白血病になった父の気持ち①
下の文章は白血病になり脳炎で記憶障害が残った父が書いている文章です。
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いまも、この命があることは奇跡と表現する以外に言葉は見つかりません。日々、健康な毎日を送ることができている方々には、こんな言い方はたいへん大袈裟に聞こえるに違いありません。
しかし、大きな病いに襲われた当の本人にとりましては、自らが置かれた状況について言葉で表現することがたいへん難しい、いや、当初、まったく見当もつかない出来事に出くわしてしまった自分がありました。いつになっても、死と背中合わせになっていた日々の、その自分の狼狽ぶりが記憶の底に残されています。
季節は秋、一年前のことでした。私は何の前触れもなく体調を大きく崩してしまい、総合病院で診察を受けることになりました。五十歳代まで、大病など、増してや、病院に入院して治療を施されたことなどありませんでした。その時まで、お陰様にて健康に何の問題もない自分でした。
しかし、あに図らんや、予想外な病名を聞くことになりました。あなたの病気は急性リンパ性白血病との診断が下されました。八ヵ月前のことです。検査の当日、即日、入院するようにとの医師からの指示が出ました。初見にて、余程、悪い症状が認められたに違いありません。担当医師が何をおっしゃられているのか、私にはまったく理解できませんでした。
これまでに大きな病気をひとつもしたことはなく、至って健康な身体であった自分にとりましては、まさに青天の霹靂でした。何がこの自分に降り掛かってきたのか、入院の、その理由が急性リンパ性白血病であるとの病名の告知さえ、まったく理解できませんでした。病気の症状、必要な治療方法やお薬、さらには完治できるものなのかどうか、また、どのくらいの期間の入院治療が必要となるのか、"ハテナマーク"ばかりでした。
そんな突然の出来事から、八ヵ月間の入院治療、闘病期間を経て、幸いにも退院できるまでに体調を戻することができました。いまは、より確実な回復を期し、自宅にて静養の日々です。この自分にどんなことがどのように起こったのか、それらの出来事を後日忘れてしまわないように文字に書き出して文章にまとめることにしました。そうすることで、何度となく危ぶまれましたこの身の命が、いまもこの世に存えることができているての再確認をしています。
入院先の病院での主治医、看護師さんの皆様にはたいへん献身的なお世話をいただきました。心から感謝しています。いまの自分の存在があるのは、また、いまも呼吸をして生きていることができているのは、すべて、病院にての治療とお力添え、助けがあったからです。
いまの自分にできることは限られています。特に自分の記憶能力に限りがあることを自覚していなくてはなりません。いまだに物事を覚えて記憶に残しておくことに難がありますから、これからも日々の行動もメモ書きして文字にしておかなくてはなりません。
もし、思い出すことができなくなりましても、書き残したものを読み返すことができましたら、自分の辿った道のりの再確認が可能となります。また、そのような繰り返しによって、弱ってしまってもいる脳細胞の活性化、つまりは、記憶力のレベルを少しでも元の水準まで回復したいと願っています。
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