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沈丁花の木の下で

犬を飼い始めたのは16のときだ。生後1か月の、てのひらほどの小さな犬を譲り受けた。ビーグルとセッターの一代雑種で、想像よりも大きく賢く成長した。ただし、実際には、それより前に何年か一緒に過ごした犬がいる。

名を「たこ」という。茶色い中型の雑種だ。名前の由来は知らない。

私が小学校3年のとき、よく近所のチビという大きな犬を飼っている家に出入りしていた。チビと遊び、散歩に行くためである。チビとは近所に住む優しいご夫婦の犬で、その家に住み着いた野良犬が「たこ」だった。

たこ

たこは瘦せ細った長毛の雑種で、少しきつねに似ている。汚れで毛が固まり、耳が4つあるように見えた。大人しくて、賢い。

正直なところ、最初は野良犬であるたこが怖かった。なぜなら、たこは近所に生息している野良犬集団の一員だったから。リーダーはジャーマンシェパードで、いつも10匹くらいで行動している。怖いのも当然だろう。

1980年代、私の住む地方には、野良犬がごろごろしていた。公民館に「わんわんボックス」なる残酷な箱があった時代の話だ。わんわんボックスを知っているだろうか。不要になった犬が入れられる箱だ。公民館の駐車場に設置されていて、ごく稀に犬が入っている。思い出すと、胸の奥がぎゅうっと痛む。わんわんボックスに入れられなかった捨て犬は野生化して、その辺で適当に暮らしていた。

たこは賢く、「あっちに行って」というと、さっと姿を消す。一度も背いたことはない。子どもが好きだったようで、よく私たちが遊ぶのを遠くから眺めていた。近所に住むチビの散歩に行くと、たこも後ろをついてくる。やがて私たちは仲良くなり、一日中一緒に遊ぶようになった。

可愛がってはいたものの、食事は与えていない。ただ、給食で残ったパンやおやつは一緒に食べていたと思う。やがて、たこは我が家に住み着いた。たこのお気に入りは、庭にある沈丁花の下だ。春先のたこは、いつも沈丁花の香りがした。

呼ぶとどこまでも一緒についてくる。毎朝の登校では、校門まで一緒に行くのが日課だった。私を学校まで見送ると、たこは勝手に帰る。そして帰宅した私が呼ぶと、すぐにどこからか走ってきた。スケートリンク・川・友達の家。どこにでも一緒に行き、毎日一緒だった。

日が落ちて、私たちが家に入ると、たこは玄関の前で丸くなる。気まぐれに玄関を開けると、いつもそこにはたこがいて、目をきらきらさせていた。深夜になると姿を消して、また早朝に戻ってくる。毎日が、その繰り返し。

野良犬であるたこは警戒心が強くて、私にすらおなかを見せることはなかった。抱っこはさせてくれるのに、腹を見せて仰向けになることはない。それでも絶対に嚙んだり吠えたりしなかった。

犬の愛情深さを教えてくれたのは、間違いなくたこだ。食事をもらえるわけでもないのに、いつもそっと寄り添っている。ずっと犬がほしかった私は、たこに夢中だった。

父親に強く叱られて泣いているとき、体調が悪いとき、悲しいとき、たこはいつも、そっと近くに座ってくれる。外にいる限り、絶対に離れない。春も、夏も、秋も、冬も。飼ってはいなかったが、限りなく家族に近い存在だった。

一緒に過ごした日々は、約2年。子ども時代、たこと一緒にいた日々が一番楽しかった。

別れの日

小学校5年生の、5月の、第2土曜日。まだ土曜日も授業があったころだ。いつものように学校に行こうと家を出て、板金屋さんを過ぎたゴミ捨て場近くで、突然たこが座った。

たこが動こうとしない。どうも様子が変だった。その日はほかの野良犬も数匹一緒で、それもまた普段と違う。「もう学校行くよ」と声をかけても、座っているだけ。約2年、毎日一緒に学校に行っていたのに。体調が悪いようには見えなかった。ただ、どれだけ呼んでも動かないだけ。そんなことは初めてだったので胸がざわざわしたが、遅刻してしまう、と私はあきらめた。

「じゃあ行ってくるね。またあとでね」

そんな話をして、手を振って別れた。振り返ると、たこは座ったまま、ずっと私を見ていた。私が何度振り返っても、たこはじっとそこに座っていた。それが最後にたこを見た記憶だ。

姿を消したたこを、気が狂ったように毎日探した。でも、見つからない。親からは、死期を悟って姿を消したのかもしれない、といわれた。たこは、若くなかった。いま思えば妊娠していた時期もあった気がする。子どもだったので、よくわからない。

あの朝の様子から考えると、死期を悟って姿を消した、が正解だろう。たこの連れたちは、その後も近所で見かけた。あれだけ賢いたこだけが保健所に連れていかれるとは思えない。

どれだけ泣き暮らしただろうか。ある日、たこによく似たメスの野良犬が、ひょっこりと現れた。私はその犬を「ぶたこ」と名付けた。ひどいネーミングセンスである。たこは金に近い薄茶色の毛だったが、ぶたこは濃い赤茶だった。顔は似ていたが、ぶたこは少し鈍くさい。ぶたこは、気が向くと遊びに来る犬だった。ぶたこがいたのは、1年ほどである。たこの子だったのかもしれない。もちろんぶたこも可愛かった。たこを失った私を慰めてくれた。それでも、似ているからこそ、違いが気になる。たこに会いたかった。

沈丁花の木の下で

春になって沈丁花の香りが漂ってくるたび、木の下で眠るたこの姿を思い出して涙が出る。あれから30年以上にもなるが、忘れられない。引っ越すとき、あの沈丁花を新しい家へと移植した。

死期が近いなら、最後の瞬間まで一緒にいたかった。でも、たこが別れを選んだのなら、仕方がない。犬や猫は、死期が近づくと姿を消すと聞く。飼い犬でないたこなら、それを選ぶのも当然だろう。

高校生になって犬を飼い始め、30を過ぎて看取った。そのあとに飼った犬も、私の腕のなかで息を引き取った。いま一緒にいるのは、我が家にとっては3代目となる犬だ。まだ若くてやんちゃで、騒々しいが愛おしい。

犬との別れのたび、私は何か月も泣き暮らす。犬の気配がない家に耐えられない。特に出かけて帰ってきたあと、その喪失感に苦しめられる。それでも、大切な犬を看取れるのは、どこか幸せなことだと思っている。苦しくてもつらくても、最後の一瞬まで一緒にいられるのは多分幸せなのだ。たこのように、いきなり姿を消してしまうよりも。

本当は、たこも私の犬として飼い、おなかいっぱいになるまでごはんをあげて、何の心配もない暮らしをさせたかった。しかし、両親は『自由を奪うのはかわいそうではないのか』という考えだった。そのため、何度「たこを飼おう」と提案しても却下された。ほぼ一日中うちにいたため、実質は飼っているようなものだったが。

今でも、たこが姿を消したことを寂しいと思っている。もっと一緒にいたかったし、家族として迎えたかった。離れたくなかった。あの、きらきらした目が今でも忘れられない。強い愛情を感じた。優しくて賢い、私にとって大切な犬だった。

当時の沈丁花は新しい家で根付き、春先になると強く香る。あの香りが、たこを思い出させてくれる。沈丁花の木の下で、きらきらした目でこっちを見ているたこが、いるような気がする。子どものころを懐かしく思い出す。

親戚の家に1枚だけ、たこの写真がある。遊びに来た叔母が撮影してくれたもので、手元にはない。いつか写真を譲ってもらえたらデータ化して、この話に添えよう。

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