僕が松下玲緒菜を好きになったきっかけと松下玲緒菜の魅力とは?
こんばんは。たぶん宇宙一暑苦しくてイタイ松下玲緒菜ファン(またたびー)のかっちゃんです。
松下玲緒菜を好きという思いは松岡修造の暑苦しさ以上だと自負してます。
今回は初めての投稿と言うことで、私が何故松下玲緒菜を好きになったのか、ということとか、松下玲緒菜の魅力とは何か、ということを、私の育ってきた環境を含めてお話していきたいと思います。
メンタルが弱い自分になった理由
私は幼い頃から今でいう「毒親」の母親に育てられてきたと思います。
特に辛かったのは、いじめられているというSOS信号を無視され続けたことです。
私は小学校時代、受験を考えていなかったのだが、小学校時代にいじめにあっていた私を見たことや、将来の大学受験を見据えて、私立中を受験しろ、と言われ、小学校4年から塾に通わされた。
小学校5年の頃だっただろうか。
当時、小学館は小学5年生という学習雑誌を出していたのだが、その付録にあるとき「性教育」に関するものや、思春期の男子なら一度はするであろう「オナニー」に関する漫画が掲載されたのだが、母はそれを「汚らわしいもの」として読むことを禁止したのだ。
小学校では性教育の授業を受けた記憶がない。もしかしたら、自分の変な性癖は母親の性に対する異常な価値観の影響なのかもしれない。
しかも、漫画雑誌とかに載っているアイドルの水着グラビアも、私の母から見れば「わいせつ物」という考え。
つまり、玲緒菜の1st写真集なんか母に言わせれば「エロ本」扱い。正直こんな異常な考えの親って、世間から見たら異常だと思います。
事実、小学校は公立で中高は私立だった私ですけど、中学に行って価値観の合わない同級生の存在に困らされたことありましたから。
それだけではない。オナニーだけでなくセックスに対しても汚らわしいと考えていた母親。
もし、これが事実だとしたら私自身の存在も汚らわしいということになる。
そりゃそうでしょ?私が生まれたってことは、両親がセックスしたからでしょ?
その行為自体が汚らわしいというのなら、汚らわしい行為の結果生まれてきた私は汚らわしい、そう考えるようになり、結果的に私は前向きになれなくなってしまいました。
それどころか、私の価値観は全否定。自分の思う通りにならないと許さない、というのが母親の考え方だった。
私は小学校時代から喜怒哀楽の表現(嬉しいときに大声で叫ぶだけで「キチガイが家にいると思われるから」という理由)も禁止され、友達と遊ぶことも禁止され、高校卒業まではずっと勉強以外は基本的に禁止…
そんな狭い世界で生きてきたんです。
ちなみに、進学した私立の中高では6年間担任が同じだったのだが、この担任も私のいじめられてるSOS信号を無視し続けた。
それどころか、私をいじめてたやつと今も酒を飲む関係にあるという。
なので、私は中高の同窓会に行くつもりは毛頭ない。
母親は私とそいつが仲がいいと思っているが、それは大きな間違い。
そう、場の空気を読めないのかもしれない。
しかも、思ったことは、それを言うと炎上するとか相手を怒らせる、ということを考えず発言をする。
だから、TVに出てきてる純粋な日本人の若手俳優を「この人、韓国の人?」とか、若手女優が整形してるかどうかわからないのに「この子整形してるよね?」とか平気で言うレベルだ。だから、もし母親が松下玲緒菜を侮辱したりするようなことがあったら、即ぶっ飛ばすどころの騒ぎではないレベル。
その母親は、私が辛いときいつもと違う声で叫ぶと、その声は「キチガイが出す声だから、そんな声は出すな!」と恫喝してた。
そう、私は一番助けてほしい親にまで無視されることとなり、何をしても無駄、と思うようになった。
そういった最悪な環境で育ってきたこともあり、私自身、自分自身の価値観を見出せず、自分自身を責めることが多くなり、過去に何度も自殺を考えたこともあるレベルである・
いじめを苦にした自殺をしようと思った時も、いじめてたやつに「遺書に俺の名前は書くな」と脅された。そう、結果的に生きていても地獄、死ぬのも地獄、という最悪な環境になっていた。
自殺を思いとどまらせてくれたラジオ
高校2年の頃から、当時のTOKYO-FMで放送されていた「赤坂泰彦のミリオンナイツ」という番組を聞き始めた。
事の発端は、当時は体育の日が10月10日で固定されていたのだが、その日に放送された笑っていいとも!のテレフォンショッキングで、(記憶が確かなら)前日のゲストの坂崎幸之助さんからの紹介を受けて出演したDJ赤坂の喋りの面白さから、「この人のラジオを聞いてみよう」と思うようになったのがきっかけだった。
ミリオンナイツの中でも面白かったのが、「火曜の23時台のうさんくさいPOPS」というコーナーだ。詳しい説明は省略するが、このコーナーだけは母親にばれないように大声で笑ったものだった。
それだけではない。ミリオンナイツからは昔の名曲を色々と学んだ。
特に、私のカラオケの愛称曲である、柳ジョージの「青い瞳のステラ、1962年…夏」という曲や、Elvis Presleyなど、洋楽邦楽を問わず、時代を超えた名曲の良さを感じたものだった。
ちなみに、私が人生で初めてリクエスト曲を掛けてもらったのが、このミリオンナイツだった。(確かCulture Clubのカーマは気まぐれだったと思う。何しろ20年以上も前の記憶なので、そこがあやふや。)
ミリオンナイツ終焉で窮地に追い込まれたが…
そんな1997年9月30日、番組のパーソナリティーが交代するという理由で、赤坂泰彦のミリオンナイツは終わりを迎えた。
ただ、ミリオンナイツという番組名は翌日以降も継続したが、私にとって「ミリオンナイツ=赤坂泰彦」という公式が成り立っていたので、それ以降ラジオを聞く気にはなれなかった。
その当時、私へのいじめはますます悪化し、もう自殺するしかないと思っていた。しかし、前述の通り、生きていても地獄、死ぬのも地獄、という最悪な環境になっていた。
そんな俺に生きる希望を与えてくれた曲がある。
たまたま、昼休みの放送である1つの曲がかかっていた。その曲を聴いたとき、「何で死ぬなんて馬鹿なこと考えてたんだろう」と思うようになった。
そんな私の心を生き返らせてくれた曲、それが広末涼子の「風のプリズム」である。
そう、私の自殺願望を一瞬にしてかき消してくれたのが広末涼子だったのだ。
これが、私が広末涼子にハマるきっかけとなり、ファンクラブにも入るくらい好きになった。
今思うと、この時の状況と、私が松下玲緒菜を好きになり、はまっていくきっかけの過程には似てるところがあると言って良い。
私が松下玲緒菜を好きになったきっかけとなった出来事
2017年5月8日に発売された週刊プレイボーイで、表紙を飾った赤いビキニの女の子松下玲緒菜という子の存在は知っていた。
もちろん玲緒菜がまねきケチャのメンバーであることは知っていた。
ただ、その頃は精神的にも充実していたこともあり、まねきケチャのライブに足を運ぶことはなかった。
そのことについては、昨年のアルバムのリリイベのときに玲緒菜の私物サインで、前述のプレイボーイにサインをしてもらった時に、「どうしてもっと早く会いに来てくれなかったの?」って怒られたけどね(と言っても声帯結節の影響で声が出せなかった時だから筆談でだけど)
しかし、2019年になって状況が一変する。
2019年初めのころの私は少なからず偏見を持っていた。
それは「アイドルは口パク」とか「CDではうまくても生歌は下手」や、「アイドルヲタク=怖い、キモイ」というものだ。
恐らく某48グループやそのヲタたちがネット上でそう叩かれていたことが少なからず影響してるのかもしれない。
今になって思えば、まねきケチャ強化計画vol.42で、美桜ちゃんが「今年最後に物申す」というところで出した、SNSにとらわれすぎ、というものが身に染みてくる。
ただ、その偏見を変えてくれたのが2019年2月17日に放送された福祉大相撲にまねきケチャが出たことだった。
そのときは松下玲緒菜が出るから、という「玲緒菜目当て」で見ただけだったのだが、そのときのまねきケチャの「きみわずらい」や「U.S.A.」の歌唱に衝撃を受けた。
少なくとも、U.S.A.はまねきケチャの歌ではない(DA PUMPの曲)ので、生歌であることは見破れていたが、生歌でも持ち歌をこんなに素晴らしく歌えるって凄いんだな、と。
ただ、それでも現場に行こうという思いは起きなかった。というのも、その頃の私は仕事もメンタル面でも安定していたのと、娯楽よりも仕事が大事、と考えていたからだ。
だが、2019年3月に詳しいことは書かないが、玲緒菜にある事件が起き、1か月程度の活動自粛期間があった。
その時の私は、松下玲緒菜というタレントが好きだったのと、「活動自粛=引退、卒業」と勝手に解釈してしまったこともあった。そんなとき、Twitter(まねきアカではないアカウントで玲緒菜のアカウントを見ていた)で玲緒菜の生誕祭のTシャツの販売締め切りが間近と知り、4月12日になって(確か締め切りの2時間くらい前だったと思う)、玲緒菜の生誕祭Tシャツをスマホから購入した。ただ、それは玲緒菜が好きだったという思いと、前述の私の勝手な解釈があり、「これを買わなかったら玲緒菜のグッズは永遠に手に入らなくなる」という私の勝手な解釈が買うように思わせたの思うのだが、今になって思えば、この玲緒菜グッズを買ったことは、私にとって正解だったと思う。
もちろん、玲緒菜は5月になり活動を再開したが、玲緒菜の生誕祭Tシャツは私にとって少なくとも「玲緒菜に会いに行きたい」という動機づけとなったのかもしれない。
もっと言えば、玲緒菜に会いに行きたい、という思いを強くする導火線となったのが4月に職場環境が変わったことにあると言って良い。
4月から職場であり得ないようなパワハラなどが始まった。
空気読めない上司など、はっきり言って私のメンタルを破壊されるようなことが多くなった。
仕事でストレスが溜まることがあったりした。パワハラ、人格否定、プライバシーの侵害ともとれる行為など、もはや人間扱いされていないのでは、と感じることが多くなった。そんなとき、愚痴を吐ける親友などいないし、職場の同僚も信用できない。
前述の通り、私は精神的に弱い人間なので、消えかけていた自殺願望が再燃しだした。
8月に入り、メンタルを回復させる期間が出来た。そんなとき、まねきケチャの4周年公演に行ってみたいという思いが少なからずあった。だが、「曲をほとんど知らないのに行っても楽しめないだろう」と思って断念した。もちろん、CDは買っていたけど、忙しさの余りCDを聞けていなかったことも大きく影響している。
9月に入ると、パワハラなど空気を読めないことが増えだし、メンタルはボロボロになり、生きていることが嫌になるレベルにまでなっていた。
恐らくそれがうつ病だったのかもしれないが、幼い頃に母親から「うつ病(=精神病院に行く、入院すること)は恥」と洗脳されていたので、メンタルが破壊されている=恥、と思うようになり、本気で自殺を考えるまでになっていた。
玲緒菜に会いたい、と衝動にかられた出来事
それが玲緒菜のたった1つのツイートで大きく変わった。それが、9月19日のLOFT de まねきケチャの告知ツイートを引用RTしたツイートだった。
松下玲緒菜が好きだった私(もちろん、グラビアを一緒に披露していた宮内凛ちゃんも好きにはなっていたが、先に好きになったのが玲緒菜だったので、どうしても玲緒菜を優先してしまう状態だった)は、「玲緒菜のメイド姿が見たい」という思いから前日の18日に急きょチケットをとった。実は当初は19日の木曜はどうしても外せない予定が入っていたので、行く予定はなかったのだが、その予定がなくなったので、急きょ行くことにしたのだ。
夜に、近所のローソンまでチケット代を払いに行ったことを覚えている。
初めてのライブで受けた衝撃とヲタクになるきっかけ
そして翌日の仕事帰り、初めてのまねきケチャの現場でライブが始まったとき、私は「うわ、こういう現場私には合わないわ」と思った。それは「コール」とかいうやつだった。私の中で、「ライブは歌を楽しむために行くもの」という概念があったのだが、ヲタたちのMIXに「何やってんだ、こいつら」と思っていたのは事実だ。
ただ、ライブが進むにつれて、私も一体となっていたことに気付いた。
その背景には、最初は「玲緒菜のメイド姿が見たい」という不純な動機だけで行ったのだが、玲緒菜が歌ってる姿や、玲緒菜の歌声を聴いているうちに「何で私は死にたいなんて馬鹿なこと考えてたんだ。」と思うようになった。
恐らくそう思うようになったのは玲緒菜の歌う姿や歌唱力もそうなのだが、メイド風の自己紹介で「カランコロン、お帰りなさいませ、ご主人様、オムライスにしますか?それとも玲緒菜にしますか?みんなのハートに火をつけちゃうよ」という自己紹介(もともとの玲緒菜のロングver.の自己紹介に近いものだと後に知る)が私のハートに火をつけたのかもしれない。
いや、もともと松下玲緒菜が好きだったのだが、その思いが一挙に爆発するかのように、火に油を注いだかのようだった。
それだけでなく、気付けば、玲緒菜だけでなく他の4人も好きになっているという「箱推し(但し、玲緒菜メイン)」にしてしまったという恐ろしいパワーを玲緒菜は私に与えてくれた。
ただ、それでもヲタたちの空気感になじめなかった私だったが、その日のLOFT公演のラストで歌った、タイムマシンという曲だった。
タイムマシンの歌詞って、私の置かれていた状況をそのまま表してるのか、と思うような歌詞で、私の中で「もう1回こういう現場に行ってみよう」と思うようになった。
それがきっかけで全国ツアー初日、東京公演のチケットをとったのだが、最初は「安いチケットでもいいかな」と思っていたが、多少高いけど、限定Tシャツとチェキがとれるというので、Sチケットを買った。その段階で私は「玲緒菜とチェキを撮って思い出にしたい」という思いが強くなり始めたのかもしれない。
初めての玲緒菜とのチェキ、そして認知されるきっかけ?
10月6日のまねきケチャの全国ツアー、東京公演では最初からヲタと化している自分の存在に気付いた。
ライブ後の特典会は初めての参加だったので、どうしていいか分からなかったが、「松下玲緒菜チェキ最後尾」みたいなのを見つけて、「ここに並べばいいんだ」と思い並んだ。
そして、初めてのチェキはサイン入りにした。
初めて特典会に参加したことを話した。
それから玲緒菜に会いたい、という思いが日に日に強くなり、20日の強化計画に参加することにした。特典会は2回目だったが、玲緒菜にまだ認知されてなかったこともあってか、「初めてだよね?」と言われたんだよね…(でも可愛いから許す!)
ま、そりゃ玲緒菜は多くの常連ヲタとチェキ撮ってるから、新参者の私のことなんか覚えてるわけないかwと私は納得したけどね
その後ちょっとしたことがあったんだ(俺が玲緒菜に渡したお預けチェキ券を玲緒菜が間違って捨てた?)けど、その後の対応の良さ(ちゃんとお預けチェキになるようにしてくれた)も神だと思ったよ。ま、そのチェキは宿題チェキにしたんだけど、宿題チェキのシステムを私が理解していなかった(お預け券をどうしたらいいか)のもあったんだけどね。
ただ、この日、今では「玲緒菜推しより石橋哲也推し」と思われることがある石橋哲也を初めて見たんだけど、初めて見たときは「オリラジの藤森?」って思ったもん(笑)
でも、そのちょっとしたことが玲緒菜の中に印象に残ってたのもあったのか、私もシステムを理解できていなかったことも謝りたいと思ってたのもあったので、11月2日の東洋英和女学院での学園祭ライブ後の特典会で話題になったりしたのよね。
で、その日の会話の締めははっきり覚えているんです。翌日の60分1本ケチャに行くのと、玲緒菜の蒙古タンメン中本の北極好きを知っていたので「明日のライブ前に北極食べてくる!」と宣言したんだよね。
もちろん、約束通りカフェで北極を食べてから行ってそのことを話しした11月3日。
そして11月の強化計画は昼と夜両方参加しました。
夜の強化計画で私、恐ろしいことやりました。
玲緒菜の公式Tシャツを着て現場に行くようにしてますが、その公式Tシャツが新しいものがなくなったというのもあり、私自身が描いた玲緒菜の似顔絵Tシャツを着て行ったんですよ。特典会でその話をしたら「似てないけど、可愛い」って言ってくれたんです。
はっきり言うと、私のイラストのレベルは小学生レベル説なんですけど、そんな私のイラストでも否定することなく「可愛い」と言ってくれたんです。
(ただ、お預けチェキには似てない!って書かれたけど笑事実だから文句言えませんw)
松下玲緒菜ヲタクへ暴走?開始
この「似てない似顔絵Tシャツ」が私にとって大きな転機となりました。
次のまねきの現場は11月20日のロフトだったんですが、特典会でお預け券を渡す瞬間に私の名前を言ってくれたんです。
たかが2か月弱で、現場にも7回くらいしか行っていない(特典会は6回)私のことを覚えててくれた、と。その時心の中で泣いていました。
その後、私はTwitterでの嫌がらせ(鍵アカからの大量の嫌がらせなど)により、Twitterをやめたい、と思った時も、玲緒菜のツイートや、玲緒菜に会いたい、という思いからTwitterを復活できています。
そして、玲緒菜がインスタで「苦い人生」パーカーを着てるのを見て、同じパーカーを買うなど、11月下旬あたりから、完全に玲緒菜への思いが強くなり出したのかもしれない。
そのパーカーを着て12月1日は調布の布多天神社での無銭ライブに行きました。
12月2日には初めてのリリイベ参戦で、玲緒菜の20秒動画を手に入れるなど、NO REONA NO LIFEとなってしまってました。
その次の現場は11日のLOFTでしたが、そのときに玲緒菜に14日の運動会のこと聞いたりしました。
14日はアスリートで参加してもいいように、前日に玲緒菜カラーのスニーカーを買うなど気合い入れて行ったんですが、結局応援席で応援していましたが、私の応援が足りなかったのか、玲緒菜チームは下位に沈んでいましたね…
その前日に玲緒菜の声帯結節が明らかになり、それがショックで夜眠れずに川崎に向かったことを覚えています。
その日の特典会で、私は本音を最後に言いました。
早く喉をまた、素敵な歌声聞かせてね。
それは、前述の通り、玲緒菜の歌声に人生を救われてきたからこその一言なのだが、その時、玲緒菜は小さな声で「ありがとう」と言ってくれた。本当なら嬉しいことなのだが、玲緒菜の喉のことを考えたら、無理しなくていいよ、と言った。
でも、玲緒菜はリリイベでは歌は歌わないけど、ダンスで魅了してくれた。そしてその間の自己紹介は美桜ちゃんが玲緒菜の代理をリリイベ中はしてくれたが、1回だけ(確か17日の方)「炎属性の〜」ってところを「雷属性の…」と美桜ちゃん自身の属性を言うとかしたりするなどあったりもした。でもそれはそれで心が暖まった。
そして、その17日にあったリリイベで個別サインなどのときに、25日サンタのコスプレしていく!と言ったんですけど、25日のクリスマス歌合戦の後の特典会でそのことを覚えていてくれたんですが、私は「夜はサンタコスだよ」ってつもりで言ったんですけど、昼の特典会でサンタのコスプレしてないのを見て、「サンタさんじゃない…」って言われました。
でも、その時から声は出せるようにはなっていたので、おそらく25日に病院で声は出してもいい、とでも言われたのでしょうね。
玲緒菜の記憶力って凄いと思います。たくさんのヲタクと話をしていてその話を全員とまでは行かないまでも覚えているってくらいですからね。で、夜にサンタのコスしていったら「どこで買ったの?」とかいろいろ話題を引き出してくれる。そう、会話の引き出し方も上手。私は玲緒菜と話をすることで自分に自信をつけるようにしています。
そして、28日のロマコンのときは、例の玲緒菜の生誕祭Tシャツを着ていきました。私にとって思い入れの強いTシャツを玲緒菜に(生誕祭行ってないけっど)見せることが出来てうれしかったです。
で、夜のリリイベの私物サインでは、10月6日に玲緒菜と初めてとったチェキのときに着ていたTシャツにサインを入れてもらいました。
まねきケチャにはまり、松下玲緒菜から生きる希望をもらった2019年。
松下玲緒菜がいなかったら、いや、まねきケチャにいなかったら、私は絶望の淵に追い込まれ、メンタルを破壊され、今頃はもう廃人になっていたかもしれません。
今思えばあのプレイボーイの表紙を見てプレイボーイを買ったのは、何かしらの暗示だったのかもしれません。
松下玲緒菜さん、生まれてきてくれてありがとう。
まねきケチャのメンバーでいてくれてありがとう。
2年前にプレイボーイの
表紙を飾ってくれてありがとう。
素敵な歌声で私を魅了してくれてありがとう。
そして、私に生きる希望を与えてくれてありがとう。
このように玲緒菜の存在が私を前向きにさせてくれてるんです。
大袈裟に言ってるようだが、それくらい玲緒菜が生きる希望なのだ。
松下玲緒菜の魅力とは何か?
私は2017年5月8日に発売された週刊プレイボーイの表紙を飾った赤いビキニの女の子に一目ぼれしてプレイボーイを購入した。それが松下玲緒菜だった。それが私が松下玲緒菜の存在を知ったきっかけだった。
松下玲緒菜は「ナチュラルボーンアイドル」。そう、生まれながらにしてアイドル、いや、アイドルになるために生まれてきたと言っても過言ではない。
しかも、デビュー時からまねきケチャのセンターとして、リードボーカルとして全力でパフォーマンスをしている。
そんな彼女の魅力と言えば、グラビアもそうなのだが、高い歌唱力と特典会での対応の良さと言って良いと思う。
あと、メンタル的に落ち込んでいた私を生き返らせてくれるという不思議な力も持ち合わせているのかもしれない。
特典会に初めて参加したのは2019年の10月6日の全国ツアー初日のこと。初めて特典会に参加したことを話した記憶があります。
ただ、2回目の特典会は10月の強化計画だったんだけど、2回目なのに「初めてだよね?」って言われてまだまだ現場歴が浅いな、と思ったのだが、そこでちょっとしたことがあったんだけど、その後の対応の良さも神だと思ったね。
実はそのちょっとしたことが東洋英和女学院での学園祭ライブで話題になったりしたのね。
で、11月の強化計画で、「松下玲緒菜は神対応」を確信したんです。
原則として、玲緒菜のTシャツを着てまねきの現場に行く、というのが私の中での考えとしてあったので、その日の夜に、私自身が描いた玲緒菜の似顔絵Tシャツを着て行ったんだけど、その話をしたら「似てないけど、可愛い」って言ってくれたんです。
はっきり言うと、私のイラストのレベルは小学生レベル説なんですけど、そんな私のイラストでも否定することなく「可愛い」と言ってくれたんです。
で、これがきっかけとなったかどうかわかりませんが、現場歴2か月くらいなのに、11月のロフトのときの特典会で認識されてる、と確信するようなことがありました。
それ以降も、いろいろと私のことを認識してるのでは?と思うようなこともありました。
17日にあったリリイベで個別サインなどのときに、25日サンタのコスプレしていく!と言ったのを覚えていてくれたんですが、(これは私にも悪いところがあります。夜だけってつもりで言ったんですが)、昼の特典会でサンタのコスプレしてないのを見て、「サンタさんじゃない…」って言われました。でも、玲緒菜の記憶力って凄いと思います。たくさんのヲタクと話をしていてその話を全員とまでは行かないまでも覚えているってくらいですから。
でも、夜にサンタのコスしていったら「どこで買ったの?」とかいろいろ話題を引き出してくれる。そう、会話の引き出し方も上手なんですよ。
喉の関係で歌えないときも、一生懸命ダンスする姿は輝いて見えますし、全ツ最終日の大阪では歌いたいのに歌えない辛さから号泣してしまう、ということもあったようで、まねきケチャのセンターとして、リードボーカルとして頑張ろうというその姿勢も素晴らしいと思います。
松下玲緒菜の魅力って他にもあると思うけど、いま私が思いつく限りではこんなところでしょうか。