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幸せになるため、そんなことのために、生きてるんじゃない

 人は何を目標に生きる? 幸せになるため?
 しかし幸せになりたいという動機は玩具のゼンマイのように、小さく弱い。
 一方、衝動は巨人の翼だ。

 ただ、飯を食い、生きる。
 そんな動物はいない。動物には複雑な衝動がある。なぜ卵から孵ったウミガメの子らは、あの小さな身体で、波打つ海へ進むのか。なぜ雛は、天敵ばかりの空へ飛び立つのか。狼のオスの子は、必ずある日を境に群から一匹で旅立つ。
 彼らは、安全を捨てる。親や仲間の温もりを捨てる。動物は飯を食うだけの下等な生き物? とんでもない。人間の言葉や思想の枠を超えた神秘の衝動に従う獣だ。
 孤独に暗闇へ飛び込む獣たちは、衝動に突き動かされるのだ。人間の、幸せになりたい、などという矮小な動機ではなく。

 幸せとはなにか。
 結婚して子どもをつくり、老後は孫に囲まれること?
 それとも、仕事で自己実現すること? 友達や所属するコミュニティで認められること? お金持ちになること? 健康で長生きすること?
 現代社会では、これらの状況を作り出してセロトニン、幸せ物質、快楽物質を脳に満たすことが目的のようだ。

 何かが足りない。愛、友情、社会的地位、役割、お金や物質的豊かさ、健康、これらが揃えば幸せになれる。だが何かが足りない。

 それだけでは、私達は成獣になれないからだ。現代人は成獣になれずに年老いて死ぬ。ネオテニー、つまり幼体のままセックスと生殖をしている。

 衝動のまま、孤独に、暗闇へダイブする通過儀礼なくして、動物は成獣になれないのだ。

 社会は絶え間なく、道徳的に悪とされる行動リストを更新し続けている。項目は減らず、日々やってはいけないことが増えている。
 それで世界は安全な巣になった。
 しかし安全は動物から生きる熱意を奪う。巣の中の安全こそが幸せだと洗脳され、衝動的な冒険は滅多に見られない。巣から飛び出すような危険を冒すことは悪事になった。

 巣の外は、孤独で、死の危険に満たされている。
 ウミガメの子たちは殆どが大人になれない。初めて海に飛び込んだキングペンギンの若者は、60%がヒョウアザラシの餌食になる。

 それでも彼らはダイブする。一方私達は、永遠に死を恐れる。死を恐れるから、お金を貯め込む。貯め込めるくらい労働に勤しむ。やりたくもない仕事ばかりが増えていく。やがて家族を作ると、家のローンや車、子供の教育費とどんどん必要な金が増えていく。

 具体的に、暗闇へ飛び込む孤独な旅とはどういうことか?
 簡単に言うと、死を恐れるな、につきる。

 なぜ君は、やりたくもない労働に、明日もまた向かうのか? 生きるためだ。生きるために生きてる。たしかに生は素晴らしいかもしれない。愛する者、子ども、友達、コミュニティ、全て生があればこそだ。

 私はそれを否定する。まるで生を、あるいは生に付随する幸せを人質にとられ、私達は家畜のようにがんじがらめにされている。

 私は大学を出て十年になる。当然ずっと働いてきた。お金、市民としての承認、異性からの評価または道徳的義務のために、働かなくてはならなかった。
 働いてすぐに気づいた。たしかに仕事は大変だ。残業もあるし、夜でも休日でも携帯電話が鳴れば対応しなければならないし、人間関係は最悪だ。しかし、なぜ金が貰えるのかがよくわからない。やってる仕事が無意味にしか思えなかった。なぜこんな無から、食料という実を買える対価が発生するのか、私には理解できなかった。金だけではない。労働してさえいれば、社会人として、世間や異性は対応してくれる。

 しかし、全てが偽物だ。なんだこの仕事は? そして得られる金も、その金で買える生活や恋人、老後の安心、全部クソ喰らえだ。虚無の上に愛を積み上げて、大事に抱えて生きていけば満足か?

 なぜこんなに虚しいのか? それは私達が成獣になれないからだ。幼体のまま、安全な巣から出ずに生涯を終えるからだ。そこで仕事をしても、生殖しても、子育てしても、老化しても、ままごとだ。

 人生を捨てろ。幸せを望むな。命と幸福を人質に取られてる場合ではない。
 死を受け入れろ。衝動に身を任せろ。自分の支配者になれ。

 そんな風に生きていたら命がいくつあっても足りない! と思うかもしれない。そうだ。足りない。だがどの動物にとっても条件は同じだ。

 衝動に従っても幸せになれない。夢も希望もない。痛みだけだ。だが、不完全な身体のまま過ごす、偽物の人生には耐えられない。

 ホモサピエンスは成獣になると、翼が生えるらしい。生存率は低いが挑戦してみよう。

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