障害者雇用から1年半経って振り返る
人生初めて障害者雇用として働き出した頃は、もう多くは望まず質実剛健に生きようと思った。
最低限の出費に留めて、娯楽や趣味で大金を使うことはせずに、オタク活動でグッズを買い漁ったりイベント参加とかライブに行くとか、そんな浪費行動は止めておこうと、自分に言い聞かせた。
それなのに、平日5日間をまったく身も知らぬ人達に囲まれて、まったく初めての仕事のルールを覚えてぎこちないなりに動かなきゃ行けなくて、もう発狂しそうだった。
「お前は間違ってる。そんなことも知らないのか。やっぱり障害者だから、こんな簡単なこともできないのか…」
落胆の目で見られるのが怖くて、ありもしない幻聴に脅えていた。
30代~40代の女性社員だと圧倒的に結婚して子供がいて家庭の母親役をしてる人たちが多かった。
同じ年齢層に該当する私は、まったく会話に入ることが出来ず、惨めで虚しい気持ちを味わった。
私は、「子どもなんていらない。女性に生まれたことがそもそも過ち。私の遺伝子なんて、金輪際残さない。発達障害なんて厄介な特質を持った人間は根絶やしになるべき」なんて、思ってます。子どもを欲していた旦那とは、子どもが欲しいと欲しくないで平行線を辿り、自ら離婚した。
それくらい、子どもを作らないのは正しいことだと確信しているが、同時に大多数の人間は昔から子どもを産み育て次世代に繋げていったと言うのに、私は自然とそういう感覚にならない事に絶望を感じた。
人見知りなのに、人と関わっていたいという面倒臭い気質のせいかもしれない。
自我などなくなって、大多数が奨励してる流行りの生き方が出来ればいいのに、まったく上手くいかない。
結局、勝手に作りあげた他者という敵を前に臨戦態勢になってるだけかもしれない。
「優しい言葉かけるけど、面倒臭いから当たり障りの無い言葉かけて厄介払いしたいだけでしょ」
「知ってる。あなたは、私の代わりにいきることはできないものね」
「干渉したくないし、干渉されたくないんだからほっといて」
狭くてこじれた感覚になってると、すべてが警戒対象になる。
それでも。
それでも。
人生というのは。働くというのは。
ちっぽけな私のこじらせた想いをまるまる飲み込んで、うまく中和してくれた。
仕事の中で役割を与えられて、それをこなすと、社会貢献ができる。
こんなうだつが上がらなくて欠陥だらけの私でも、役立つことがあるんだと教えてもらえた。
「居て、いいんだ」と思えた。
寝坊したり、ポカミスして同僚に迷惑かけても、自分も周りのみんなも同じくらいポカミスをしたり体調を崩したりしてる。
ああ、完璧じゃなくても許しれる世界っていいなと感じた。
誠実さとか、実直とか、もっともっと大きくて訳が分からない大きなうねりがあって、自分はその中で存在を許されてる。
穏やかに人と関わりつつも、たまに自分自身を否定されたような気になって落ち込む日もあるけれど。それでも、無理をせず過ごせる日々が増えた。
障害者雇用から、1年と6ヶ月目。
だいぶ元気になれた。
質実剛健を目指そうと禁欲的に過ごすより、しっかり家計簿の付け方も体得し収支把握が継続してる。
遠征して大好きな作品のイベントに行くことも出来た。同好の士と仲良くお出かけすることも出来た。
元気が湧いて、落ち込んでる期間より元気に動ける期間が増えてきた。
すごいすごい。
もっと体力つけたい。
もっと、できること増やしたい。
私がやりたいことが全うできるように。
1年半、がんばった。
引き続き無理なく少しずつ私を育てていく。
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