ロジャー、ブライアン、ジョンインタビュー (International Musician and Recording World誌US版 1984年5月号)
Four Men Who Would Be Queen
By Paul Gallotta
史上最高の売り上げを記録してきたバンドのひとつを凹ませようと批評家たちが新たな形容詞を探して類語集を使い倒す、クイーンとは常にそのようなグループだった。疑問視されていたのは彼らの音楽的才能ではない。スタジオ技術への依存だ。多重録音の多用やエフェクトを好むクイーンは最近までシンセサイザーを避けていて、それが明らかにステージでの彼らの音楽の再現を困難にしていた。
多重録音やエフェクトの有無やスタジオかライブかに関係なく、クイーンは尊敬を集めている。ブライアン・メイは間違いなくロック界で最も革新的なギタリストの一人で、手製のギターレッド・スペシャルから絞り出す音はジャズバンドの管楽器からエンジンの空ぶかし音まで幅広い。フレディ・マーキュリー(そのボーカルはロジャー・ダルトリーよりもライザ・ミネリに負うところが大きい)は最高レベルでロックを歌えるが、その声はバラード歌唱時も崩れない。そして、ジョン・ディーコン(ベース)とロジャー・テイラー(ドラム)は現在最もパワフルな(そして過小評価されている)リズムセクションのひとつだ。
クイーンの結成は1971年。当時スマイルというバンドにいたメイとテイラーが、レッケイジというバンドの演劇的なボーカル、マーキュリーと組んだのだ。最後に加わったのがディーコンだ。1973年にセルフタイトルのデビューLPを発売するまでに、彼らは2年間リハーサルを重ねた。翌年にはレッド・ツェッペリンやザ・フーといった大物たちを引き離してメロディメーカー誌のバンド・オブ・ザ・イヤーに選ばれた。英国は1977年までにミニマリストなパンクによる反発を経験し、クイーンはその音楽的な「過剰さ」のため特に厳しい批判の的になった。しかし1977年は「オペラ座の夜」が英国レコード産業協会によって過去25年で最も優れたレコードに選ばれた年でもあった。1981年、クイーンは単独公演ではロック史上最多の有料入場者を前に演奏した:ブラジルのサンパウロで13万1000人を超える人々が彼らの演奏を見にやって来たのだ。
しかし彼らの運は1982年にやや唐突に変わった。シンセサイザー使用のR&Bに重点を置いたアルバム "Hot Space" でクイーンは王座を失いかけたのだ。その商業的な失敗で緊張が高まり、当然流れる解散の噂の中で、クイーンのメンバーたちは切望していた休止期間を取った。ブライアン・メイはエドワード・ヴァン・ヘイレンとミニアルバム「スターフリートプロジェクト」をレコーディングした。ジョン・ディーコンはジャマイカのミュージシャンたちと秘密めいたラップのレコードを、ロジャー・テイラーは2枚目のソロアルバム ”Strange Frontier" をレコーディング。フレディ・マーキュリーはマイケル・ジャクソンと組んだ。それからジョルジオ・モロダーとも。現時点では未発表の作品のプロデュースのためだ。
昨年8月、クイーンは再び集結した。アメリカでは新たにキャピトルレコードと契約し、彼らの13年のキャリアでどうやら最も重要なアルバムの制作を始めた。ミュンヘンのミュージックランドスタジオとLAのレコードプラント、そして彼ら自身が所有するモントルーのプライベートスタジオでの5か月を経て発売された "The Works" は期待の持てるインパクトとともに世に出た。最初のシングル "Radio Ga Ga" は英国チャート4位でデビューしたのだ。
「ボヘミアン・ラプソディ」はビデオつきの最初の曲のひとつでした。あのアイデアはどこから?
RT: あれはロックビデオとして意図されたものとしては初だった。俺たち自身のアイデアだ。
JD: あの時はイギリスでツアーに出るのがわかっていて、それはつまり「トップ・オブ・ザ・ポップス」というTV番組に出る時間がないということだった。だから僕たちの代わりになる何らかの映像を作ることにした。
RT: リハーサル最後の夜に撮影した。かかったのは4時間ほどで、終わると全員バスに乗り込んでリバプールに直行し、「オペラ座の夜」ツアー最初のギグをやったんだ。
JD: 結構楽しかったね、ごく短時間で終わったから。
多くのバンドが、ビデオを完成させるには曲のレコーディングとほぼ同じぐらい時間がかかると愚痴っています。そういうのはクイーンでも同じですか?
RT: どうかな、自分たちはもう昔のように集中的には仕事をしないので、それほど悪くない。それに「アルバム作ってツアー、次のアルバム作ってツアー」というサイクルはもう続けていないから。過去2年ほどはそのサイクルから抜けている。みな一年のオフを取った。適切な時期が来るまで次のアルバムは作らないと決めて、そのとおりにした。ものすごく正直に言うと、まさに今やっているこういうプロモーションの仕事が自分は一番きつい。
JD: レコーディングや演奏とは比べものにならないほど大変だ。
RT: 精神的な負担が来る。
BM: プロモーションの仕事はツアー中もとんでもなく辛い時がある。
話をする仕事はあなたたちの声に相当な負担になりうると想像します。特にクイーンは「ボヘミアン・ラプソディ」のトリルのように高音のハーモニーを多用するので。
RT: 実はすごく辛い時もある。自分は生まれつきかなり高めに歌う。高音域の方が良い声なんだが、でもそれは「力技」 と自分たちが呼ぶものでもある。
その音域を毎晩どのように維持しているのですか?
BM: 今は適切なペースでショーをしている。週に5公演なんてことはもうやっていない。
RT: フレッドの声はとてもパワフルで、ライブ中にものすごい負担がかかっている。だから自分たちは連続で3公演以上はやらないし、都市と都市の間には最低でも一日の休みを入れる。
JD: でも、休みが数日あるとかえって良くないんだ。調子を落としてしまうので。僕はツアーでは週7日演奏する方がいい。
RT: (笑い)まあな、でもクイーンのショーはすごくエネルギッシュだけど、俺たちは全然フィットネスマニアではない。ツアーを続けられる体にしてくれるのはツアー自体だ。あと、俺たちはステージから降りた途端急いで会場を後にするようなバンドではない。楽屋に残って緊張をほぐし ― そして互いのパフォーマンスを批判しあうのが好きだ(笑い)。それから車に乗り込む。
前回のツアーにはキーボード奏者のフレッド・マンデルが加わり、"The Works" ではキーボードにさらに重点が置かれています。今度のツアーでもキーボード担当をステージに配置しますか?
RT: フレッド・マンデルは無理だと思う。今エルトン・ジョンに同行しているから。でも彼は素晴らしいキーボード奏者で、サウンドをものすごく助けてくれた。フレディの負担を本当に軽くしてくれたね。
BM: 追加の奏者はほぼ確実に入れるだろう。僕たちのサウンドに不可欠な存在になっている。
JD: ”The Works” のツアーは多分あると思うけど、時期や場所はわからない。
”The Works" でシンセサイザーを弾いたのは誰ですか?
JD: 僕ら全員。オーバーハイムOBXとフェアライトを使った。
"The Works" はほとんどミュンヘンでレコーディングしたそうですが、あなたたちはモントルーにスタジオを所有しています。そこでレコーディングしなかったのはなぜですか?
RT: いい質問だ・・・
JD: 僕たちが "The Works " のレコーディングで組んだマックという人がミュンヘン在住でそのスタジオがホームみたいなものだから。実は彼はつい最近そこを買ったんだ。
RT: モントルーでも少しは作業した。そこの俺たちのスタジオは実際とてもいいんだが、町が俺たちにとってはちょっと小さい。それに年月とともにミュンヘンがすごく好きになった。本当にいい町だ。
BM: 新しいアルバムに取り掛かる時、違う状況や空気に自分を置くことは時に役立つんだ。僕たちはモントルーを知りすぎていると思う。
”The Works" の曲で、スタジオで書いたものはありますか?
RT: 実はほとんどがそうだ。使わなかった曲も多いが、クリエイティブな作業のほとんどはスタジオでやった。
全員がスタジオにやって来ても誰ひとりクリエイティブなことを考えつけない日があったらどうなりますか?
RT: 爪を噛む・・・
BM: 僕らは4人全員曲を書くので、そこまで行くことは普通ない。
「衣装をつけろ」(オペラ「道化師」から)のコーラスを「永遠の誓い」のイントロに借用したのは誰のアイデアですか?
BM: あれはフレディのアイデアだった。彼は本当にオペラが好きで、僕たちもあれはいい感じにフィットすると思った。
"The Works" の "Man on the Prowl" で「愛という名の欲望」のロカビリーの流れを汲んだのはフレディのアイデアですか?
BM: そう、あれもフレディだった。彼は初期のエルヴィスに大きな影響を受けていたし、声もよく合っている。
フレディはマイケル・ジャクソンと一緒に何か仕事をしたのだとか?
RT: 2人で曲を書いていた。何曲か一緒にやっていたんだ。
JD: どれもまだレコード盤に刻んではいないと思うけど。
RT: 2人はそれぞれやらなければならないことがあったので完成せずに終わった。でも俺はそれらの曲を聴いたよ。とても良かった。
クイーンの次のアルバムに入ると思いますか?
RT: それは本当に分からない。一時は「スリラー」に1曲入る予定だったが、その曲は完成しなかった。
フレディはジョルジオ・モロダーと何かしていると聞いています。
BM: うん。何があったかというと、僕たちはジョルジオと以前から知り合いで ― LAでばったり会ったんだ ― 彼はフリッツ・ラング1926年の素晴らしい無声映画「メトロポリス」にある程度のことをする権利を買った。それ用に音楽を書き、自分の資金で修復し、長い間に行方不明になっていた断片を探し出している。僕たちは彼の手元にあった状態の映像を見たんだが、それと自分たちのアイデアが結びついた。映像の一部をプロモーション的な方法、つまりビデオで使うといいのではと考えたんだ。彼は「フレディが映画の中の曲を1曲歌ってくれるならいいよ」と言った。そして ”Love Kills” という曲が送られてきた。フレディはそのまま歌うのはあまり気に入らず大部分を書き直した。というか、実は僕ら全員で取り組んだ。
RT: だから交換みたいなもので、こちらは「メトロポリス」を "Radio Ga Ga" に使った。
そのシングル曲の根本のところがよくわからないのですが。クイーンがラジオ局のプレイリストに入るのに苦労するバンドとは思えないので。
RT: アメリカの人たちはどうもそう解釈するようだけど、あの曲の意味はそうじゃない。ラジオがかつてほど突出してはいないと言っているんだ。ゴミみたいな内容は少し増えているかもしれないが、あれはラジオ放送についての曲ではないし、ラジオをこき下ろしているわけでもない。アメリカでのラジオは少々定型化されすぎている。昔とは別物だ。あの曲はちょっとした歴史についてのもの。ラジオはかつてとても重要なものだった。曲でそれをはっきり言っているわけではないが。今はビデオが音楽と同じぐらい重要に思える。そしてもちろん、自分たちもあの曲のためにビデオを作らなければならなかったわけだ! 皮肉だよな?
JD: 僕にとってはそれがMTV唯一のマイナス面。何か曲を聞くたび無意識にビデオが目に浮かぶ。
BM: 僕はTOTOがすごく好きだけど彼らのビデオは好きではなかった。素晴らしいミュージシャンたちだが、その音楽はビデオにあまりうまく反映されていない。
振り返ってみると、"Hot Space" はクイーンで一番人気のアルバムというわけではありませんでした。
RT: どうも。
BM: そのとおり。
何が悪かったのだと思いますか?
JD: レコードを多く売ることについて言っているのなら、そうだな、あのアルバムには何か問題があったんだろう。
あなたたちは満足していましたか?
JD: 発表した時はそうだった。
RT: 方向性の違う作品だったが、世間がクイーンに望むものではなかったし、ひとつの方向に偏りすぎだったかもしれない。他のアルバムほどはバラエティに富んでいなかった。ヘビーな内容がそれほどなくて。
BM: それから、タイミングも僕たちには非常に悪かったと思う。当時の状況全体がとても悪かった。ロックがディスコに取って代わられるとほとんどの人が心配していた。発売が一年遅ければずっとうまくいっただろうと多くの人が言った。他にやり方があったかもという意味ではそれほど良いアルバムではなかったのだと思う。僕たちが今回のアルバムにじっくり時間をかけた理由がそれだ。全てが整っていると確実にしたかった。でも "Hot Space" を作ったことへの後悔は僕には全くない。
機材に関して言えば、あなたは過去12年の間何も変えていません。
BM: そうだね。
ギルドがブライアン・メイモデルのギターを製作中だとか。
BM: そう。すごくわくわくしているし、彼らはとてもいい仕事をしてくれた。ここ(※アメリカ)では4か月後ぐらいに発売されると思う。
そして今もVox AC30を使っているのですね?
BM: クリーンなサウンドのアンプで、とても温かい。他とは違うので好きなんだ。
ジョン、今もフェンダー・プレシジョンを使っているのですか?
JD: そう。
何か他のものを試したことは?
JD: あるけど、自分にはフェンダー・プレシジョンが一番使いやすい。他のものも持っているけど、プレシジョンはプラグを差し込むと即、最高の音が出る。スタジオの中でさえも。
ロジャー、あなたのコレクションにはシモンズが加わったようですね。
RT: 実はもうしばらく使っている。
あなた特有のスタイルはドラムをより酷使するように思えます。シモンズを叩くと手首を痛めますか?
RT: ああ、手首にとっては災難だ。でも俺のプレイでは筋肉はそれほど使わない。肝心なのは手首の動き。それにシモンズには今、ドラムが気泡ゴムで覆われた新しいキットがある。それから実際に叩く必要のない新しい演奏法もある。シーケンサーを使えばボタンを押すだけでいい。それとLinn の新しいドラムマシンを併用している。
かなり楽になりそうですね。
RT: そのとおり。
”No More of That Jazz" という曲で、あなたは「スリルをくれるのはサッカーだけ/ ロックンロールはただの生活費稼ぎ」と言っていました。あれは正確にはどういう意味だったのですか?
RT: あれはひどく間違って解釈された。皮肉のつもりだった。俺はサッカーは本当に好きじゃなくて。多分あの頃は賢くなろうとしすぎだったんだろう。本当に逆の意味だったんだ。
BM: 曲の中で皮肉を言うのは僕たちにはとても難しい。世間は常に誤解するようでね。"Radio Ga Ga" に対して君がそうだったみたいに。人が思うより難しいことだ。もちろん、ボブ・ディランなら話は別だが。すごく皮肉な声で言える人だから。僕たちはどうやっても誤解から逃れられないようだ。
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