【デベロッパーとしての家康】
前々から事あるごとに言っていますが、まちづくりであったり、どうやって人が集まって町化していくのかという過程にすごく興味があります。そんなわけで既存の都市について考えるのですが、僕が異様な都市だと思うのがとある国にあります。
東京です。
僕の肌感だとこの東京という町は明らかにおかしくて、1400万人もの人が密集してるってどう考えてもヤバくないかって思うんですね。1億2000万人の国にあって、その10%以上が1つの町にいるってなかなか異常事態なんじゃないかなと思います。それも1400万という数字がイカツ過ぎる。
#いやよくよく考えると北欧も首都密集率は10 %超えてる
#ちなみに36万人ほどしかいないアイスランドの首都レイキャビークには13万人が住んでいてこの首都密集率は36 %
とかく、東京っていう町ほどの巨大都市を見つけるのってなかなか難しいんじゃないかなと思います。それで、これはいつから始まったんだろうと考えてみるわけですね。東京エリアの旧称であるえ江戸が本格的に開拓されたのは言うまでもなく、江戸時代のこと。
コイツ(家康)のおかげで江戸が異様に密集した大都会へと変貌を遂げたと言うわけです。当時の人口から見ても、江戸の規模感は世界的に見て異常であった様です。江戸末期のロンドンの人口やパリの人口を見たときに、江戸の人口はそれに比肩するほど、あるいはそれすら凌ぐほどだったとか。
#正確な人口データはないのであくまでも推定のよう
こんなわけで、江戸時代から東京という町が巨大都市として機能していて、それは今にも続いているというのは深掘りする価値がありそうな気がします。
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江戸はなぜ江戸にできた?
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そもそもなぜ江戸という町ができたのかということを調べてみると、その起源は徳川家康にあるようです( #あたりまえ体操 )。徳川幕府を開く候補地としてあげられていたのが、鎌倉、小田原、江戸。家康は最終的に江戸を選んだということになります。
1603年に江戸幕府ができたのですが、その少し前の権力者であった豊臣秀吉は家康に「江戸を開拓せよ」なる助言をした様です。秀吉のアドバイスを取り入れたからということになっていますが、きっと家康も合理的な選択に基づいて江戸を開拓したと思うのですが、この辺も面白いです。
まず、3つの都市で比較した時に、鎌倉と小田原は山に囲まれているという地政学的な特徴(特長)があります。中学校の社会の授業を思い出しますが、鎌倉に幕府を構えたのは、周りが山に囲まれているからであって、つまり攻められにくいという利点を生かしたということになります。小田原も同じような特徴があるらしい。
さて、一方で江戸はというと、今でさえ開発の進んだ大都会にまで成り上がりましたが、当時は水浸しの平野だったそう。日本最大の平野(関東平野)に日本最大の流域面積を誇る利根川が流れていたので、納得がいきます。
が、江戸きってのデベロッパーであった家康はこれを逆さに読み替えました。つまり、周りが山に囲まれていないということは、その分町が大きくなる余白があるということ。鎌倉や小田原だと、セキュリティー面で安心ですが、山が障害になって大きくならないというジレンマがある。
治水工事さえすれば、江戸は大きくなるはずだという合理的判断だったようですね。よくよく考えてみれば当たり前で、町を大きくしようとしていたのであれば正しい判断だと思います。鎌倉を選んではいけなかったということですね。
例えるなら、僕が今住んでいるデンマークに日本から辿り着こうと思ったら、車なんかではまず無理で、最初から乗る乗り物は、飛行機か船を選ばなきゃいけないということですね(何に乗るかが重要)。
なので、町を大きくして人を呼び込むことが念頭にあるのであれば、地理的制約が自動的にかかる鎌倉、小田原を選ぶべきではなくて、開拓の余白が残されている江戸が然るべきチョイスだということになります。
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家光の功績から東京に人口が流れた
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江戸を選んだ理由については腑に落ちたのですが、どうしてここまで人が集まる都市に発展したのかという疑問があります。これはまさに三代将軍家光が定めた参勤交代にあるのではと思います。
参勤交代の説明は不要だと思いますが、日本中に散らばっていた権力を摩耗させるために、年1で江戸に大名を呼び寄せるという政策です。これによって各藩は財政的に苦しんだようですが、江戸への変化にも目を向けてみます。
参勤交代で、全国から江戸に数十名、数百名が押し寄せるということは、それだけの人が寝食をできる場所が必要になる。それで、余計に土地開発が促進されたようです。結果的に江戸末期までには人口100万人(推定)ほどにまで膨れ上がっていて、これはロンドンやパリの人口を優に超える規模感にまで成長したということになります。
参勤交代は、地方勢力を弱体化させて幕府への忠誠を誓わせる巧妙な手段だっただけでなく、江戸そのもののフィジカルな発展にも寄与する筋の通った決断であったということになります。
#鎌倉や小田原を守った山が江戸でいう参勤交代だったということか
こう考えてみれば至極普通の現象ですよね。なので、東京という巨大都市はなるべくして作られたのであって、これは過去100年以内に始まったことではない。
明確な理由とその背景に基づいた選択によって、町化が進んでいくんだと、江戸並びに家康、家光から学べますね。
そういえば、人間の生活の基本である「水資源」はまちづくりの前提中の前提で(建築修士の友達が言ってた)、世界中を見渡しても人が住む場所(町)の原理原則です。それこそ今みたいに物流が発達していなかった過去は、人力での輸送や船での輸送に頼らざるを得なかったので水のある港町がよく発達しましたよね。
イタリアのベネチアもそうだし、スウェーデンの首都ストックホルムもそう。僕が最近までいたノルウェーの主要都市(オスロ、ベルゲン、スタヴァンゲル)はどこも港町です。
#いま住んでいるオールボーという町も東西に川が流れているよ
そんな風に歴史を読み解いていくと、未来へのヒントが見えてくるんじゃないかなと思います。とりあえず、家康は優秀なデベロッパーだったということがよくわかりました。
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今日のブログの話は、信憑性を100%担保できかねるサイト記事も参考にしました。ワインテイスティングで、口に入れては最後に吐き出す感覚で読んでいただけたら嬉しいです。
引き続き、まちづくりについて勉強を進めたいと思いますー!
【家康が江戸を選んだ理由】
https://kusanomido.com/study/history/japan/edo/30794/
https://mansionkeiei.jp/column/20819
https://globis.jp/article/3987
https://life-baton.cel-co.com/article/404
【江戸時代の人口】
https://edo-g.com/blog/2016/01/population.html