蘇る校舎
子どもたちが消えた校舎から見える景色は、どこか悲しげだ。校舎からセイばあちゃんの家を捜してみる。谷底のような集落の中腹にある元分校からは集落の家々がぐるりと見渡せる。子どもの声が聞こえない校舎を、集落の人たちはどんな思いで眺めていたのだろう。子どもたちはいなくても、折々の集落の行事の時は公民館代わりに校舎を使っているのだとセイばあちゃんは教えてくれた。特に春と秋の祭りを兼ねた道普請の時は、孫や子を連れ元住人たちが集まり賑やかだよという。お彼岸の中日に、元住人たちがお墓参りきて賑やかだったことを思い出した。お祭りのときは、もっと人が来るのか。私の町にお祭りってあったかな?高校や大学の学祭は賑やかというより人でごった返し、私はあまり好きではなかった。まだ、この集落の住人になって日が浅い私を元住人たちはどう思うのだろう。人付き合いが苦手でここに来た私だけど、この集落の人なら私を受け入れてくれる。校舎の周りは、笹藪に覆われているが、新しい住人たちはここを居心地のいい空間に変えてくれる気がする。レオと楽しく暮らす夢は今でも十分、叶っている。それより、来週から旧田中邸をリフォームしに阿部さんや学生たちがやってくるのに対応出来るかな。自分のことは自分でやる人たちだから、特になにもすることはないとお父さんは言ってた。内見案内をして阿部さんなら確かに、私が手伝うことは無さそうだと思った。けど、何かお手伝いしたいな。草むしりさえまともに出来ない私に手伝えることはあるのかな。そんなことを考えていたらふと、止まっていた秒針がかちりと動く音を聞いたような気がした。校舎の入り口に掛けられていた柱時計は、ねじを巻く人もなく止まっていた。阿部さんたちは、あの柱時計のねじを巻いてくれるのだろうか。背後で三毛猫の声がした。スッと立ったまま三毛猫は私を見つめている。再び、秒針の音が聞こえてきた。そうか、校舎は蘇るのか。窓から眺めた景色を思い出す。風にそよぐ葉擦れの音が、子どもたちのひそひそ声のように聞こえた。又、一緒に遊べるね。
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