ゼミの議題が興味深かったから共有してみる。スポーツに関わる親になったらどうするか考えてみた。
金曜の夕方は大学のゼミがあるのだが、そこでのグループディスカッションの話題が興味深かった。
以下問題
小学校2年生のA君は、少年野球チームに所属しています。先日の試合でA君がバッターボックスに立った時、ベンチからバントのサインが出ました。(ランナー2塁)
A君はバントをしようと思いましたが、絶好球が来たので、バットを振り、ヒットを打ちました(ランナー1塁、3塁)。
試合はA君のチームが勝ちました。しかしA君はベンチに帰ってきた後に監督に、何でサインを無視して打ったのか?と指示を守らない者は試合には出せないと言われました。
家に帰ってからA君からこのことを聞いたあなたは、A君に何て声をかけてあげますか?(ここまで)
コーチとしてはアウトの数、どういうチームなのか、A君が打った回に点数が入って勝ったのかそれとも以降の回で他の選手が打って勝ったのか前提条件にツッコミどころはあるが(質問したらそこまでは考えてない笑と返された)、とりあえずこの問題に取り掛かってみる。
こういう問題に関しては既にRyotaコーチが多く触れていて自分の答えも二番煎じになってしまうため、是非ご覧になってほしい(↓関連記事)。
さて、早速結論だが、
A君が今どう思ってるか、これからどうしたいか聞いた上でその後の行動をA君自身に決断させる。
というのが自分の答えだ。
まず、大切なのは、
A君の人生はA君でしか決められないことである。親やコーチはA君の意思決定プロセスの参考にはなるかもしれないが、最後の決断はA君にしかできない。
そもそもなぜA君は野球をしているのであろう?推測の域を出ないが、楽しいから続けているのがほとんどではないか。中には野球を無理矢理やっているのかもしれないが、そうだった場合には時間の無駄だから速攻で辞めてもいい。
特に幸福感を得やすいものは、勝利である。負けて嬉しくなる人はほとんどいない。勝つために練習する過程の中で専門知識を持ったコーチの指導が入る。小学生より経験が豊富なコーチは自分の経験、勉強してきた知識で選手にアドバイスをする。それは一見普通の光景だし、自分もしているが、
コーチの指導は勝利を達成するための手段でしかない。もっと言えばそのコーチは嘘を言っているかもしれない。
ここで同じグループで出た意見を紹介する。
「小学校2年生だから勝つことより成長という観点で人の話を聞くことも重要ではないか」
確かに、小2の段階では人の話を聞ける子は少ないかもしれないし人生においては野球よりもそちらのほうが重要かもしれない。
しかし、繰り返しになるが全てのスポーツは勝利が目的であり、全ての行動は勝利から逆算された行動が必要となる。行動の中にはサインや戦術、監督からの指示が当てはまるが、それらは全て勝利という目的を手に入れるための手段でしかない。加えて、勝利を目指す行動を取る中で他者と協力せざるを得なくなり、他者との協調性などの人生に必要なものが磨かれるのではないか。
人の話を聞くことが野球をすることの目的ではない。もし目的が人の話を聞くことなら家庭内で教育すれば野球と比べて費用はかからないはずだ。
念の為記しておくが、その監督が理不尽指導(普段から俺の言うことだけを聞けや練習中は水を飲むなという指導)をしていれば別の場所を一刻も早く見つけるであろう(問題文からその可能性は高いが)。
まとめ
・子どもの人生は子どもの人生。今の気持ちやこれからどうしたいか聞いた上で最終的な決断は本人に任せる。それを見守る。
・全てのスポーツは勝利が目的。目的を達成するための行動を取っていく中で人生に必要なものを身につける。
・監督やコーチは勝利という目的を達成するための手段でしかない。手段の目的化に注意。
現状まだ子どもを持っておらず、親の心情を理解できていないところもあるが、もし自分に子どもができてスポーツをやるならこういう態度を取っていきたい。+来週ちゃんと発表したい。
追記
2回目のディスカッション+グループごとの発表があった。
意外にも子どもに決断させるという考えは自分のグループで共感を得た。グループのメンバーがサッカーと個人競技をやっていたからか「個人の判断」という点で合致できたのかもしれない。
実は先生の息子さんが所属するスポーツクラブで保護者向けに「ルールや法律はちゃんと守りましょうね」という内容を伝えるための問題だったらしい。
先生はサッカー経験があり、「お前が判断したならそれでいいんじゃない?」と仰っていた。ヨーロッパ発祥のラグビーやサッカーはフィールド上の選手の判断に委ねられることが多く(ラグビーは監督がスタンドにいるし、サッカーは広大なフィールドで中々指示が通りづらい)、反対に野球などのアメリカ系のスポーツは作戦や一人一人の役割がしっかりしていて規律が重視されるのではないかと推測していた。
さらに、日本の文化にも注目し、当たり前に校則があり破ったら罰がある日本の教育
と海外では違うのではないかということも言及されていた。
個人的には、この問題は本来の趣旨である「ルールや法律をちゃんと守りましょう」ということを伝えるには不適当だったと感じる。スポーツマンシップやフェアプレイ精神といったものは曖昧で個人差が生じてしまう。
法律やルールの大切さを伝えるなら学校で行われる麻薬防止プログラム(ダメ、ゼッタイ)や犯罪を犯すと懲役〜年あって、その間友達と会えないといった映像を見せた方が良かったのではないか。