山崎ゼミ卒業制作について (上映篇)
2024年度山崎ゼミは4年22名が所属。映像学科での学びの総決算として卒業制作に挑んでまいりました。その成果を武蔵野美術大学卒業制作展にて公開いたします。是非ご高覧ください。
https://www.musabi.ac.jp/topics/20241210_03_02/
日程
2025年1月16日(木)~2025年1月19日(日)
9:00-17:00(最終入場16:00)
場所
鷹の台キャンパス
アクセス
https://www.musabi.ac.jp/access/
今回は展示講評前の合間を縫ってこちらを執筆しています。
上映の講評は一通り終わりましたので、まずは上映作品の紹介をできればと思います。
今年の山崎ゼミでは上映作品と展示作品が同数でした。ジャンルとしては、実写、映画、実写CGアニメーション、ドキュメンタリー、実験映像、イメージフェノメナン、MVと幅広いラインナップです。
以下、紹介文にかえて!
小さな虚構
映画という形式には、虚構としての様式がある。ここでいう虚構とは現実とは別次元という意味だ。映画がはじまれば、その虚構に観客をいかに没入させるかという仕掛けを監督は企む。
『Zzz... 』(監督:クレ ジンジュ)では冒頭に過剰に装飾されたゼリーを過剰に食べ続けるシーンから始まる。そこにゴキブリのコスチューム(キュートな)をまとった登場人物との対話挿入される。それはまさに虚構らしい虚構だ。そして、その周りにそっとプリンという“小さな虚構”が添えられる。
『なるだけ早く会いに行くから』(監督:田﨑 涼夏)は吸血鬼という現実離れした存在が、さも当然のように旅にでかける。そこでの会話はどこか違和感もありながら、淡々と風景が流れていく。その道程とは別に、喫茶店で繰り広げられる小説家と編集者のやりとりの中に、“小さな虚構”が顔をのぞかせる。小説家の悪ふざけのようにも、悪ふざけに隠された真実にも感じられる。
二度目の記憶、一度目の記録
映像の作り方には、本来王道はない。2時間あれば2時間の映像が獲得できる。しかし、その2時間は単なる記録で、その記録を作品にすることは容易なことではない。
『アナログ。』(監督: 清水亮輔)はその単なる映像の記録を特別なものにしようと試みた。ある他者の過去の記録を元に、作品化を試みたのだ。ある日偶然、フィルムと映写機を道端で発見する。そのフィルムには、外国の地名とそれに付随するメモ書きが残されている。もちろん、他の誰かが残した記録だ。その取るに足らない記録(ように思われる)を、作品にするために採った手段とは。
GHOST COWGIRL (監督:上田 芽生)では、特別だけれでも、ありふれた日常の記憶を元に、映画を構想した。それは再現ともまた違う在り方で、ある記憶を記録し、その記録をそのまま作品として再構築する。二度目の記憶を、記録することによって作品かを試みた。ちなみに作者自身が当事者として出演する。
記録を超えて
今年はいくつかのドキュメンタリーが誕生した。ドキュメンタリー的な映画といってもいいし、記録映画といってもいい。とにかく映像と現実が同一次元に置かれる作品が生まれた。
『33.6』 (監督:川島 佑喜)は武蔵野美術大学をとりまくアクチュアルな事柄を取り扱った。山崎自身も対象となった。それは大学教員としての立場と、指導教員としての姿勢が相反するという初めての体験だった。その難しい山崎の立場を、川島監督はいかにケアしながら、作品に織り込んだのか。対象者として敬意と映像的教養を十分に感じられた。もちろん主題はそこではない(と思います!)のだけれど。
『A Documentary of Siberian Love-Sickness』(監督:有吉 優真)では、作者が所属するバンドを対象とした。作者はバンド内でボーカルとしてフロントに立っている。その彼女がバンドを記録した。それはいわゆるセルフドキュメンタリーとも違い、ステージ上の作者と、記録者としての作者を行き来することにって、単なる記録を超える可能性が感じられた。
ビデオの自律性
MVという膨大なフィールドがある。以前はPVと呼ばれもしていた。楽曲の世界観を補強したり、拡張させたり、ときには圧縮するような形で、発展してきた。映像を主とする映像学科において、MV(ミュージックビデオ)のビデオの自律性が問われてしまう。ゆえに映像学科ではアゲインストなのだ。
『寝坊主, One Boiling Point - Undertake (Music Video) 』(監督:竹内 壮太)は自身の楽曲のMVを作成した。もちろん、出演もする。極めてストレートなMVでありながら、これまでの映像学科ではアゲインストだったMVにおける、ビデオの自律性へ一定のアンサーを返したように感じられた。楽曲の細部から、映像の1フレーム単位まで自身の手で全うできる作品には構造上の隙は一切ない。
『mozu - A Tale (Official Music Video) 』(監督:宮川 玄)はMVを正面から取り組んだ。アーティストの楽曲の世界観をMVディレクターとして映像化を試みている。楽曲の世界観を単純に映像化するのではなく、拡張するために、鬼や剣道や釣りなどのモチーフを取合わせつつ見事に調和させている。ちなみにアーティスト本人が出演しないMVほど難しいMVはない。(と思う)
ジャンルが見当たらない
かつて実験映像といういうようなジャンルがあった。それはジャンルと呼ばせることを拒み続けるようなある種の気概があった。専門化されて、横断的であることが難しかった時代において、ある一定の存在価値が実験映像にはあったのかもしれない。
『motion』 (監督:山本 裕大)はいわゆる360度カメラを用いて作品化を試みた。東京の一つのシンボルともいえる首都高速を360度カメラでとらえ、知っているけれど見たことがないという視点そのものが作品になることを思い出させてくれる。物語の伝達だけが映像の役割ではないはずだ。
『タイチ』(監督:高木 万瑠)は自身の作品を“実写CGアニメーション”と位置付けた。作者は、すでにこれまでのキャリアとこれからのキャリアを邁進しながら、真摯に卒業制作という場に挑んだ。”常同行動”というテーマから、さまざまなモチーフを作品に取り込み、コンセプトが前景化しがちな卒業制作において、観客を選ばない、そしてあらゆる観客を納得させるクオリティと独自性を実現した。
『ASTRO』 (監督:佐藤 龍河)は映像学科の上映作品において、どのジャンルにも属することを拒むような作品だ。それをある人は実験映像と呼ぶかもしれない。しかし、かつての実験映像すらも超越する圧倒的な作業量と熱量で1時間という時間を組成した。この映像のジャンルが見当たらない。
(山崎連基)
展示篇はこちら!