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逸失利益

私は昨年の春から手話講習会に参加しています。
全くの初心者でしたが、先週スピーチをしました。
「学生時代の思い出」について自由に考えてきて下さいと講師の先生に言われました。
2、3分のスピーチということでしたが、台本を書いてみたら、かなり長くなってしまいました。台本を見ながら何度も練習して、最後に動画に撮ってみたら、なんと15分もかかりました。削れる部分は削除して台本を修正しました。指文字にはあまり自信がないので、その部分はどうしてもゆっくりになります。
動画を撮り直したら、8分でした。それ以上カットする部分がないのでそのまま本番に臨みました。どのくらいの時間を要したかはわかりませんが、何とかやり切りました。
来月で講習も終わります。
春、夏、秋、冬と我ながらよく頑張ったと思います。
手話ニュースも少しは理解できるようになりました。
講師の先生は聴覚障害者の方と手話通訳士の方です。
手話でうまく質問できない時や難しい話をする時は通訳の先生が話してくれるので、頼りになりました。
聴覚障害者の生活についても色々知ることができました。
学校は始まりと終わりに緑のランプが点灯して知らせてくれます。火事などの緊急時には赤いランプが点灯します。灯りは聴覚障害者にとって重要なものだそうです。

先日、ニュースである出来事を知りました。
聴覚障害者の女性が事故に遭い、亡くなってしまったそうです。それに対して彼女の【逸失利益】は健常者より低く算定されていたとのことでした。これに対してご家族が
彼女は色々な努力をして、障害を乗り越えようとしていた。もし彼女が生きてその後の人生を送っていたら、健常者と同等の利益を生み出していたはずなので、低く算定されるのはおかしいと訴えたのです。彼女の逸失利益は健常者と同等であっただろうという判決が出ました。

私が習っている聴覚障害者の先生は結婚をしていて、お子さんが二人います。お子さんは聴こえるそうです。お子さんは自分で手話を習得したそうです。先生はほとんど教えていないと言っていました。先生は堂々としていてかっこいいです。
大型バイクに乗っていると話してくれました。

私には今のところ障害はありませんが、これからの生活で何らかの障害を負う可能性はあります。聴覚障害に限らず、障害を持つ人に接する時に健常者側の人は自分とは違うと思って接してしまうことが多くはないでしょうか?
配慮を欠かさなければ、同じ人間同士、対等に接するのが礼儀ではないかと私は思っています。共生できる社会は素敵だと思います。

今年の夏に東京で聴覚障害者のオリンピック、デフリンピックが開催されます。
ボランティアに申し込んだので、講習が終わっても勉強を続けて、デフリンピックの一助になれたら良いと思います。Def is not unusual.

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