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最後の夏休み

大学4年生私は就活が終わり、夏休みに入ってここ1ヶ月ほぼバイトと家の往復しかしていない。

家では入社後必須の資格の勉強をかじる程度で、他は日々の買い物とスマホかテレビと睨めっこ。

最後の夏休み

社会に出たらもう2度とこんなにヒマな時間はやってこないだろう。ヒマになるのはリタイア後だろうからまだだいぶ先。

社会に出れば、一年目だろうが関係ない。一社会人として扱われる。

そのため自分の力で、地に足を付けて一大人として生きていかなければならない。

しかし私は、社会人の自覚が足る足らないの話の前にできないこと、苦手なことが多すぎる。

料理だって今年になってはじめたにも関わらず、少しも進歩できてない。もうそろそろ9月になろうとしているのに。未だに「お前が作るとどうしてこんなに飯が不味くなるのか」なんて言われちゃうし。米を研ぐことさえ母に認められないほどなのだ。

不器用なこと、これは私が恨んでも恨みきれないほど、自分の1番嫌いなところ。

そつなくこなす専業主婦20年の器用な母と、ものづくり一筋(メーカー勤務)だがうだつの上がらぬ不器用な父。

昔は親戚からも私の不器用で鈍臭い様を見て、「お父さんにそっくりね」とよく言われたものだ。
(父方の親族の人間はわざわざ私に向かってよく言ってくるもんだから敢えて空気を悪くさせていたものだ。)

父は自分の不器用さをさほど自分でも恨んでおらず、親族から何を言われても笑っていた。不器用な自分を受け入れたから笑えたのだと思う。

しかし私は負けん気の強さだけはしっかり母から受け継いだらしく、悔しくてたまらなかった。親族にクスっと父が笑われているのを何度も見た。なんで自分も笑ってるのか?悔しくないのか?と幼い頃から疑問に思っていた。私は不器用なくせに気だけは強かったため、父のようにあからさまにバカにされることはなかったが、可愛げがなくいつも1人ぼっちだった。そして自分を自分で追い込んで首を絞めていた。また、人より数倍時間をかけても人並みにしかできない歯痒さを父のせいにしたこともあった。人より時間がかかるタイプだったこともあって自分自分で今まで人のことなんかほとんど考えたことなかった。

ゼミに入ってもそれは変わらなく、みんなが立派に見えて遅れないようにバカにされないようにスカしてた。

今考えればめっちゃダサいけど。笑

そんな中で人のために頑張れる考え方が周りの子らより大人な子に出会った。初めは、人のために動けるその子が偽善者に見えて(めっちゃ失礼)何となく苦手意識があった。しかし、授業を受けるにつれ「人との繋がり」について何度も考えさせられて、その子が周りの子より本質を見抜く力が長けてると感じたのと同時に、自分の醜さを痛感した。

自分の不器用さと自信のなさを棚に上げていたこと気づいた私は就職中はその自分を少しでも変えようと意識を変えてデブ症からフットワークを軽くしてみたり、自分で動けるだけ動いてみた。人のためになることを考えてそれを面接で話たりと就職を混じえながら自分を改善しようとした。

それでも自分勝手はすぐには治らず、内定は貰えたけど今も自分勝手だ。博愛主義の欠片もない。けど、高校の友達は私が人の為に動くことに驚いていたので少しは改善されたのかもしれない。

これからはもっと自分だけでなく人に目を向けて行きたいと思った。

もっと世界を広げて、自分を見て見ようと思う。だから残りの夏休みは後悔のないようになんでも挑戦してみようと思う。




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