「ウィーンの教育?だから何?」~ウィーン音楽院の恩師との思い出(前編)
皆さん、こんにちは! 在米27年目、ニューヨークはハーレム在住の指揮者、伊藤玲阿奈(れおな)です。
1枚の写真から蘇ったある思い出
昨日PCを整理していると、10年前にクロアチアの首都・ザグレブで撮影した1枚の写真が出てきました。
明らかに酔った顔の私(当時33歳)が肩を組んでいる、やはりホロ酔いのヨーロッパ人。彼の名は、ウロシュ・ラヨヴィツ(Uroš Lajovic)。
クロアチアのお隣さんスロベニア出身の指揮者で、ウィーン国立音楽大学(ウィーン音楽院)の指揮科正教授として長年教鞭をとった大御所です。現在のベルリンフィル音楽監督ペトレンコも、ウィーンで彼につきました。
この写真は、ザグレブ音楽院にてラヨヴィツ先生が指導した短期指揮コースの修了パーティーで撮ったもの。
主催したのは音楽院とマタチッチ財団でした。(マタチッチはクロアチア出身の名指揮者。生前NHK交響楽団に何度も客演したので日本でも愛好者に知られています)
指揮コースは、受講生が課題曲を指揮する修了コンサートで締めくくります。私はヴァラジュディン室内合奏団を指揮して、先生がいちばん大事にしていたモーツァルトの「交響曲第29番」をコンサートの最後に任されました。
すでにカーネギーでも演奏していたりと他の学生より比較的経験がありましたから、私に白羽の矢を立てたのでしょう。いずれにしても、かけがえのない経験でした。
深刻だった ”本場” へのコンプレックス
それにしても、すでに何人もの先生について、プロデビューも果たしていた33歳の私が、どうして自分でお金を払ってまでラヨヴィツ先生の指揮コースを受けに行ったか?
それはやはり、ヨーロッパの保守本流(ウィーン)というものを一度体験したかったからに尽きます。
SNSやYouTubeの発達によってアメリカ音楽界の本当の姿が世界中に拡散する前、つまり2000年代あたりまで、クラシック音楽界のアメリカに対する偏見は日本でもヨーロッパでも酷かったものです。
「歴史が浅いから、科学と資本主義だけ発達して精神的な深みがない」といった具合の刷り込みが結構ありました。オーケストラでも演奏家でも、アメリカ出身と知るや一段低く評価されるのが常だったのです(日本では今でもその傾向が残っています)。
逆に、日本において評価されるのは “本場” ヨーロッパ。評論でも「はやり本場ものは素晴らしい」みたいな言葉が使われていた時代です。
特にドイツーオーストリア偏重な人が多いのが日本の特徴でした(ひとつは明治のお雇い外国人がドイツ系だった影響でしょう。ドイツ音楽ナンバーワンという価値観が広まりました)。
なかでもベートーヴェンやブラームスなどが住んだ「音楽の都・ウィーン」という言葉に私たちは弱いのではないでしょうか?
一方の私は大学からの教育はアメリカで受けましたから、基本的にこの国の音楽メソッドが土台になっています。ですから日本に行くと、たまに「アメリカなのね。やっぱり違うねぇ~」みたいなことを嫌味ったらしく言う人がいたわけです(笑)。
もちろん私は反発したものの、当時は若さや心の未熟もあって支配的な空気に惑わされていました。心の中で「自分の受けた教育はやはり本場には負けるんだ」というコンプレックスが奥底にずっと蠢(うごめ)いていたわけです。
ですから、自分の活動拠点のひとつだったクロアチアで、「ウィーン音楽院の指揮科正教授」による短期コースが開催されると分かったときは、すぐに決断。なんせ "音楽の都・ウィーン" の大先生なのですから(笑)
つまりは、自分のヨーロッパ・コンプレックスを穴埋めするような気持ちでNYから飛び立ったのでした。
意外すぎた最初の授業でわかった名指揮者たちのテクニック
初日にクラスへ行ってみると、10代後半~20代前半の学部生がほとんど。予想していたとはいえ、やはり私が圧倒的に最年長でした。
自己紹介もそこそこに、最初にラヨヴィツ先生が教えてくれたのは、なんと指揮の図形を描くところからでした。
「3拍子なら三角形の形でこのように」といった具合で、そんなことは最初歩、ピアノならドミソの音を習うようなもので、音大の指揮科がやるものでは普通ありません。しかし、あえて基礎の基礎から始めたわけです。
それには先生の意図があって、むかしウィーン音楽院指揮科において正教授を長年つとめ、名教師と謳われたハンス・スワロフスキーによる腕の動かし方を細かく私たちに教えるためでした。
アバド・メータ・ヤンソンス・・・きらめくばかりの名指揮者たちを輩出したスワロフスキー式メソッドはおそらくラヨヴィツ先生(むろんスワロフスキー門下)にとっても誇りであり、ウィーン音楽院指揮科の輝ける伝統であったのでしょう。
先生ご自身もペトレンコという世界最高峰のポジションを勝ち取った弟子を送り出されておられます。私にとっても願ったり叶ったりです。
しかしながら、時間が進むうちに苦痛になってきました。メソッドが悪いという訳ではなく文字通りの意味で、指揮棒の動かし方が私の身体に合わなくて、手首に痛みが生じだしたのです。
ラヨヴィツ先生によると、スワロフスキー式の指揮法では、腕を動かしながら手首も一緒に動かして拍を示します(=打点を作ります)。
その結果、4拍子を例にすると、2拍目を打つときや、4拍目から1拍目に移動するときに、手のひらが真横かそれより自分側(=内側)に向くのです。指揮棒の高さが最高点に達する1拍目を振り下ろす瞬間は、ほぼ間違いなくそうなります。
スワロフスキー自身の写真を見て下さい。
これは1拍目を振り下ろす直前にあたりますが、手のひらは真横ですね。このとき指揮棒は上を向いています。
彼の弟子で、ベルリンフィルを手中に収めたアバドにしても同じです。
やはり手のひらは横、やや自分寄り、そして指揮棒は上を向いています。どうやらこれは師匠譲りのようで、実際に動画を見ると、手首を使って打点を取ることをよくやっています。
他のメソッドでも似たようなものですが、スワロフスキー式で習った指揮者はこの傾向が強いようです。指揮棒がよく上に、たまに聴衆側にさえ向いています。
それに対し、私は手首を動かさず、手のひらを床に向けて固定して打点を作るのを基本形として訓練しました。これに従うかぎり、どんなに高くなっても指揮棒は上を向かず、奏者側を向きます。
このやり方は、ジュリアード音楽院の夜間部でついたヴィンセント・ラ・セルヴァ先生の指揮法にヒントを得て、自分なりに改良して使い続けているものです。(これに関しては2023年に大学の紀要において論文として発表したので、近日中にお伝えします)
いずれにしても、私の不器用さもあって、ラヨヴィツ先生が熱心に基礎を指導してくれても、運動嫌いな私の手首がすぐに反乱を起こしてしまう(笑)
しかし、アバドやヤンソンスが多用していたあのテクニックの秘密が解明されたのは嬉しかった。それにラヨヴィツ先生も、いったん基礎を理解させたら、手首についてまで押し付けることはしませんでした。
次回:そして、さらなる驚きへ
さて、この "基礎の基礎クラス" は1時間ほどで終わり、小休憩です。
私は「やっと実践だ」と思いこんで指揮台に向かう準備をしていたのですが、ここでふたたび肩透かしを食らうことになります。
「うーん、これがウィーンか。たしかにアメリカとは違う・・・」
皮肉ではなく、心から感心した私のつぶやき。いったい次のクラスは何だったのか?
「良くも悪くも『さすがウィーン!』な教育」
「ある有名な日本人教師への嫌悪」
「アメリカだぁ?論外!」
・・・いろいろ絶好調のラヨヴィツ先生。
©伊藤玲阿奈 2024 無断転載をお断りします
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