7人の元カノと、1人の曖昧な存在に2年かけて会ってみた話
2021年11月01日、この日僕は、今までの元カノ達に会わないといけないと感じた。
会って聞かないといけない。
そうでないと自分が土台から崩れてしまうような感覚があった。今まで地面だと思って歩いてきたものが、不安定で気まぐれな巨大な亀の鼻の上なのかもしれない、そう思わせられる出来事に遭遇もしくは、導いてしまった。そうなるともう次の一歩を踏み出すことはできない。
僕は中学生のころから、好きな人ができると周りから冷やかされようがかまわず好意をアピールするタイプだった。それが功を奏したのかは分からないが、アラサーの年齢で彼女が居ない期間というのが、いる期間より短い人生を送ってきた。
しかし、どの期間でも一度たりとも期間が被ったことはない。僕なりではあるが極めて紳士的なお付き合いをしてきた。
別れ方は七人七色、大学受験のいざこざや、僕に好きな人が他にできたことなどもあるが、だいたい半分くらいは僕起因、もう半分くらいは彼女起因だ。(元を正すと僕起因と彼女らは言うかもしれないが)
全員に会おうとなると、簡単な順で進んでいくのが順当だ。東京近郊を拠点にしていて、連絡しやすい、そんな元カノを探すとカスミが、挙げられた。
カスミは中学生の頃の元カノだった。僕のクラスの仲良いグループの1人でこのグループはしばしば何かをキッカケに集まっていたので中学ぶりの連絡というわけではない。
とはいえ、個人宛に連絡するのは5年ぶりだった。少し悩んだが、カスミは深く考えるタイプではないので、ストレートに会って話したいという思いを伝えることにした。
久しぶり、東京にいるんだって?、どっかでお茶でもどう?※ねずみ講じゃないです。
元カノ達は、当たり前にそれぞれの人生をあゆみ、彼氏や夫が出来ている人も多いので全員、昼に会うことを努めた。
カスミは返事が早く、
「久しぶり〜、なにそれwいつがいい?」と好感触だった。
東京では看護師の仕事をしているらしく、実際に会ったのは連絡から約2週間後のことだった。少ない自由時間を、盛り上がらないことがほぼ確定している会に当ててくれたのは少し申し訳ない気持ちになった。
久々に会ってみると、カスミはやはり大人びていて、ロングの髪で袖にボリュームのある薄ピンクのセーターを着ていて細かい花柄のタイトなスカートを合わせていた。中学のころは髪は短くボーイッシュで僕よりもスポーツができた。会った瞬間、中学生のころにバドミントンでボコボコにされたことを思い出した(カスミはバレー部で僕はバスケ部だった)。カスミからは「どうしたのその髭!取ったほうがいい。」と言われた。
たしかに僕も口髭と顎髭を生やしていたので以前会ったときとは想像つかない違いだったかもしれない。
表参道の外れにある、クレープと紅茶をいただける店に入り、近況をそこそこに、雑談や共通の知人の話や、少し品のない話をした。カスミは品のない話が好きなのだ。僕も嫌いというわけではない。
その後、僕から
きしょい話なんだけどさ、僕と付き合ってたときになんかのストレスとか感じてた?と聞いた。
「きしょ、覚えてるわけないじゃん。」
だよね。
「んー、本音をお互い話しきらんかったよね、処女って感じ」
僕が処女のほうなのね笑
カスミはこういう言葉遣いが多い。
「どういう質問?」
知らず知らずに人にプレッシャーとかストレスを与える人間っているじゃない?
僕はそういう要素を気づかぬうちに持ってるのかなと。
「うーん?、なに急に。そんなことはないと思うけど、んーこの人はなにも変わってくれないなという印象があったかな、カスミの話は聞いてくれるけどそれで、どこかを変えてくれるわけじゃないというか」
カスミは、なんだコイツという顔をしながら答えてくれた。ほぅ、中学生にもなると、今の僕を作り上げる素のようなものは大方できているものなのかもしれない。
その後も雑談を続け、少し買い物したいというので付き合い、夜ご飯あたりの時間になり解散した。
お互いきっと少し物足りないなと思っていたと思う。どちらかが夜も一緒にと言い出すときっと続いていたと思うが、きっと物足りないくらいがちょうど良いものなのだ。
2人目は会うのが簡単だが、素直な会話ができるかというと少し不安だった。境遇はほぼ同じで中学の仲良いグループの1人でアキちゃんと呼ばれていた。アキちゃんとは高校生の手前あたりに付き合い、僕が高校の新しいクラスの女の子を好きになってしまい別れてしまった。その後風の噂(カスミからの直通)で、希死念慮を抱くようになり、一度自殺未遂にまで発展したらしいというのを聞いていた。
中学仲良しグループのメンバーだったので再会時はお互い何事もなかったかのように取り繕っていたが、なおのこと会わなくてはいけない気がした。
同様にアポを取ろうとしたのだが、カスミを呼ばないか?という提案に繋がった。誤算だった、初めから2人一緒に呼んでおけばいい話だったのだ。
しかし今回またカスミを呼ぶと余計、「どういう風の吹き回し?」という流れで詮索されやすくなりそうで、嫌だった。
なんとか会話をずらして、お互いの共通の知人の梨本を呼ぶことにした。梨本は僕の中学時代の親友で何もかもを知っていて、何もかもを静観している。そんなやつだった。
アキちゃんは地元から、誰よりも早く上京し、舞台俳優や声優業を行なっていた。
年末は色々と忙しいらしく、年明けにということになった。
その年の東京は珍しく雪が降った。地元が札幌だったので、東京の汚いガムのような雪に少し落胆してしまった。皆一様に傘をさす理由も分かった。東京の雪はもろく、身体に着くとすぐ溶けてしまうのだ。北海道の雪は身体に積もり家に入る前に払えばほぼなくなる。
いつかのあの娘の、頭に積もった雪を払ってあげるのが好きだったことを思い出した。
雪は地面に積もることなく、よく晴れた冬の日の午後、アキちゃんと僕は秋葉原で少し困っていた。梨本が集合時間になっても現れないのだ。遅刻はよくするやつだったが、ドタキャンとなると初めてだった。しかし正直僕としては立ち入った話がしやすいので好都合ではあった。梨本は本当にすべてを知っているのかもしれない。
アキちゃんと梨本に寄せて、メイドカフェで遊ぼうということになり予約していたので1人不在のことを告げて老舗?のメイドカフェに赴いた。正統派?なメイド服に「おかえりなさいませ、ご主人様」という挨拶で迎えてもらう。アキちゃんはブラウンのロングヘアーを片方に結ってヘアーアイロンで巻いていた。格好も大きいリボンのような結び目がついたコートだったのでメイドの世界観によくマッチしていた。導かれるままに席につき軽食とホットコーヒー的なものを頼んだ(店独自の名前が付けられていた)。アキちゃんは基本ニコニコしつつ、ホット抹茶オレ的なものを飲みながらメイドさんをチラチラ見ていた。
2人で梨本の話やカスミの話をしていて、自然に付き合った頃の話になった。
「あの頃は大変だったな〜今もだけど」
感受性豊かなころだもんね。
彼氏としてどんなんだった?と聞くと
「えっ、う〜ん、優しくしやがって〜って感じだった、私は?」
僕は切り返しがあると思っていなくて少し狼狽したが、聞かれたのだから当然聞く権利はある。アキちゃんは様々な思いにオブラートをつつみかわいげをトッピングして答えてくれたので真意やディテールがほぼ見えることはなかった。僕も一旦ユーモアを乗せてそれに倣うことにした。
でっかいloveだったかな?(僕にとっては持ちきれないくらい大きいものだった)
「なにそれ」
と歯茎がちらりと見える笑い方をした。
僕と付き合ったのって、人生においてマイナスになりそう?と訊ねると
少々怪訝な表情になり、
「なに?〇〇、病んでるの?」
いや、そういうわけではないんだけども‥
「あの期間は、楽しいだけではなかったけど今のお仕事につながるきっかけがたくさんあったから全然後悔していないよ」
そっか。
その日はその後、適当にゲーセンに行き、ノートパソコンくらいの大きさのプーさんを取り、アキちゃんにあげた。クレーンゲームはあまり得意なほうではなかったのだが、その時はなぜかすんなりとしかも1発で取れた。アキちゃんはとても喜びずっとプーさんをだっこするスタイルで歩き、アキバとマッチしていて少し気恥ずかしかった。
その後、夜ご飯前に解散した。
あとの5人は、難易度が一段あがり、遠方か拗れた別れ方をしたものだ。とはいえ普通に生きてくための仕事もあり、明日すぐ飛行機チケットをとるといったことは難しかったので、まずは拗れた近場の人から連絡することにした。
名前はサオリ、大学のサークルが同じで社会人になって付き合い、本職OLの傍ら夜や土日にキャバ嬢をしていた。背が小さく、男心をくすぐる小動物系の顔立ちで、自分で自分のカワイイを自覚して発揮するタイプだった。サオリの浮気が原因で別れ、僕はありとあらやる効果的な罵詈雑言を投げつけLINEをブロックされた。Twitterが今回の糸口となるが、友達申請は通るだろうか。
残念ながら申請してから1週間経っても許可されることはなかった。
次点となると、地元の札幌に4人。帰省のタイミングでアクションをとってみるしかない。
時は進み、ゴールデンウィークに札幌帰省の予定をたて、比較的会ってくれそうな札幌の2人に声をかけた。1人は幼馴染のチナツですぐ快諾された。
チナツは高校生まで住んでいたマンションが同じで一階と三階の関係だった。チナツの家にはピアノが置いてあり、夕暮れのレッスンの時間になるとよく何かのワルツが流れてきた。僕は夕暮れとともに空いている窓から流れるそのピアノを聴くのが好きだった。
チナツはすでにママになっており、一人娘を僕に見せてくれた。一歳になっていない娘は古民家カフェのような場所で足の裏を僕に向け、落ち着いて母の太ももに座っていた。チナツは薄手の黒いワンピースでつま先から頭まで全体の線が細く、最近子供を産みましたという風にはとうてい見えなかった。
すごい大人しいね。
「ガヤガヤしてたほうが落ち着くみたい」
これどうぞと用意していた、バスローブセットを娘さんに渡した。
「わー、ありがとう!開けていい?」
チナツが代理で受け取り、娘に見せるとそうそうに噛みついていた。
「なんでも口に入れちゃうの」
美味しい?と聞くと僕の後ろの天井の大きめのサーキュレーターを凝視していた。
この子供は現時点で世界そのもののような気がした。僕が小指を子供の手に近づけると、指を掴んでくれた。一瞬どこかの並行世界のなにかが優しかった世界で、僕の子供をあやす誰かの顔が浮かんだ。
また、いつものごとく、誰々が結婚した〜やどこどこの先生が遠く飛ばされた〜などの話をしていたがいっこうに僕のしたい話に繋げられるような話にならない。
当たり前だが、付き合っていたのは中学生時代。プライドの高いチナツとそもそも恋愛系の話を中学以降した記憶もない。しかも母ときている。
半ば強引に、付き合っていたころの話を始めるとチナツの顔が露骨にはぁ?コイツはなぜこの環境で聞かせたくもない昔話をしようとしてるんだ?という顔になった。
これは今後もう会ってくれなくなるかもしれないと思い、もたせるためにも、今アート系の仕事を副業で少ししているという嘘をついた。過去の作品として僕が作った大学時代のインスタレーションを見せた。
そしてアートの題材として過去の恋人に対して取材まがいのことをしていることにした。だいぶ捲し立てるようにとっさについた嘘だったが信じてもらえたようだった。
「そういえば、昔からわけわかんない物作ったりしてたもんね、先に言いなよね。」
とチラっと娘を見た。
昔から僕は趣味で絵を描いたり、ろくろを回したり、変なものだと釘バット(観賞用)なんかも作ったりしていた。過去の僕にはダシに使ったことを謝らねばならない。人類はアートや創作の名の下になぜだか色々なことを許しすぎてしまう気がする。
「どんなこと聞くの?娘ちゃんの教育によくないんだけど笑」
娘ちゃんもママの過去恋愛話聞きたがると思うけどな、と談笑を挟みつつ少し場が和んだところでつき合ってた頃の僕の印象について聞いた。
「印象たって中学の頃だし、どちらかというと〇〇のお母さんの問題で気を遣ってたし。」
僕の母は中学の頃癌で亡くなった。その亡くなっていく最中(病死の場合、死には最中がある)に付き合っていたのがチナツだ。僕は誰にも相談することはなかったのだが、親しい人には僕の母が癌なことは知られていたようだった。(田舎のネットワークだろう)
「でも、〇〇の中でチナツはあまり重要視されていない気がしていたかも、お母さんの話とかもしてくれなかったし。」
うぅんと首を捻った。誰かに頼る方法をきっと知らなかったんだと思う。ひとりっ子に生まれた人間は頼り方が下手でギリギリまで我慢するか、傲慢になる。
付き合ったのは悪影響だったかな?とチナツに聞いた。
「んー?今こんな話されるのは悪影響だけど、別になんともって感じかな。中学生らしい恋愛したかなって感じ」
そっか。
「〇〇、そろそろ結婚しないの?親の挨拶に行くとか言ってなかったっけ?」
そうだねぇ、そろそろ行かなきゃいけないんだけど。
「ヘタレってこと?」
「そうなんだ、ここ最近ずっとヘタレちゃってね。」
「男気無〜」
そんな話をしているとチナツが帰る時間になり駅まで送った。本当は家まで送りたかったのだが、断られたのでやめた。
チナツは元から美しかったが、娘の存在で、より美しい人になっていた気がした。
札幌の2人目はセリナという名前で、高校生のころに付き合っていた。セリナは真面目で僕よりいくつも大人できっとその差が原因で僕を振ったのだろうと想像していた。
セリナに声をかけたときの返事は
「なんでですか?」
だった。LINEのアイコンは夫と思われる人と飼い猫とのスリーショットだった。
高校生時代に僕が振られて以降、連絡は一切取っていなかったので約10年ぶりということになる。当然の返答だ。10年連絡もない相手からの突然の誘いなど怪しさ満点だ。僕はチナツのときに使った嘘を重ねた。だんだんとディテールが凝ってきてスラスラと言えるようになった。
するとセリナから電話じゃダメですか?
と返信が来た。変わらず優しい子で胸がキュと傷んだ。
本当は会うのが1番だけど電話でももちろんありがたいというのを伝えてゴールデンウィークの暇な日を聞いたが、良い日取りがなく後日ということになった。
後日東京からテレビ電話をかけると、音声のみが繋がった。こちらの映像は届いている状態だ。
「すごい変わりましたね。」
そう、セリナはなにかと尊敬語になってしまうクセがあった。セリナは普段は大人しく真面目なのだがある時は大胆な行動にでる娘だった。
久々!そっちは画面ONにしてくれないの?
「恥ずかしいです。」
顔が見えなく、アイスブレイクしづらかったが、近況を伝え合った。
セリナは高校卒業して看護学校に通い順当に看護師になっていた。
そこで出会ったリハビリ技師?の方と一緒になったらしい。真面目なセリナらしいなと素直に思った。セリナにもこれまでの元カノ達と似たような質問をなげかけた。取材のテイだからか割と具体的に話してくれた。
「1番不信に思ったことは、私の話を信じ切ってくれなかったことがありました。」
僕はあぁと唸った。そのエピソードは僕も覚えている。セリナが下校中、車に乗っているおじさんに声をかけられて少し追いかけられたという話があった。それに対して僕は、ただ道を聞きたかっただけなんじゃない?という返しをしてしまったことがあった。これはセリナの前の元カノがおじさんにレイプされたという嘘をついて大事になったことに起因していたのだが、そんなことはセリナにまったく関係はなかった。
「ん?〇〇くんの存在そのものがストレスとかだったことはないですよ。」
それからポツポツと会話して途切れ出した頃、お礼を言って電話を切った。
「アート作品、完成したら見せてくださいね」
夜の時間なのに外は明るく、太陽が僕の嘘を照らしているサーチライトのように感じた。実際はただただ夏の本番が待っているだけだったのに。
その月のある晩「なんですか?」というLINEが、サオリから届いた、あれから定期的にTwitterのアカウントを申請依頼を取り下げては申請ということをやっていた。
サオリには真意を伝えず、表層だけを伝えた。
今、元カノ全員に会って話を聞くってことを行なってるんだけどサオリはご都合いかが?
「なにそれウケる、何聞くの?じゃあ暇な日お店きてよ」
サオリは、新しいモノ好きで面白そうなことに対してのフットワークが軽い。
今は、ガールズバーとスナックの中間のような店(尤もしっかりとした定義は僕には分からないが)で不定期に働いているらしい。ある水曜日の夜に約束?予約?を取り付け、その店に行った。上野駅の外れの雑居ビルの中にあるバー風味のそのお店には、自作した痛々しい見た目の飾り付けが所々にしてあった。店の脇にはどこか雰囲気のある薄茶色のピアノが置かれ、余計にアンバランスさが強調されていた。その店には彼女1人で夏とはいえ少しやりすぎな露出の服を着て髪を束ねて、バーカンの中でスマホをいじっていた。
「久々〜、痩せた?」
その言葉で僕は自分が痩せたことに気づいた。たしかに腕はマックのカリカリのポテトのようになっていた。前まではホクホクポテトくらいはあったはずだった。
サオリ自体は前と比べ少しふっくらとしていたのだが、彼女は人一倍、体型に対してセンシティブだったので内心うれしかったが言葉は飲み込んだ。(浮気した元カノが太っていると嬉しいものなのだ。)濃い緑のカラコンを入れていたので
そっちはギャルギャルしくなったね、ageha買ってこようか?
と言った。
サオリは、ンハッ!と笑い、自分の前の席に僕を誘導した。その後、
「その節は、申し訳ありませんでした。」
とサオリは浮気についてうやうやしく軽い謝罪をした。発覚後、何度も謝ってもらってはいたが。
別に謝罪を求めて会いに来たわけじゃないんよ、ただ元カノ達に聞いて回っていることがあって。
「え〜なぁに〜?」
まぁ、まずはお酒でも頼ませてよ。と夏の日にぴったりなシャンディガフを頼んだ。
意外にもバーのようなビールサーバがついており生ビールで作っているようだった。
僕の前に、シャンディガフをトンっと軽やかに置くと
「なんなのさ?」
と聞いてきた、あまり適切なタイミングではなかったが、変に伸ばしてもハードルが上がるだけなのでいっそストレートに聞いた。
俺と付き合っているなかでストレスやプレッシャーを感じるな、みたいなことあった?
「ん〜?、洗い物の泡を落とし切らないとか、トイレットペーパー切れても自分のターンで変えないとかそういうの?」
ニュアンスは微妙に違うけど、まぁそんなもんか。
「なんかあったの?」
サオリに浮気されちゃってさ。
「ごめんて、あれは本当に私が弱かったのよ」
「う〜ん、〇〇は付き合っててかなりストレスフリーな方だったけど、喧嘩とかも最後以外ほぼなかったし〜あでも、そういえば自分の領域に踏み込まれること大嫌いよね?、一回〇〇のファッションに口出ししたときに、君に感想は聞いてないって言われてショックだったもん。」
あったかもな〜
その後お酒も進み、大学時代の同じサークルの話になった。それぞれ函館の違う大学に通い複数大学合同のオーケストラサークルに入っていた。
彼女は昔からピアノを習っていて、サークルではチェロを担当していた。
僕は、男子校みたいな大学に入って焦り、なんとか共学のようなサークルを見つけ出し入ったに過ぎなかった。
バックボーンに音楽のオの字もないやつが入るのはあまりないパターンだったが、物珍しさからか先輩方にはチヤホヤしていただいた。
不純にサークルを決めた割に
僕はヴァイオリンを弾くのが好きだった。
森に生きる枯木の鼻歌のような音色と、力を抜いて力強く演奏する技法が禅のようで好きだった。
しかし、単調なリズム練習が嫌いで最後まで隣の人の長さを参考に覚えて、本番では隣に合わせて弾いていた。
最後の発表会で、盛大にリズム面で失敗しそのツケを払わされたことは永遠の僕の汚点だ。それはまるで目立たないところにできた醜いコブのように何かのキッカケで鏡に写ったり刺激が与えられたりして存在に気づき、僕のテンションを下げきりさせる要因となっていた。
サオリは人になにかを話させる能力が高く、僕も久々に気持ちよくバカ話をすることができた。飲むには早い平日の時間から飲んでいたため1人だったが、21時くらいにはチラホラ、サオリ目当ての客が入ってくるようになった。店内の空気が変わり、僕はバツが悪くなり、お会計をもらうことにした。ここに来る時は、ぼったくられても覚悟の上で来たがお会計は少しコスパが悪いかな?程度のものだった。
「もっと居てもよかったのに」
「本当になんもないの?」
と、会計時、本心なのか作っているのか分からないない心配そうな顔をしていた。それはもはや能面と一緒だなと感じた。
僕はなんだか妙に腹立たしくなり、会計後、すぐ退散した。雑居ビルを出たところに円柱の灰皿があったのでそこで煙草を吸うことにした。煙草はサオリに浮気されてから時々吸うようになったものだ。銘柄はPEACE。
残り2人は高難易度だった。
1人は高校時代に付き合っていたハルちゃんだ。単純に連絡先を知らないし、向こうは結婚もしている。高校の友達伝えで聞けなくもないが、あまりにも何故感が強い。
もう1人目は大学時代に付き合っていたミズキちゃんで、僕が振ったことに対して当時は憎悪まで抱いていたように思う。加えてLINEもブロックされているはずだ。
どちらにせよ、強い理由が必要だった。
そこで僕はたくさん策を練ったのだが、どれもこれもちゃんとしたら理由にはならなさそうだった。また少しバカらしくなってきたのも事実だ。
風の噂(SNS)で2人とも札幌にいるらしかったので次回の帰省の際に本当の動機とともに会う約束をしてみよう。それでダメならもうダメなモノだ。(まぁ尤も、今までの動機も本当の動機と変わらなくもないのだが)
最初からなんの意味もなく、誰のためにもならない。強いて言うと自分の、逃避活動、忌避活動、もしくは誰かに殴られるのを待っていた、もしくは抱きしめられるのを待っていたものになるが、そんな展開になるはずもなく、そんな展開は許されなかった。
ハルちゃんのインスタをフォローしDMを送る。
突然ごめん、今度札幌に寄るんだけどランチでもどう?
「急になぜ?、無理だと思う。」
ハルちゃんは昔から毅然とした態度の女の子だった。
当たり前の反応だ、こちら側がきもすぎるだけなのだ。
とりあえず正直に話してみようとした。
正直に話すことで、ある種の胡散臭さはなくなると思った。別の感情が生まれることは必至だが。
実は去年、遺書もなにも残さずに婚約者が自死してしまって、原因としては一緒に暮らしていた僕しかない気がするんだけどその一端でも掴むために、(もしくは現実逃避のために)元彼女達から見た、僕の悪い所を伝えてもらってるんだ。
と、送る寸前で辞めた。
なぜならハルちゃんのインスタグラムにはとても幸せそうな顔の夫と飼っている犬とキャンプしている画像が煌びやかに写っていたからだ。
もちろんそんなものは毎日の幸福の波の頂点部分を切り取ったものに過ぎないことは理解していたが、どうにも水を差しすぎている気がしてならなかった。加えて自分との対比も強烈だった。
ごめん、だよね。
としか送ることはできなかった。
ミズキちゃんには、LINEをブロックされていると思っていたがどこかのタイミングで解除されていたようだ。
札幌にいるって風の噂で聞いたけど本当?、今度札幌帰るんだけど、ランチでもどう?
ミズキちゃんからは1週間たっても既読がつくことはなかった。
2020年11月01日、友人と遊んで0時くらいに帰ると、お風呂場のタオルをかけるとこにタオルを輪っかにして首をかけ婚約者は自死していた。現場を見た時は、ドッドッと心臓の音だけが聞こえ、救急車を呼ぶ冷静な自分に自分自身で少し引いていた。
手に触れると冷たく、タオルを外す時には精巧な人形と錯覚するところだった。
看護師?や救急隊員?が、励ましつつ、
優しい言葉もかけてくれた気がするが何一つ覚えていない。色々な質問がされ、私はなにも考えられずに、答えが分かれば答えた気がする。
こちらにお願いします、と通された先には簡易ベッドの上に置いてある婚約者があった。
医師の淡々とした説明を聞きながら
よく見ると、理科室の蛍光灯のような肌と比べて唇の一部だけが妙に赤いことに気づいた。それは僕がよく褒めてた赤い口紅に違いなかった。それに気づいた時、私は座ることすらできないほど泣いた。なぜ婚約者は赤い口紅だけ塗ったのだろうか、僕に見られることを想像したのだろうか。
その後のことは、あまり覚えていない。
とてもキツい体験だったが何故かどこかの美術館の風景画のようにしか覚えていないのだ。警察の事情聴取が失礼だったこと、婚約者の父に葬式の際に出て行ってほしいと言われたことなど。僕が経験したことのようには到底思えなかった。しっかりと自分が自分として生きていると気付いたのは変な汗をかくようになった夏頃だったように思う。
婚約者は付き合う前に鬱病の診断を受けていた。前のITコンサルタントの仕事が合わず発症したらしいが、そんなことは分からないくらい症状は回復し、新しい仕事に就き、働いていた。
原因は鬱だったのだろうか、2年間強、交際/同棲を経ていたが鬱症状のようなものは特に見当たらなかった。わからない。自分のなにかがいけなかったはずなのだ。喧嘩もそこそこ普通のカップルくらいにはした。
考えれば考えるほど全てが原因に思えたし、全てが原因でない気もした。
もしかすると自分が出す遅効性の毒のようなものが婚約者を蝕んでしまったのだろうか。
2022年10月末に札幌に帰省した、ミズキちゃんから連絡があったのだ。1ヶ月以上未読無視した割には
「ごめん返信遅れた。久しぶりだね、どうしたの?」
という簡潔な返信だった
ミズキちゃんは大学生時代、軽音サークルとオーケストラサークルを、掛け持ちしていた。少し尖った(こうあるべきという理想を貫く)性格をしていたので、どちらも他メンバーと衝突し一年とちょっとで両方辞めてしまったのだった。
常に金髪のミディアムヘアにしておりささやかな社会への抵抗のトレードマークのようにも感じられた。
ミズキちゃんには事の顛末を全て話すつもりだった。付き合ってる当時、彼女ののっぴきならない家庭環境の相談も受けたし、なにより彼女は僕の属していたコミュニティのどこにも属していない浮島のような存在だったからだ。
札幌でラム焼肉のお店を17時に予約し、時間通りに現地集合した。
久々に会ったミズキちゃんは少しスレていて、全体的に疲れていた。髪型は以前通り、ボブのようであまり変えていないようだったが黒髪に違和感を覚えた日本人はミズキちゃんが初めてだった。
目元は変わらずハッキリしていて、すこし吊り目で猫のような印象を受ける。口が小さく、あまり動かない、ひよこ口だと自称していたことを思い出した。
僕が大学生のころプレゼントした香水の匂いがしたが、あえて突っ込まなかった。
「髭似合ってるね」
「ありがと、そっちは金髪の方が良い気する。」
「はぁ〜?清楚系が流行りなんですけど」
ビールとラム肉を注文し、しばらくは見た目や今何しているかなどの話をした。
自然な流れでお互いのパートナーの話になった。ミズキちゃんは、今働いているキャバクラで出会った5つ上の飲食経営者と同棲しているそうだ。
僕はなるべく淡々と婚約者が自死してそろそろ二年経つこと、元カノみんなに自分の悪かった点を聞いて回っていること、最後がミズキちゃんなことを話した。
ミズキちゃんは、あまり喜怒哀楽が顔に出ない。いつも真剣な顔に見える人だった。
その真剣な顔のまま答えてくれた。
「正直、なんて言っていいかわかんない」
「だよね、ミズキちゃんは昔、別れかけの時リストカットしていたけどあれはどういう心境だったの?」
「あれは、私の場合だけど、自殺じゃなくて、あくまで自傷行為だから、基本的にどうにもならない感情を消化させる儀式みたいなもんだったと思う、他人と比べると大学もまともに行けてなかったし、なにも努力してなかったし。そうは言っても生きてかなきゃいけないし。あとは、〇〇への当てつけだったかな。」
「そっか。」
少し沈黙が続いたあと、ミズキちゃんが口を開いた。
「でも〇〇は、過去しか見てなさすぎると思う」
「ミズキちゃんに言われるとは」
「だからこそだよ」
「でも、なんか疲れきっちゃって。産まれて初めてだよ。女の子に興味がなくなったのは。」
「そうじゃない、次に行くべきって言ってるんじゃない。」
「?」
「まだ元カノで会ってない人、いるんじゃない?、"婚約者"」
死んでしまった婚約者は、元カノに入るのだろうか?
「どういうこと?」
僕は死に対する冗談かなにかと誤認識して、怪訝な顔をした。
「婚約者ということは、親に挨拶しにいったんだよね、葬式の時は顔見たくないと追い出されたんだよね、それでも、ご両親と婚約者さんにもう一度会いにいくべきだと思う。このままうやむやは不憫だと思う。」
僕は面食らったあと、小さく唸りながら顔を伏せた、そのまま項垂れていると空気が少し変わったことを感じミズキちゃんに目を送った。するとミズキちゃんの目頭から涙が伝っていることに気づいた。
「なんでさ」
僕も目を赤くしながら、聞いた
「いや、ままならないよなと思って。」
「そうだね。」
そう言い、2人は号泣した。
ラム焼き屋で、アラサー2人が号泣するのはもしかすると営業妨害だったかもしれない。
とても悩んだが、僕はミズキちゃんの助言通り、婚約者の地元帯広に向かうことにした。
会社には適当に理由をつけて、休みを伝えた。
二年前から不定期に休んでいるので、ここらへんは簡単だった。というかもう、信用されていないのだろう。無理もないが。
残念ながら、僕の現状では、婚約者のご両親への連絡先は分からなかった(以前の連絡は元婚約者のスマホから行っていた)。唯一の手掛かりは婚約者の妹さんから過去に送られてきた暑中見舞いのみである。今の時代に珍しく、なんだか良いなと感じ、いつか寒中見舞いあたりを送ろうと思い、スマホでハガキを撮っていたのだった。
札幌から帯広までは特急で3時間ほどだ。
北海道らしい針葉樹林の光景が続き、木々が冬に耐える準備を進めていた。
帯広駅に着いた時は17時くらいだったが日は落ちきり街灯が煌々と照っていた。駅前は変わっておらず、以前挨拶に向かったときの記憶をやんわりと呼び起こした。
明日にするか悩んだが、18時くらいであれば迷惑ではないかと思い、タクシーにのり、住所を伝えた。あらかじめGoogleマップで調べるのを忘れたため、想定外に遠くタクシーで2,30分程乗ってしまった。
あたりにホテルなどもなく、少し後悔したが
来てしまったからには仕方ない。
周りは平屋建ての建物が多かったが妹さんの家はこのあたりでは珍しく、二階建てのアパートで2階の角部屋だった。部屋に灯りはなくまだ帰宅していないようだった。驚かせてしまうかもしれないが待つことにした。妹さんとは挨拶の時に一度、お葬式の時に一度顔を合わせていた。
背格好は婚約者に似ていて、線が細く、160中盤くらい。婚約者とは対照に髪が短く、常に目線だけが少し俯きがちであまり目を合わせてもらえなかった記憶がどちらの会にもあった。地元のキー局で勤めているらしく、18時には帰ってきそうもないイメージが湧いた。
カフェなども探してみたが、のきなみ営業時間外だった。30分程外にいたが寒さに耐えきれずアパートの共有部で待つことにした。
アパートのグレーの階段に腰を下ろすと、幼少期鍵っ子だった僕が、家の鍵を忘れて家に入れなかった時のことを思い出した。
外の針葉樹林に畏敬の念を抱き始めたころ、オートロックの前の扉に見覚えのある俯きがちなシルエットが浮かんだ。彼女は黒のウールコートに身を包んでいた。
「夜遅く、すみません。」
声をかけると、驚きが目に比例して表れており、このまま瞼が閉じなくなるんじゃないかというほどだった。
「お姉さんの家族について、お話があるのですが‥」
少しずつ、僕に向けた解析が進み、人間→男→どこかで見かけた人→姉の元婚約者という順でローディングしていったように思う。
その時間は体感、10分くらいだったが、実際には、1分にも満たなかったろう。
おそらく解析が完了した表情をして
しばし沈黙したのちに妹さんは口を開いた
「な、なんでここなんですか?ど、どういったご用件なんでしょうか。」
「あ、驚かせてごめんなさい。いつか返事をしようと暑中見舞いのハガキをとっておりまして、要件としてはですね‥」
と話し終える前に階段からドタンドタンと、肥えた男性が半袖短パンという初夏の格好で降りてきた。
目が一瞬あった、睨んでいるようにも見えたし、生まれもった鋭さのようにも見えた。僕がこの時期にそんな格好をすると、死を覚悟しなければならないが、
どうやら男性はランニングをするらしかった(にしても薄着すぎる)。僕が少し呆気に取られながら男性を目で追っていると、妹さんから、
「家に上がられますか?」
という提案がなされた。僕は骨の髄まで冷え切っていたので、偶然か気まぐれかは分からないが先ほどの短パンの男性に感謝した。偏見だがあの男性も産まれて初めて感謝されたに違いない。
階段を上がる際、猫は大丈夫ですか?と聞かれたので大好物ですと答えておいた。(本当は犬派だが。)玄関のまえで数分待たされて、ドアが開いた。中に入ると黒い影が、しゃっと消えた、おそらく黒猫だろう。12畳ほどありそうなリビングは、猫のためなのかすでに暖かかった。婚約者とは打って変わってとても整理整頓された部屋で、時々異質に主張してくるのは、やはり猫グッズだった。
妹さんは、僕に急須でほうじ茶まで淹れてくれた。ほうじ茶のお湯が沸くまでの間、部屋の角に音を吸収する装置があるのではないかと思うほど部屋は静まりきっていた。淹れてくれたほうじ茶は、複雑な関係でなければ、どこのほうじ茶なのか聞きだしたいほど美味しかった。
「お茶まで、本当にありがとうございます。すぐ帰りますので‥
差し支えなければ、ご両親にお会いしたいと考えておりまして。訪ねようにも住所も連絡先も分からずでして。」
すぐ帰らなければ、迷惑になると思い、単刀直入に続けて心境を話した。
「このまま、△△さんとのご縁そのものごと消えてなくなってしまうのが嫌なんです。」
妹さんはしばらく、深い黒の木目調のテーブルを挟んだ向こう側で僕側のテーブルの角あたりを凝視し沈黙していたが、そのままの目線のまま応答した。
「今はまだ難しいかもしれません。特に父は‥」
その先に続く言葉があるかと思い、待ったがどうやら終わりらしかった。妹さんは僕の話したことに答えるのにいつも間があった。
その間が、とても丁寧な言葉遣いを構築するのにかかっている間、加えて人の注意を引く間になっているというのは後々じんわりとわかるようになった。
「そう‥ですか、お線香だけでもあげさせていただきたいのですが‥」
「‥父は、定年退職してほとんど家にいますのでやはり難しいと思います。」
「そうですか‥」
娘を亡くしたお義父さんの姿を色々想像したが、どれも現実味があり過ぎた。
僕としては、もう打つ手はなかった。
また、しばし部屋の角の音吸収装置が働いた。全て諦めてお暇しようと考えたときに妹さんから
「お墓なら‥おそらく大丈夫だと思います。」
という提案を頂いた。
「教えていただけるなら、とても嬉しいです。」
「‥車がないと行くのは難しいと思うので、よろしければ明日お墓参りしませんか?」
僕はとても悩んだ。
明日も平日で、ただでさえご迷惑をおかけしている身だったので、手放しで提案を喜ぶことはできなかった。
「明日は、お仕事お休みなんですか?」
「元から午後から休んで、薬を受け取ろうとしていたんです。」
本当なのか、優しい嘘なのかは分からなかったが提案を受けることにした。
この日は話を続けるには夜過ぎたので、
連絡先を交換し、明日の15時に駅前で待ち合わせとなった。
玄関を出る頃に、手土産の一つもないことを思い出し、自分の常識の無さを恥じた。
婚約者には散々、こういった常識や通念みたいなものを言われていたが、結局僕にとって他人事の注意として流してしまっていたのだろう。面目なかった。
帯広のタクシー会社から、タクシーを呼び駅前のアパホテルに向かった。平日だったのですんなり泊まることができた。
人生で初めて隣の部屋がうるさいことを願ったが、部屋の中は黒大理石のように圧迫感のある静寂だった。テレビをつけて流していたがなんとなく番組が合わずすぐに消した。強いお酒が必要になったのでGoogleマップでバーと検索すると意外にもたくさんヒットした。
画像からなるべくオーセンティックなバーを選び向かった。barの英文字ネオンがゆらりと光るドアを開けて入ると、すらっとした長身の店主が迎えてくれた。バーカウンターの奥にカリラのボトルが目についたので席につくなり、カリラのストレートを頼んだ。ナッツが出されたが、お酒が来る前に全て食べてしまい、そこでお腹が空いていることに気づき、フードメニューも頼んだ。薄いピザと海老の揚げ、そしてレーズンバター。
店主はカリラを僕の前に音を立てずに置くと
「お仕事で帯広にいらしたんですか?」
と聞いてくれた。普段なら店主との会話も楽しみの一つなのだが、今日はすべて流れ出してしまいそうだったので辞めた。
会話をそこそこにイヤホンを耳に指しスマホを見るふりをしてお酒とフードを胃に入れ、リストのコンソレーションを流した。とても失礼な客だったと思うが、うっすらと流れていた音楽がボサノバでこの日の気分ではなかった。
幸い常連っぽい客が居たので、店主はそっちとの会話を続けているようだった。その後も3杯ほどウイスキーをもらい体重が10キロほど落ちた感覚くらいに酔いが回りだしたのでお会計をもらい店を後にした。北海道の深夜は久々だったが想像よりも鋭く、冷たく、もう何杯か飲んで温感覚も無くしてから出れば良かったと後悔した。そして静寂のホテルに戻り眠った。
翌朝は、目覚ましをかけていなかったが7時ごろにすんなり起きることができた。
外は綺麗なコンクリートのような曇り空だった。
チェックアウトを済ました後適当なチェーン店のコーヒー屋で朝食を済ませた。
しばらくは店で暇つぶしをしていた。
昼前、ふと婚約者が帯広に落ち着いて行く機会があれば、インディアンカレーと鹿カツを一緒に食べたいと言っていたことを思い出した。鹿カツは分からなかったが、インディアンカレーはどうやらチェーン店のようで駅の近くにあるらしいので向かってみた。見た目はフードコートのようだったので少し疑ってしまったが味はこっくりとしていて牛肉の味がよくルーに染み出していて妙に食べたくなる味だった。また3種の付け合わせを合わせるとより一層美味しく感じられた。
駅方面に戻る際に花と牛乳、それからワインを買った。ワインは妹さんのために買った。以前、婚約者がなにかのプレゼントで送っていたので手土産のつもりだ。牛乳は婚約者が毎日飲んでいたので買った。花はThe 仏花のようなものはなんとなく買う気になれなかったので、婚約者が好きそうな淡いシャビーな花を選んだ。
約束した15時前にロータリーで待っていると、メタリックな赤いタントで昨日と同じ黒のコートに身を包んだ妹さんが迎えにきてくれた。雰囲気的にあまり、妹さんがチョイスするような車には見えず少し驚きながら助手席に座った。
「よければ、後ろにどうぞ」
荷物達を後ろの席に置くよう促されそのまま従った。
「ここから2,30分ほどかかります。」
「ありがとうございます、よろしくお願いします。」
その後車内には気まずい空気が流れた。
どちらも核心に触れた話題を持ち出したかったのだが、それが今ではない、そんな気がして話し始めることが出来ないそんな雰囲気だった。川をいくつかわたり、平坦な田んぼが続きお寺に到着するまで、2人ともほぼ無言だった。
お寺に着くと駐車場から5分ほど歩き、お墓の前に到着した。お墓はとても手入れが行き届いていた。
約2年ぶりの再会だった。
袋からプラスチックの瓶状の牛乳を取り出すと、妹さんが
「あ、牛乳‥」
と呟いた。初めて言葉に感情があった気がした。
「毎日飲んでましたからね、水より飲んでたんじゃないかな。貧血の原因かもと言われても飲み続けてましたからね。」
「そうでしたね。」
妹さんも仏花を買っていて、右と左でひどくアンバランスな献花となった。しかしこれに関しては自分が常識がないとは思わなかった。
妹さんが風を遮ることのできるライターを使い線香に火をつけ中心に供えた。
妹さんが、目を瞑り手を合わせたので僕もそうした。
僕は本棚から、無意に本をたくさん落としたときのように思い出を振り返っていた。[高級鰻屋に長時間並んだ日][結婚指輪を僕の方がこだわってしまったこと][小さい花瓶を買った日][ベトナムの人に騙された旅行][映画館で隣で寝ていたこと][1周年を祝いあった夜][ビリヤニを食べた昼][くだらないラグを買った日]
しかし、一冊だけ酷く折り目のついたページがあり、開かさってしまう。
[ショッキングな最後の夜]
毎回、僕の回想はこれで飛び起きてしまう。
深呼吸し、目を開けると、妹さんも終えたところのようでお供物の片付けを初めようとしていた。僕も手伝い桶の水を使って落ちた灰を流したりした。どちらからでもなかったと思う。気づくと2人とも涙を流していた。
妹さんは泣く時も息遣いが分からないほどとても静かだった。
僕は対称に、妹さんの姿を見ると堰を切ったように肩で泣き出してしまった。やめておけ、やめておけと心の声がしたが妹さんがおそらく僕に聞かないでおいてくれた内容をどうしても聞いてしまった。
「妹さんは、婚約者がなんで亡くなったのか分かりませんか?」
妹さんは小さく顔を振った。
「申し訳ありません。ごめんなさい、ごめんなさい」と僕は続けた。
妹さんはただただ、小さく顔を横に振り続けていた。
帰りの車内は行きと比べていくつか話をした。この公園でよく家族で遊んだだの、毎年誕生日はプレゼントを送り合っていたやら、姉の運転する車に轢かれかけた話など他愛もない話ばかりだったが雰囲気は悪くなかった。
駅につき車から降りて、手土産の赤ワインを渡すと少し微笑んでくれた。
その後
「姉は社会とうまく、やりくりできなかったんだと思っています。」
そう伝えてくれた。
僕は目を瞑り、肯定も否定もしなかった。
真実はこの世に存在しない。
各々が落とし所を見つけるしかない。
理解はしている。理解は。
2日間の感謝を伝えて札幌行きのチケットを購入した。
ミズキちゃんの助言に従って本当に良かったと帰りの電車で僕はミズキちゃんにLINEで感謝を伝えた。最後に雪を見たかったがそんなうまい話にはいかなかった。目を閉じて妄想する。さらさらの綿毛の砂糖菓子のような雪が車窓に当たり割れて水になって伸びる。僕はそれをトンネルに入るまで凝視し続けている。
以上が
7人の元カノと1人の曖昧な存在に2年かけて会ってみた話だ。特にオチはない。
今でも、時々歩いているのがアスファルトなのか亀の鼻の瘡蓋の上なのか分からなくなる。僕は善人なのか悪人なのか。
ただ元カノはさておき、曖昧な存在にはこれからも時々会いに行こうと思う。牛乳と花を持って。次は雪が観れる時期に。
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