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ご近所さんを笑顔に。

こんにちは。
世界一美味しいクッキーはイギリス土産の定番Walkersだと思ってる松木蓮です。

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本題に入る前に、寄り道します。

デザインに関する情報発信をされているインスタグラムアカウントがあって、そちらにてピクトグラム(絵文字)に関する投稿がされていました。今では世界中の共通言語にもなっている絵文字ですが、東京オリンピック(1964年)で作られたと紹介されていました。

ここまではウンウンと読んでいたのですが、トイレのピクトグラムが引き合いに出されていたんですね。

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日常で見るアイコンは理にかなっている」という主旨の投稿だったのですが、トイレのピクトグラムを「理にかなっている」のシンボルとして取り上げるのはちょっとどうなのかなぁと思ってしまいました。

このトイレのピクトグラムについては以前のブログでも取り上げたのですが、基本的に日本ぐらいなんですね、性別に色が割り当てられてるのは。少なくとも、北欧では見たことがありません。むしろ、男女共用の個室型の仕様になっているところが結構あります。

楽しく拝見していたアカウントで、フォロワー数もそれなりにあるアカウントだったのですが、これはさすがにミスリードだなと思ってコメントをしようと思ったのですが、辞めてフォローを外しました。

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▼ここから感じるもどかしさ。

一つ。
デザイン思考向上を謳っているのであれば、ユニバーサルなデザインを基軸に発信をして欲しいなぁと思いました。ダイバーシティーが叫ばれる令和の時代に、色の固定化を推奨しているとも取れる内容はちょっと受け入れ難い。が、これをコメントできなかった僕の小ささ。

なぜ出来なかったのか考えたときに、この場合の指摘を「批判」として捉えられるのではと思ってしまったんですね。それほどに日本にはディスカッションの素養がないんだろうなと勝手に思ってしまい、これも何だかなぁと思います。

一つ。
情報発信する時に、どこまで他者を考えられるかで明暗が分かれるということ。僕自身もどちらかというと、情報発信者側だと思うのですが、今回の僕のように一度でも一線を超えた姿を見てしまうと、離れてしまう層って結構いるんじゃないかなと思います。

もちろん悪気はないんだろうけど、「良かれ」が悪転する場合って結構あるので、そこはいちいち慎重になりたいと思います。とはいえ、あまりにそうした声が集中しすぎると、声を上げにくい息苦しい社会になっていくので、その辺の塩梅は難しいですよね。

それこそ、横槍が入らないようにオンラインサロンみたいなエクスクルーシブなコミュニティーがアツくなっているのはこの流れ(無意味な横槍を排除し、建設的かつ尖った表現をする)があるからで、そのコミュニティー内においては、もし違った方向に進んでいる(男女の色の固定化を推進するような声があったり、、)場合にはブレーキをかける人が必要だったり。

今後ますますコミュニティー化が進むと思うので、この辺は蔑ろに出来ないなと思いました。

事実、僕は現在友達と3人でアパレルブランドの立ち上げをしているのですが、僕はデザイン面を任されています(デザインは素人に毛が生えた程度ですが)。で、ターゲットはカップル・夫婦層なのですが、当初カラーバリエーションに、紺(→男)とエンジ(→女)の提案があったんですね。

これに対して、僕は日本の異様なジェンダー偏重が組み込まれていることに異議を唱えすぐにボツにしました。カップルといっても色んなカタチもありますしね。あと、そもそもデザイン面からして紺とエンジは微妙なチョイス。

こんな感じで発信や表現には何かしらの思想や哲学が刷り込まれるので、ここは引き続き大切にしていきたいなと、改めて思いました。


▼ご近所さんを笑顔に。

さて、例によって膨大な前置きがあったところで、本題です。結構ほんわかする内容をお届けできればと思います。

絵を描き始めて10ヶ月くらいが経って、微妙に成長しているのかなぁとは思うのですが、何だかモヤモヤというか、せっかく描いているのだから、誰かに届かないかなぁと思っていました。

で、インスタなどに投稿したりもしているのですが、いまいちリアクションがわからないし、わざわざ「描いたで!」みたいな感じになるのが嫌だったんですね。

で、アートの意味って何だろうって考えた時に、他者の表情に変化を与えられる、があるんじゃないかって思いました。

それこそ、昨日のブログでも描いたように短編アニメでワクワクしている僕がいるので、ビジュアルで人の心が動くってめちゃめちゃありますよね。広告なんかまさにそれだと思います。

めちゃくちゃわかりやすいのはバンクシーですね。

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ヨーロッパの町にはストリートアートが描かれているところって結構あって、僕はそれを見つけるたびに、「うおぉすげぇ、、」ってなるんですね。

そういえば、僕が住んでいるアパートのエレベーターでも時々絵が貼られていることがあるんです(↓)。

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”意味わかりますか?”

こういう絵をみた時、僕は楽しくなるんですね。これなら僕にも出来そうだなと思って、やってみることに。昨日(今日?)の深夜にトンコハウスの「ダム・キーパー」のキャラクターを描いてエレベータに貼ってみました。

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多分すぐ撤去されると思うのですが、撤去された理由を「マスクをしてないから」と勝手に解釈して、次はマスクしたバージョンを描いてまた貼ろうと思います。

ご近所さんがクスッと笑えるような絵を色んなところに貼りたいなと思います。


▼アートを身近に。

「アートを身近に。」なんて僕が言えるようなことでもないのですが、とりわけ日本では軽視されがちな分野だなと思っています。アニメ文化が根強い日本には優秀なクリエーターが山のように眠っているはずなのですが、時間給的な生計の立て方が主流な中食いっぱぐれ、結果として普通に就職してアーティストとしての生き方を諦める人って多いんですよね。

美大卒の人の就職先なんかをみると、一目瞭然です。もちろん、人それぞれで美大に入ってから進路が変わったということもあるでしょうから一概にはいえませんが。

今の世の中って技術の発展によって色んなものの民主化がかなりのスピードで進んでいます。この辺は文字数割いてガッツリ書きたいところですが、簡単にいうと、例えば、昔は一家に一台なんて無理!と思われていた車も、今では別に普通ですし、一昔前までは写真というとごっつい一眼レフを持っている人しかイイ写真は撮れないと思われていたけど、インスタの普及とスマホカメラの革新的向上によって誰もが綺麗な写真を片手で撮れる時代になりました。

僕が一眼レフで写真を撮り始めたのは今から3、4年前だったと思いますが当時はまだカメラブーム、写真ブームはあまり来ておらず、ちょっと良い写真を撮ると、「綺麗だね!」と言われていました。それがここ数年で大きく変わり、世の中には綺麗な写真で溢れるようになりました。

他にも沢山民主化したものは多いですが、ことアートについてはどこか敷居の高さが拭えていないところがあるのかなと思っています。事実、先ほどのエレベーターのイラストのような物って日本であまり見たことないんじゃないかなと思います。

きっと近いうちにアートがもっと当たり前化する時代が来るんじゃないかなと思います。Canvaのような誰でもお洒落なポスターを作れるようなツールは出揃っている感じはしますが、まだまだ浸透していなさそうです。


▼アートに関する物語

絵本を構想する中で、「アート」に関する物語が頭にあります。作り始めるのはだいぶ先にあるんでしょうけど。

絵を描くのがとにかく好きな少年がいて、彼はのめり込むように毎日絵を描いていました。そのおかげで学校の成績は芳しくありません。先生からは叱られ、親御さんからも勉強しなさいと言われる日々。

そんな生活に嫌気をさした彼は家を飛び出して、夜な夜な町の道路に大きな絵を夢中になって描きました。翌朝、その絵のクオリティーに驚いた町の人たちの顔を見て、少年は嬉しくなりました。ですが、アートがあまり受け入れられていないその町で認めてもらうことができず、また叱られてしまう少年。

そんな中、町にピンチが訪れます。何かはわかりませんが、テロリスト的な人たちが来たんだと思います。一世一代の大ピンチの町。それを救ったのがアート少年だったのです。どのように街を救うのか、ここが一番美味しいところなのですが、こんな物語です。

あそびごころが増えるといいなぁと思います。

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先ほどのこれはI think you are 「FANTASTIC(Fanta-Stick)」ですね

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