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夫婦別姓という死ぬほどどうでもいい話が主要議論になる異様

 選挙前だからか、いやでも目につく夫婦別姓についての議論。
 これほど殆どの国民にとってどうでもいい話はない。
 地球環境の危機、AIの利用、ベーシックインカムなど、人類が消費と生産を抑えていく方法について早急に合意点を探さねばならない今、夫婦別姓か否かについて口角泡を飛ばしているなど正気の沙汰ではない。

 確かに人類が社会的な動物である以上、その家族の名前について議論することが完全な無駄というわけではないかもしれない。
 しかし、これは苗字についてこだわりのある集団同士(全国民の数パーセントだろう)でやりあっていればいい問題だ。

 苗字にこだわりのある集団、すなわちそれは一部の女性であり、対するは、由緒ある家系の人々だ。

 だから、そもそも夫婦別姓について一般世論に問いかけるのはおかしい。
 むしろ議論のやり方として卑怯だ。
 なぜなら大多数の国民にとってはどうでもいいことゆえに、聞かれたら「どうでもいいことだけど、そんなに夫婦同姓が嫌な人がいるならば選択的夫婦別姓でもいいんじゃない」と答えるのは明白だからだ。
 それをもって、国民の過半数が選択的夫婦別姓に賛成だと主張し、法律を変えるべき、というのは真っ当なやり方でない。
 苗字にこだわりなく、この議題に興味のない私としては、唯一この夫婦別姓派の卑怯さについてのみ、憤りを感じる。
 それは昨今のポリコレやフェミニズムな人々が使い続けている手法で、どうでもいいと思っている人達を無理に議論に巻き込み、ルール改変へ持っていくやり方で、私はその下劣さにはアレルギーがある。

 夫婦別姓を望む女性達らは、苗字に並々ならぬこだわりを持つ。苗字が変わることでアイデンティティが喪失するとか、夫と対等な関係でなくなるといった神経質さを持つ。
 ならば、同じくらい苗字にこだわりを持つ由緒ある家系の人々と議論すべきだ。由緒ある家系の人々にとっては、その苗字に価値があると世の中の人々が認識できる現環境は貴重である。夫婦別姓になると苗字が「男系で続いてきたもの」ではなく「みんなバラバラに名乗ってる何の伝統もないもの」という認識に世の中がなってしまう。今後本人達がいくら何代にも渡って夫婦同姓で従来通り苗字を残したとしても、世間はそうは評価しなくなる。だから選択的だとしても、夫婦別姓は許せない。

 ということで、夫婦別姓にこだわる女の気持ちも、夫婦同姓にこだわる由緒ある家系の人々の気持ちにも共感できない我々一般国民は、これについては蚊帳の外なのだ。
 そして無理に旗幟鮮明にせよと迫られる筋合いもない。そんなことをする夫婦別姓派は卑怯だ。

 両陣営は堂々と自分らの欲望を全面に出すべきなのだ。
 夫婦同姓派の家族の絆が薄れる論もあまりにも屁理屈だし、夫婦別姓派の苗字が変わることによる女性の「被害」とやらを喧伝するのも白けてしょうがない。
 彼らは自分の苗字に精神疾患的な異様さでこだわりがある。まずはそれを認めるべきだ。その上で、夫婦同姓、夫婦別姓を望むそれぞれ敵対者の気持ちをねじ伏せても己の欲望を優先するのだ、という加害者性を自覚して議論すべきだ。

 こんな無駄な議論に政治の時間がとられるなら、もはや両成敗で苗字というものを日本から無くした方がいいと私は思う。

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