また、思考のクセに気づくに対する恐怖はどこから来る?
先日、グループコーチングのメンターにこんなことを言われました!
「目的と手段を間違えるなよ!」っと!!
なるほど、僕もオンラインサロンについては有料で運営しますが、決して「お金のためにやるんじゃない」ということですね!
と返答しました。
それに対し、メンターはいや違う!と答えました。
僕はえっ?となり、それを察してくれたメンターは続けてこう言ってくれました。
「稼ぐことは悪いことじゃない」
なぜなら、それはちゃんと「価値提供」ができている証拠だから!!
僕はハッ!とさせられました。
また思考のクセのどこかに、お金を稼ぐことは悪いことというのが出ていたのかも知れません。
これもまた、気づきの一つですね!
「お金を稼ぎたい」というもの僕ですから、これでまた一つ僕を受け入れられたように思います。
さて、話は変わりまして、先日インスタで知り合った方が、チャネリングのモニターを募集されていたので、応募してみました。
そこで、僕は心の奥底にある「恐怖」はなんですか?
と言ったような質問をさせてもらいました。
そこで、言われたのが「寂しさ」というキーワードでした。
「寂しさ」か?!
と、まーこれといって思い当たる記憶もなかったですが、ありえない話でもないなと思い、記憶に止めておきました。
それから、2〜3日が過ぎた頃、外出中、道を歩いていると帰宅中の小学生と出会しました。
その子は、ちょっと俯き加減に見えたので、ちょっと気になっていました。
すると、その子の後ろからお友達らしき子が「どうしたの?」っと
声をかけていました。
ちょうど、すれ違う間際のことだったので自然と耳に入ってきたのですが、その子はこう答えました。
「〇〇ちゃんが一緒に帰ってくれなかった」っと
それを聞いて、僕は「だから俯いていたのかと」思いました。
それを聞いたお友達は「じゃー私と帰ろ!」と言ってあげました。
良い子だな〜なんて思っていると、僕の脳裏にある記憶が蘇ってきました。
それは、僕も小学生のころ同じような経験をしていたのです。
何が原因だったのか、全く覚えていませんが、一緒に帰りたかった友達が二人がいたのですが、その内の一人に対し僕が何か気に食わないとやったか、言ったして、その友達がもう一人に対して、あいつと一緒に帰るな!
と言って僕を置いて帰ってしまった記憶でした。
この時僕は、子供ながらに察したのです
「人に嫌われるとこんな寂しい思いをするのか」と
今、思いだせる一番古い記憶では、ここから僕は「人に嫌われない努力」をする人間になっていきました。
この記憶は、数十年ぶり思い出した記憶でした。
僕にとってはとても「寂しく」辛い思い出でしたので、無意識的に長らく思い出さないようしていた。
ということ気づきました。
しかし、これは僕にとってとても大きな記憶の呼び起こしであり気づきとなりました。
思い出させてくれた小学生に感謝です👏
(その子がトラウマになっていなければ良いのですが(汗)
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