2024/10/14-15に都市表現の最終講評が行われました。
講評にはご指導いただいています橋本直明先生、野村叔子先生に加え
映像空間領域から、篠原規行先生と私(山崎)が参加しました。
実は私は都市表現の講評に参加するのは初めて。
授業スケジュール的に、実現しなかったこともあり、新カリキュラム移行により参加できることに。
今回は野村先生に成果作品の一部とその解説をご執筆いただきました。(野村先生ありがとうございます!)
ちなみに野村先生は活動の一部を垣間見れます〜!
成果作品 1
『色うつり』
映画をつくるとき、「当て書き」とよばれるアプローチがあります。ある特定の役者さんを想定しながら脚本を執筆するのです。例えばその「当て書き」を都市を当てはめることは可能か?あるいは偶然撮影した素材から映画をつくることは可能か?都市を対象に表現をするとは、作り手に新しい視座をもたらしてくれるかもしれません。
成果作品 2
『イメージ図(月島、築地、勝鬨)』
手法開発。都市を散策し、カメラを回しながら重ねる思考は、机上では生み出されない着想を得られます。地図という形式に、記録という情報を委ねる。都市表現という授業は映像制作者の、手法開発の場にもなっているようです。
成果作品 3
『flakes』
都市表現の成果作品に、3DCGでの制作がありました。
この成果作品の特異点はは、まるで「都市をスケッチ」するかのように、3DCGによってイメージを定着させる点でしょうか。
成果作品 4
『レム睡眠』
写真と動画。写真について考えるときに、動画を利用したり、また逆もしかり。動画と写真の関係は、その歴史的な発展から離れて、我々制作者によって対等な手段となりました。映像学科が内包する写真領域と実写領域を横断する交差点の一つが、都市表現なのかもしれません。
成果作品 5
『たてのみえかた』
ホックニーが示したコラージュによる映像フレームの拡張も、VRによる360度撮影が可能になることで、その価値は「何を撮るか」に収斂しつつあります。しかし、映像には「何を撮るか?」ではなく「どう撮るか?」が制作者に問われている(と思うのでした)そして、「どう編集するか?」。まだまだ芳醇な表現の余白を感じます。
成果作品 6
『休憩時間』
映像には偶然性がつきもの。偶然、「写ってしまう」ことを時に排除したり、取り込んだり、受け入れたり。作家としての姿勢が問われます。私は偶然性が美的な価値観を獲得するには条件があると考えます。その条件は「フレーム」があること。たとえば放送事故が面白さを獲得するには、事故がおきないように徹底した計画があるから(だと思うのでした)
今回は以上となります。のちに授業アンケート結果についても紹介予定です。それから、他の先生の総評も掲載できるかもしれません。
(山崎連基)