Twitter社の大規模解雇とブルシット・ジョブ
Twitter社の社員が大量に解雇された。イーロン・マスクが買収してから二週間足らずで全従業員の半数がいなくなったのだ。
私はこの現象を、ブルシット・ジョブ社会の終焉の始まりと考えた。
ブルシット・ジョブとは以下のように定義される。
「被雇用者本人でさえ、その存在を正当化しがたいほど、完璧に無意味で、不必要で、有害でもある有償の雇用の形態である。とはいえ、その雇用条件の一環として、本人は、そうではないと取り繕わなければならないように感じている。」〈※1〉
簡単に言えば
「俺の仕事って何の意味あんの? 明日からなくなっても世界には全く影響ないよな。だけど上司に、これ意味ないっすよね、とは言えない・・・」
みたいな感じである。
こういう仕事は世の中に溢れている。原因は主に二つ。
一つ目は経営者の思惑で、もう一つは政治家と国民の共犯関係である。
資本主義社会は市場原理が働き、合理化するというのは幻想だ。経営者も、最初は利益だけを追求する。だが会社が大きくなるにつれて、見栄えや業界の伝統を気にする必要が出てくる。
誰も利用しに来なくとも、デパートの経営者はインフォメーションに受付嬢を配置する。昔はエレベーターガールというボタンを押すだけの人まで雇われていた。他にも、いいホテルにはドアマンがいる。ドアを開ける仕事が存在する社会が合理的と言うのは論理的に破綻している。
成金が腕に高級な時計をつけて、ブランドスーツを着るのは嘲笑されるが、社会的動物であるホモ・サピエンスは見栄を張らずにはいられない。
経営者は、自己の地位が高いことを示すシグナルを出すため服飾を豪華にするが、同じ魂胆で都内にオフィスを設ける。綺麗な舞台があっても人がいないと様にならないから従業員を沢山雇い入れる。経営者の王宮となったオフィスには、王の権威を確たるものにするために儀式が生まれる。朝礼という名の謁見の場。王の御言葉を宣言する会議。下々の者は礼式に則った書式で報告書を作成する。不敬罪を監視する中間管理職が「てにをは」、印鑑の具合、フォントなどを残業してまで審査する。社員にも貴族階級があり、社内調整という根回しになしに意見具申は許されない。
結果、膨大な人間が、毎日せっせと意味不明な業務に明け暮れる。儀式だからよそ者には理解不能だが、儀式だからこそ現地人にとっては何よりも重んじられる。
こうして利益だけを追求するはずの企業は、その実、中世封建社会のように儀式に溢れた組織になる。
もう一つのブルシット・ジョブが生まれる原因は、政治家と国民の共犯関係だ。
雇用対策をしたい政府と、内実はどうであれ仕事をしている状態でいたい国民の利害が一致して、無意味な仕事が創出される。
ニューディール政策が象徴的だが、政府は労働者階級に仕事を与えるために公共事業を乱立する。しかし誰も使用しないハコモノは「どこにも行かない橋(bridges to nowhere)」と揶揄された。
だから今の政府は少し巧妙だ。法律や規則を増やし、また複雑にすることで雇用を生み出している。
例えば、車の免許はますます細分化されている。するとドライバー職に就きたい人は余分に教習所へ通う破目になる。教習所の仕事は増加する。
あるいは税に関する規則を複雑にする。企業は経理部門に人を増やす必要がでてくる。さらには経理を学ぶ学校も生まれる。
このように、法律や規則を少しいじるだけで、世の中に仕事を発生させられる。
政府は失業率を下げられるし、国民は仕事にありつけるという寸法だ。
だが、本来意味のない仕事である。
さて、Twitter社の話に戻そう。
半数の解雇された社員はブルシット・ジョブをしていた。事実、今もTwitterは異常なく稼働している。解雇された大量の社員がやっていた仕事は無意味だったのだ。
ただし補足すると、ブルシット・ジョブは本人が内心で無意味だと気付いている仕事である。一方で、無意味だが本人が気付いていない場合もある。先日『ルンペン・ブルジョアジー』という記事で示唆された類の、ポリティカル・コレクトネス(政治的正しさ)仕事である。
例えばSDGsはポリコレ仕事を大量に生み出した。
今や小さな会社でも、宣伝広告を打ち出す時には、人種差別的表現はないか、男女差別的と受け取られる要素を排除できているか、というチェックがなされる。あるいは自社の概要を案内するパンフレットを作る際も同様だ。対外向けの資料を作る際、SDGsは否応なく纏わりつく問題だ。
大企業ともなると、SDGsを専門に扱うチームまでいる。それこそがこの度、大量に解雇されたTwitterの社員たちだった。あきらかに彼らは「朝日新聞」「ハフポスト」が発信するSDGsなニュースをユーザーに表示されやすくしていた。同時に、ポリコレにそぐわないツイートを拡散されないようにしたり、アカウントを凍結したりしていた。
ブルシット・ジョブ(本人が無意味だと気付いている)にしろ、ルンペン・ブルジョワジーのポリコレ仕事(本人は気付いていないが無意味)にしろ、文系卒が従事している点で共通している。
STEM(科学、テクノロジー、エンジニアリング、数学)教育を受けず、専門的なスキルがない文系大学卒業者は第三次産業に就くしかない。
カフェの店員のようなサービス業をするならいいが、実際はブルシット・ジョブやポリコレ仕事に明け暮れるオフィスワーカーになる。
イーロン・マスクはそれに気付いた。世界一の金持ち、つまり資本主義世界の最高権力者が、ブルシット・ジョブとポリコレ仕事の廃棄を決断したのだ。
農業や製造業は機械化が進みとっくに空いている席はない。かといって、ブルシット・ジョブやポリコレ仕事という文系卒の頼みの綱もほころび始めた。
雇用崩壊の口火を切った男がイーロン・マスクなのは、彼がスペース・エックスのCEOだったからだろう。
宇宙開発は人類発展に寄与する大事業だ。STEM分野の人々が新時代の幕を上げるべく日々奮闘しているのに、ふと文系社員の方へ目を遣ると
「それでは新しいWEBページについての会議を実施します。えーまずひとつ目、表記に関して、『男性・女性』ではなく『男性と自認する方・女性と自認する方』に変更すべきかどうかという意見についてですが・・・」
などと意味不明な業務で時間とエネルギーを浪費しているのだ。
これからドミノ倒しのようにブルシット・ジョブとポリコレ仕事は淘汰されていく。第三次産業の殆どは消滅する。
現在、政府の刷った金はブルシット・ジョブかポリコレ仕事を介して国民に配られている。Twitter大解雇により、その構造の無意味さが露呈した。政府から国民へ直接配った方が効率的だという話になるだろう。
ベーシックインカム社会は、毎月働かなくてもお金が貰える。それはSTEM能力のない人々へ、ぎりぎり生きられる程度のお金(配給券)を渡す代わりに、大人しく質素に余生を過ごさせるための施策だ。
だが、それでいいと思う。わけのわからない仕事をして、お金を稼ぎ、欲しくもなかったものを消費する。そんな世界の方が狂っていたのだ。
※1 『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』デヴィッド・グレーバー 訳 酒井隆史 芳賀達彦 森田和樹 岩波書店2020.7.29 kindle版41/584