰レオニー
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