間の取り方|#海で遊ぶ
今回のお題は #海で遊ぶ です。
私は泳げません。浮きますが、水を掻き分けても、足が着いていないと全く進みません。不思議と人生、足掻いても無駄なときは、体を浮かせて、波の揺れるままに身を任せる。やはり、何事も自然の摂理ではないのかと感じています。
海は好きです。濁っていても、透き通っている海でも、その様々な模様と景色を楽しみ、砂だらけになった靴から、その浜の感触を知ることができるんです。
お気に入りの砂浜はいくつかあるのですが、遠出するには少し不便な身体になってしまったので、また、いつか機会があったらと考えます。
私が海で遊ぶと言えば、それは海を眺めて波の音を聴き、明日は何をしようかと、正直、どうでも良いことばかり考えているのです。
けれど、こんなふうに、ボーッとしたり、何の当たり障りもない事を考えることは、会社員の時には全くなかった不思議な感覚なんです。だから、まぁまぁ、これは気に入っている思考の時間。
そういった生活から、海の満ち引きひとつ、その流れに気づきを得る隙間が見つかるようになり、特に、引き潮になった時の、少し岩場で足下が悪い場所から見える風景に、同じ人間社会の満ち潮で複雑な岩礁を悠々と泳ぐ生き物でも、取り残されることがあるのだと、やはり、これも自然からその摂理を得るのです。
さて、海の遊び方は各々それぞれ。ですから、これが私の海での遊び方。こんなものは分かる人なんていないと思って書いているから、私小説というものは書いていてなんの苦もないのだと思うのです。
いえ、このnoteも、使おうと思えばAIアシスタント機能がありますから。私が書くよりも、ずっとより良い提案や気づきを運んでくれるのでしょう。
けれど、それでは私小説になりません。AIとは言え、LLMが全てではなく、しかしながら色々な物を試してみて分かる事は、やはり自分で書くよりは素晴らしい構成の文章を作り上げることも出来るんです。
だから、そうですね。きっと、1文字変わらず、変えられずの文字数指定で原稿を頼まれたときには、それで済ませて。爽快な気分で海に出かけて、波の音をゆっくり聴きながら、間の取り方を考えるんです。
だから、これもフィクション。
またね ^ᴗ . ᴗ ^