二浪が確定した日

私は今日、二浪が確定した。(この言い方をすると某野球選手が交際相手の女性に贈った例のパワーワードを彷彿とさせるな、と思いつつ。)

合否発表が九時で、私は十時に祖母からの電話で起床した。この11日間、ずっとシュレディンガーの猫状態であった私は、冷静なような、逃げたいようなアンビバレントであった。とりあえず祖母には「まだ回線が込み合っていて確認できていない」と言い訳をして、二度寝をした。正午、二度寝を終えた私は低気圧の中に発生する台風の目のような不安定な気持ちで、でもどこかこの状況を面白がる自分を抱えながら、合否発表のページを開いた。

自分の受験番号がわからない。膨大な量積み上げた紙の山から大阪大学の受験表を探し出し、やっとのことで不合格を確認した。

「やっぱりな。」そう思ってしまった自分が悔しかった。涙は出なかった。ただ応援してくれていた両親や親族、友人、予備校に申し訳ない、報告せねば、報告したくない、どんな顔をして会えばよいのか、そんなことばかりが頭に浮かんだ。とりあえず、朝九時から胃を痛めている祖母に電話をかけて合格していなかったことを伝えた。悲しんでいた。当然だ。さて、次は両親に報告しよう、そう思ったがなかなか言い出せず、まずはバイトの面接に行った。バイトの面接の話はまた今度するとして、面接が終わって後、両親にlineで「不合格でした。これからどうするか少し考えます。」とそう送った。そのあと、もう一社バイトの面接に行って内定を頂いた。おじさんはいい人そうだった。受験に際して一番お世話になった親族にはメールや電話ではなく、手紙を書きたいと思った。手紙の内容はもうwordにあるから、これを手紙にする。これは明日の仕事としよう。

夕食の時、父と母と私で今後について話し合った。結構なじられたような気がするが、あまり傷つかなかった。けなされている時、自分でも驚くほど何も感じなかった。何故傷ついていないのか、考えてもよくわからないが、まぁ防衛機制の一つなんだろうななどと考えながら味のしない夕食を飲み込んだ。何を食べたのかは覚えていない。どんな言葉を投げつけられたか、覚えていない。私は嫌な記憶を忘却する能力がいささか長けすぎているような気がしている。嫌な記憶は覚えておいて、それが二度と起きないようにするのが人間としては正しいのだが。
ごたごた話し合いをしたが、私の中での答えは最初から決まっていて、二浪する気は満々であった。正確には二浪のほかの選択肢が見えていない。また、国公立大学はもう諦めた。理由はいくつかあるのだが、一番はあの共通テスト対策をしたくないという理由だ。呆れる。あと大きい理由の一つは、来年から始まる情報科の追加である。全く未知の存在を独学するのは気が引ける。二浪なら尚更のことである。

ということで、私の今年の第一志望は「慶應大学総合政策学部」
小論文の対策をしつつ、基本的には私立大英数国の対策をすることに決めました。アルバイトをしながら、どこかの自習室と契約をしようと考えている。皆さんは今年の目標はもう設定しましたか?
今年はここで独り言を嘆きつつ、また一人の浪人生活を乗り越えようと思っていますから、この場で交流を持てたら、と考えています。

明日は友人と食事をして、親族への手紙を出そう。では。

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