ウブントゥという言葉
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ウブントゥという言葉
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ウブントゥ(Ubuntu)という言葉を知っている人がどれだけいるだろうか。
「ウブントゥ」
アフリカのズールー語という言語の言葉みたいだ。意味は「I’m because of you」、つまり、自分は誰かがいることで生かされていて、その人も誰かのおかげで生きている。こうした集団主義の中での精神性を表している言葉。ネルソン・マンデラがよく口にしていた言葉としても有名みたい。
いつかのブログでも書いたようにノルウェーの犯罪率は極めて低い、それに再犯率も同様に低い。これは、罪人を罰するという考え(報復)ではなくて、社会に戻す(修復)という考え方に大きく影響している。最近読んだ論文の中で、このRestorative justice(修復正義?)はウブントゥに起源があると書かれていた。北欧という厳しい環境の中で存続していくためにこの考え方がハマったんだと思う。
アフリカの集団社会ではこの言葉がよく言われているようだ。かつてアフリカに刑務所がなかったときこの精神のもと、犯罪を少なくしようとしていたようだ。このウブントゥという哲学から学ぶことは大きい。
科学技術の発展によって生活はどんどん便利になった。ネットの普及によって、受信者であった人々は発信者へと成り上がり、同時に情報の価値は著しく落ちた。一方で、人間関係が希薄化したことが懸念されることは多い。最近の流行りの動画配信サービスに釘付けになって、都市部に行っても郊外に行ってもやっていることは同じ。みんながネットに接続してそこで時間を過ごす。
ある意味で、情報の均質化が進んで誰にもチャンスという市民権を付与されるようになった。でも、一方でポリス的動物である僕たちの本質はどうも見えにくくなっている。
個人間での接触が少なくなっている近頃、ウブントゥの精神は忘れがちになっている。ウブントゥはアフリカに特化した言葉ではなくて、もともと人間に備わっている精神性だと思う。大昔は狩猟に励んで、大自然の中で協働しながら生き延びてきたことを考えればそれなりに妥当性はある。
きっと、時代は集団社会にまた戻ってくる。歴史は繰り返すもので、流行もまたブームが来る。タピオカだって、2回目のブームだしね。ネットの普及によって助長された個人主義社会から集落的な生き方がこれからの生きる術になる気がする。特に日本では、その流れが加速度的に広まっていくと思う。少子超高齢社会になった以上、限界集落はこれからもっと増える。その中できっとウブントゥが活きてくるはずだ。
「結局のところ、人生を決めるのは自分自身だ!」
そんな言葉が独り歩きしてしまってはないか。それはそれで正しいんだけど、個人にばかり目線が向けられていて、どうも息苦しい。
自分がいるのは、誰かがいてくれるから。
誰かがいるのは、自分がいるから。
基本的人間関係の尊重を意識しよう。
考え方を1つ変えるだけで、
視点を1度変えるだけで、
きっとそこから見える地球はもっと丸くなる。
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月曜日、また一週間頑張りましょう。今週は少しウブントゥを意識してみようと思います。
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