ジョンインタビュー (Beat Instrumental誌1975年2月号)
Queen “Recording isn’t easy”
クイーン「レコーディングは楽じゃない」
by Tony Jasper
クイーンのアルバム ”Sheer Heart Attack” のスリーブには堂々と「クイーンだけで作曲、プロデュース、演奏」とある。
少年と少女を区別しているのだとクイーンは言うかもしれない。レコーディングの全ての面におけるこのトータルな関心、献身、関与はグループとしてのクイーンの大きな特徴となってきた。
このようなプロセスは初期からあったのだ。我々の中にそれに特に心を動かされなかったり、初期の作品は時に物足りないと思った者がいるとしても。
クイーンは最新アルバムで以前のシニカルな声を味方につけた。”Sheer Heart Attack” は市場調査研究所が集計するアルバムチャート上位に躍り出た。彼らは各方面からの称賛を浴びた。
このレコードの裏話と、「自分たちのことは自分でやる」というクイーンの特徴をジョン・ディーコンが私に語った。
ディーコンはこのアルバムでグループはさまざまなスタジオを使用したと言い、その理由も説明した。”Sheer Heart Attack” の制作はロックフィールドスタジオで始まったが、デイヴ・エドモンズは関わっていない。このスタジオは24トラックだが、技術的な問題にいくつか直面したとディーコンは言う。
同じ頃、ブライアンが外科的治療の必要な潰瘍を患った。他の3人が残され、ブライアン抜きで何をレコーディングできるかがある程度問題となった・・・
バッキングトラックの約80パーセントはロックフィールドで録音されたが、ボーカルをいくらか録るのにウェセックスで1週間、そしてパーカッション関係の多重録音のためさらなる時間がスタジオで費された。
小規模な多重録音ルームであるエアスタジオ4では1週間。続いてウェセックスでさらにバッキングボーカル — そしてミキシングはトライデントでだった。複数のスタジオでの作業が重なっていた時期もあった。
クイーンは外部からの協力も得ている。共同プロデューサーとして名を連ねるロイ・ベーカーとエンジニアのマイク・ストーンだ。ディーコンはストーンについてこう言った。「彼は “QueenⅡ” で大きな働きをしてくれた。とても優秀なので僕たちと一緒にどこにでも来た。トライデントが彼を僕たちに貸し出してくれたんだ」
ディーコンはトライデントのミックスを「ラブリー」だと言い、そのうちのいくらかは「かなりやばい」とも言う。ふたつ目のコメントは、トライデントが「僕たちがミキシングした時は完全な24トラックではなかった。実際、いくつか違うマシーンを使ったんだよ。ある時点では、16トラックの機器を使いながら、リズムセクションのミキシングのためにその前で別のTriad (※トライデントが作ったレコーディング機器のブランド)も使っていた」という事実からだ。
クイーンは24トラックで十分だと感じていて、今のところ32トラックでのレコーディングは考えていない。「24で十分。やたら押し上げたり下げたりで複雑になったりするから。ものごとは無理のない範囲で収めておくべきだと思う!」
”Sheer Heart Attack" は制作に3か月かかり、「ファンキーな時でもたくさんの汗をかいた!」。そしてトライデントで3つのカッティング。「それから僕たちはアメリカのカットを手に入れて、そちらの方が気に入った。それでアメリカのカットをイギリス用にも使った。アルバムが1週間遅れたのはそれが理由だ。とても満足しているよ」とディーコンは付け加える。
ディーコンはグループの全般的なアプローチについては「手抜きは一切なかった。僕たちは精いっぱい打ち込んだ。アルバムは年に1枚というのが僕たちにはちょうどいいようだ」と言う。
現在のクイーンの位置にいるグループにとって、年に1枚は十分ではないと言われるかもしれない。彼らはアメリカと、できれば日本も含む世界の国々の大がかりなツアーを予定していて、そのためイギリスでの存在感が薄れている。
「確かに僕たちがまだここにいると絶えず人々に思い出してもらうという問題はあるけど、それにも近道はない。『クイーンライブ』を出すつもりはないよ。そういうのはある意味安易だと思う。僕たちの唯一の素材は既にスタジオアルバムに入っていて、ステージで演奏されているのだから」
ディーコンはこうも加えた。「最低でもあと2枚はスタジオアルバムがなければ。ちなみに自分たちのスタジオを持つことは考えていない。僕たちはこれまでにかかった費用からやっと解放されはじめたところだし、”Sheer Heart Attack" のようなアルバムには2万5千ポンドかかるんだ」
今のクイーンは本当に、レコーディングからライブショーまですべてがまとまりつつあるという感じがする。彼らを取り巻く組織も良くなっていて、11月に終わったツアーは過去最高だったとディーコンは言う。
「うまく行って僕たちはすごく嬉しかった。ロンドンのレインボーシアターで電源が落ちた時は問題だったけど。僕たちは誰にも迎合しない。自分たちのために良い音楽を演奏し、人々が僕たちのすることを分かってくれるよう願う。嬉しいことにそれはどんどん実現しつつあるみたいだ」
「今の僕たちには休む時間はほとんどない。何かひとつのことがその次へとすごいスピードで続くようで。全英ツアーが終わるとすぐ、ヨーロッパ大陸での演奏のために荷造りをしていた」
クイーンの学歴への言及を聞くとディーコンは微笑む。「新聞はそろそろその話をやめてもいい頃だ。僕たちはそちらの世界に戻る気はないし。僕はこれからずっと音楽やレコーディングと関わっていくと思う。とにかく、僕は最近自分のいる世界が好きなんだ」
「先日、僕たちはポール・マッカートニーと会った。最高だった。彼はロジャーに挨拶してくれて、元気でやっているよと言っていた。マッカートニーはブライアンのティーン時代からのヒーロー。”Junior’s Farm” はやや期待外れのシングルだと言わなきゃならないけど」
「マッカートニーは良い仕事をたくさんしてきた。”Band On The Run” はとても良かった。先ほどの話に戻ると、僕は今ごろ研究所か何かにいたかもしれない。でも、よくわからないけど、今の仕事はとてもやりがいがあるんだよ」
クイーンの多彩な活動で取られるエネルギーについて最後にいくらか話して、ディーコンはこのインタビューを終えた。レコーディングは日に16時間もの作業で、特に ”Sheer Heart Attack” のミキシング期間はそうだったと彼は言った。ライブ活動ではリラックスする余裕はほとんどない。彼らはものごと、例えば移動距離などをできる限りスムーズでシンプルにするよう努めたのだが。74年冬の英国ツアー中に、クイーンはパーソナルマネージャー1人をスタッフに加えた。
彼の最後の言葉は控えめなものだった。「僕は自分たちの成功に心から満足している。人気が上がっていくのはいつだってエキサイティングだよ!」
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