採用に関わっているが、学歴は大きな基準になると思う
以前、怒りの(?)投稿をしたが思ったより反響があった。
この某スポーツチームのスタッフ(31)は極みの部類だが、アルバイトから正社員まで幅広く採用に携わっている中でこういったハズレは少なくない。
突如連絡がとれなくなったと思ったら共有していたgoogleドライブに格納されいるインタビュー取材音源を全て消し去るという謎の報復行為をして消えていく女子大生がいた。
威勢良く大きなことを言い高い報酬を求める割には営業で数字をとってこない。それならまだしもアポ取りをしているようで実は新規の連絡を一つもしておらず、こちらが頼んだお客さんへの連絡や作業も全て後回しにして結局やれない30歳もいた。
リモートでできるアルバイトの途中で急に音信不通になるという無責任な大学1年生も見た。これは最近の話だ。
しんどい。世の中こういうのばっかなのか、と絶望することもある。自戒も込めて。
とにかく「採用は難しいな」と感じる次第である。
人や組織によって採用基準は違うし、どれが正解、というのもない。ただ、自分がこれまで小さい規模ながら採用に関わって思うのは「学歴フィルターは合理的だ」ということである。
自分が務めているのがベンチャーであり決断力・判断力、行動力のスピードが求められるという前提もあるが、仕事は高い情報処理能力と状況判断の速さがないとやっていけない。
もちろんここについては自分もまだまだだ。一方、勉強ができる、学力が高い人はこの部分を一定水準以上は備えていると思う。
受験勉強をしてある程度の偏差値が高い学校に入るためには努力が必要だ。すべての科目が得意で勉強が大好き!楽しい!という人ばかりではないだろう(そういう人もたまにいるけど)。
そういう意味では苦手、不得手なものと対峙を受け入れて自身の目標(志望校合格)を達成しているということだが、“仕事”はそんなもののオンパレードである。
はたから見れば自分は好きなことをやって楽しんでいるように見えるが、めんどくさいことややりたくないことなんてたくさんある。
ガラケーしか触ったことなくてコミュニケーションの基本は電話、みたいな人に「オウンドメディア」について教えなければいけないこともある。難題だしできればやりたくない。好きなコンテンツだけを作っていたい。ただ、それを越えないと「やりたいことをやる」ための原資を手に入れることはできないのだ。
これは極端な例かもしれないが、やりたくないことや苦手なことと向き合い処理するスピード、そしてそれを越えた上で楽しいことが待っているという認識や経験は若いうちに持っていたほうがよい。全てが楽しいことばかりではないのだから。
高偏差値の学校へ合格している人は上述の体験が備わっていると思う。仕事をする上で必要となるベースの部分を兼ね揃えている、と言い換えることもできる。
もちろん、偏差値が高くない学校出身の中にも優れた人物がいるケースもあるし、そういった人には積極的に出会いたい。ただ、アマゾンの中で指定された1本の木を見つけるみたいなもので、大いに時間とコストがかかる。
こういった人は自ら探しに行くのではなく、どこかで出会うことを願うほうが良い。
つまるところ、採用募集に手を上げて来た人の中から誰かを選ぶ場合は、まず学歴で判断するというのは至極理にかなっていると思うのだ。
ちなみに、自分は大学よりも高校を見る。それについてはひろゆき氏の以下のインタビューに近いので、読んでもらえると。
では、そんなところで。