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イチャイチャ暴行
横浜市営地下鉄で若い恋人たちに注意をしたうえ、暴行を行った人が捕まった。
どれだけイチャイチャしていたのかはわからないけど、注意して暴行するとは空いた口が塞がらない。
日本人は控え目な人が多いので、公衆の面前でチューしている人を見るのはレアケースだ。kissの文化がある欧米などでは人目をはばかることなく、熱烈キスをしている人もけっこういたりする。
恋人が仲良くしているのは微笑ましいことだ。電車内でケンカしたりして迷惑をかけていたら、それは注意の対象になるかもしれないけど、イチャイチャしているくらい何故見逃せないのか?
イチャイチャするのは迷惑?
五月蝿くしていたなら落ち度は少しはあるかもしれないけど、イチャイチャ、ベタベタくらい若い恋人なら普通するだろう。注意した後の態度が気に食わなくて暴行に到ったのだろうけど、髪の毛を掴んで殴るとは暴漢でしかない。
世の中が寛容さを無くしている。
「温かい眼で見る」という言葉はもはや通用しなくなっている。
失敗した人を見つけては袋叩きにする。
芸能人のみならず一般人まで少しでも失敗すれば、晒され叩かれ存在意義を脅かされる。嫌な世の中だと思う。
せっかく個人が自分の想いや考え方を色々な場面で公にできる世界になったのに、代償が大き過ぎはしないか。
自己重要感という言葉の意味を最近考えていた。自分を大切に思う気持ちは大切だが、自分ばかりに眼が向いて他者の尊厳を侵す人も多い。
とにかく目立つことが重要。それには手段を選ばない。他者が傷つこうと知ったことではない。某週刊誌のやり方はヤクザのやり口に似てる。いちゃもん付けて脅す。自分に利益があればOK、他者のことは蔑ろにする。真実を暴いたふりしてき、正義を装う。
先日、京急線内で医師が「これ以上咳きをしたら、殺す」とアイスピックを自衛官の乗客に向けて逮捕された事件もあった。咳きをして殺される世の中では私は生きていけない。
こうした様々な出来事が人を懐疑的にさせる。信じるものが解らなくなった人は無関心になるか、絶対的に信じられるものを探す。そして、そこにつけ込む輩が必ず出てくる。カルト的な集団とか。
寛容な社会になってほしい。
もちろん越えてはならない一線は守らなければならない。それをモラルと呼ぶのだろうか。ネットリテラシーとか最近よく話題にのぼるが、モラルを守り、自己も他者も大切に思えるそんな社会になるよう切に願っている。
私の中のモラルが一般的な水準を逸脱しないように自己監視をしながら、できるだけ謙虚に生きていけたら良いと思う。
辻村深月さんの【傲慢と善良】をまた読みたくなる今日この頃である。