見出し画像

大学生がライター体験をした話。

文章が書きたいです。

 大学生になれば、楽しいことが待っている、と無条件に思っていました。大学生になれば、失われた青春とやらをいただけると思っていました。

 先日、神戸市主催の「ノーギョギョギョ ギョギョー ラボラトリーズ」の最終報告会が行われた。僕は11月ごろからそこに参加している。きっかけは、インスタグラムのストーリーズ広告。その奇抜なオレンジのサイトとDチームの「参加学生像」にある『文章、編集に携わりたい方』と『メディアの企画、制作、運営に興味がある方』を見て、応募した。志望理由の部分に、「文章を書きたい」と長文を書いて送ったのが記憶に新しい。

横浜の占い師「好奇心を準備不足の理由にするな」

 結果、自分の好奇心の旺盛さと見通しの甘さに感謝することになる。グラフィックを学んでいる学生たち、卒論に追われる四年生、などなどDチームの「神戸の農業や漁業に関する活動を横断するメディアづくり」に参加する僕を含む9名が集まった。

 制作を進める中で知ったことがある。留学生が僕たちの感じている日本語フォントのイメージがわからないと言っていた。その子は、雑誌のレイアウトやデザインを担当していた。底抜けに明るく、自分の知らない空気を背負っていた。

 学外にも、目を向けるべきだと知った。僕の大学は、閉鎖的で学外の活動を紹介することはない。僕の周りの人たちは「ノーギョギョ」のこと、知ってる人はいなかった。学年の違う人と関わることも少ない。就活の話とか、専門学生の就職のことを聞いた。それとすごい人は意外と身近にいる。本人にはその気がなかった。

 文章は何回も修正してもらった。無力で申し訳ないと思う。言語や文章の難しさを感じるのはずっとだ。取材もさせてもらった。頭がショートした。ライターよりも、作家のほうがやりたいと思ったが、ライターの楽しさをまだ十分に理解できていないからなんとも言えない。

一人で環状線に乗った時、おわりとはじまりが同時に来た気分だった。

 最終報告会が終わったあと、なんとも不思議な色を見ていた。文章を書くことを否定され続けていた僕が、冊子の制作に関わるようになった。認められた、というわけではないが、そこにいることが当たり前になっていた。僕が見ていたのは、9人の顔とパソコンだけだったので、その色の正体を知らない。

 僕のいる大学から報告会が行われた、旧グッケンハイム邸に行くには須磨駅を通ることになる。電車から海を眺める楽しみがなくなったのは悲しいが、冊子になるまではこの場所から離れずにすむ。そう思うと少し背筋が伸びる。僕はまだここにいます。

 大学生になれば、楽しいことが待っている、と無条件に思っていました。
大学生になれば、失われた青春とやらをいただけると思っていました。
僕は知りました。
大学生だから、ではなく、自ら選んでいくから、ありつくのです。