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埋め込まれた「どうでもいい」という感情

最近になって気づいたのが、
何か起こっても、すぐに「どうでもいい」と思うようになったことです。

どうでもいい、というか、
なんでもいいや、というか。

つい先日母が爆発したんです。
おばあちゃんが亡くなって数年経つのですが、
母とおばあちゃんはとても仲良し親子で、おばあちゃんが介護必要になってしまってからも、母は8年間ずっとおばあちゃんのそばで生活してきました。

経験した人にしかわからない気持ちや、後悔が、
母の心から離れないみたいで。

孫の私ですら、もっとおばあちゃんにできたこと、
すればよかったことに涙が止まらない日があるのだから、
母の想いは図りきれないと思います。

おばあちゃんが亡くなって、鬱の私が戻ってきて。
抱えきれないと、もう親やりたくない、子供に戻りたい、
そう泣く母を目の前に、
わたしは

大変だな、
可哀想だな、
お母さんも心療内科とかいった方がいいんじゃないかな、
もうわたしのこと殺してくれていいのに、

とそんなことばかり頭の中に浮かぶばかりで。

母がしばらくは一人で考える時間が欲しい、
(私も)大変だろうけど、今は気遣えないかもしれない、ごめんね

と言ってきたことにも、

別にいいよ
なんでもいいよ

ってそれだけ。

強迫観念的に、人生を終わりにしたいと思ってた日々が以前よりも落ち着いてから、
じゃあこれからどうしようかな、とりあえずどうしようかな
と思ったときに、

とりあえずお金持ちになりたい

って思ったんです。
これは目標でもなんでもなくて、
とりあえず毎日を消費してるなら、とりあえず。って気持ちしかなくて。

自分で頑張ることにつかれた、
自分にもう期待も自信もない、
自分のために生きることがわからない、

というか生きていたいと思ったわけではないから、
じゃあ家族が幸せであればいいやと、どこかで潜在的に思うようになっていたんです。
母が注文住宅建てたいらしいから、そのためのお金少しでも自分が、みたいな。

そして実はわたし、海外就職が決まってたんです。
決まって就労ビザ取得に向けて動いてたのに、
就職先の会社がビザ申請の途中で投げ出し始めて。
わたしの海外就職パァについ先日になりました。

その時もあまり落ち込まなくて。

あーあ、金持ちになる一歩踏み出せるかと思ったのに。
とか、
親がやっと安心できると思ったのに。

って気持ちだけ。
だからお母さんが泣き出したときも、
何を言われても自分の気持ちはどうでもよくて、
母が穏やかにいられるならなんでもいいよ、って感じで。


自分の中で自分の価値がゼロなことに気づいた瞬間でした。
鬱になって、徐々に埋め込まれた感情で、
じゃあそれがつらいかって言われると、全然悲しいことじゃないんです。

自分のために生きるとかだと、考えなくちゃいけないけど、
誰かのためとか、って考えると何をすればいいのか簡単にわかるから。

すごい失礼なことだけれど、
鬱になってからふとした瞬間に考えることがあります。
良いなみんな横並びだった時代は。って。だから迷うこともないのかなって。

ないものねだりですよね。
実際そうだったらやりたいことも、夢も溢れて苦しいだろうに、
かくいうわたしはもう誰かに私の人生を決めてほしいと思ってる。

何も考えず、未来も終わりも決まってる方が楽。




死にたいです。



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