愛の鞭
ある男、伴侶を差し置いては外の女を麻縄で縛ることにて心満たされり、然れど、緊縛という倒錯した性嗜好を嘆き、内の女に同情されの、かき抱かるるにてにて体満たされり、そうして現と夢との落差に咆哮を上げる男より、愛の鞭なぞというアブノーマルな言葉を引き合いに出しては、健康優良少年共の頭蓋を黒板に打ち付ける教育者の方が、どれほどに歪んだアブノーマルを持ち合わせているものだろうかと我思ふ。
そういや「愛の鞭」ってすげぇ言葉だなぁと思いつつ、日常生活に頻出の言で、作者の下心が多分に反映されているに違いなき言葉は多々御座って、例えば「穴があったら入りたい」なぞもその代表格なわけであるが、穴があったら入りたいという願望なんぞ並の人間が思いつくわけもなし、正に並一通りでない思考から生み出されたにも関わらず、人々これを厚顔無恥にも汎用してのけるのである。
他にも「漁夫の利」という言葉があるが、漁夫とは日に焼け、日毎大量の魚を引き上げることから、肌の浅黒く筋骨隆々な男子であることは明白であり、そのような男子が得る利など女の外にないわけで、つまるところ漁師をやっている男は好き放題女を食っちまえるから楽しいねぇ、という意味を含んだ語なのである。
また、「犬も歩けば棒に当たる」とは正にこの、この出会い系サイトを象徴している言葉であって、女であれば誰しも彼しも、とりあえず出会い系サイトなるものに登録しておけば男の肉 棒にありつけるものだよという教えを含んでいるのであって、どんなけ色事に疎い女だとて、辛抱強くここでの活動を続けていればいずれは異性とセ クスできるよということなのだ。
ほんで、女三人寄れば姦しいなぞとはこれもって、まごうことなき下心の発現であり、女が三人寄ればもう何が起こるのか分かりますよねぇなぞと、同人誌読者の忖度をはかるべし、卑しく、底意地の悪き、下心満載の言葉に違いない、まぁ女三人が寄ったらどうなるかっていうのはこの場における皆々様においては重々ご承知のことでしょうなぁという、そんな意味。
あとはもう「臭いものに蓋をする」、「糞も味噌も一緒」、「旅の恥はかきすて」、「藪から棒」など、欧米のライトな貞操観念を植え付けられ、チープな性をむさぼる我々とて思わず赤面せざるを得ないような諺・故事成語が世に溢れる今日であるが、それらを国家選定の教科書にて突きつけらるるも、センター試験の黒塗りのため平気な顔して咀嚼する、その事実に目ん玉引んむく妙齢女が酒浸し。
愛の鞭、これ打つ者まるで無恥。
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