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人を通して知る価値観について
なつめは、弟のパートナーでなかったら、まず出逢わないであろう人だなぁと感じるけれど、そこはホロスコープを重ねてみれば、別のものが浮かび上がってくる不思議です。
現象をみれば、十分に縁があるからこそ、今この話もしているわけで。
それにしても、かなりその価値観が違うので驚く日々なのです。年齢も8歳離れているっていうのも、あるわー。これは大きい。そして、わたし自身もわりと紆余曲折で生きてきたので、自分の持っている価値観はちょっと独特だなというのもあるから、これが合う人というのは稀なのだ、というのを自身が理解しなければいけません(真顔)
今朝、先輩と話していた中で、それを気づかされることがあったのだけど
わたしは人と話す時、摩擦が起こらないように、自分の熱量を(意見)下げる癖がついているので、本音をこねくり回してしまうところがあります。で、あとでややこしくなるのだけど。
そんな中、結婚するということについて(何だか最近この話題が多いのだけど)わたし自身が価値を置いていることが、どうやらなつめや先輩にはとても重厚なもののようなのである。価値というか、理想像なのかな。
自分では、普通に思っていることなのだけど、それは必ずしも他者にとっては普通ではなく、他者(この場合は、なつめや先輩のこと)の普通はわたしにとってはないもの、なわけで。
ちょっと改めて、自分の価値観を大切にしようーと感じました。先に述べた
摩擦を起こさないこと、にも繋がるのだけどそういうのはもうやめないとと感じています。摩擦というより、違いを認め合うが本当はしたいのだもの。共感があるなら、それはとてもうれしいものにもなるし。
わたしの結婚の価値観の一つに、いや、これ結婚だけに限らず生きているうえでなのだけど、パートナーならばなおさら、しっかりとサポートすることに重きをおいていて。その人を支えようとしているか?がすごく大切なのです。~よう、というのは~ているという形あるものではなかったり、これでいいという明確なものはないからで、でも、すごく大切に想っていることなのだけど、支えよう!という強さは、人によっては重かったり(感情的に)力が入りすぎていると感じるらしい。
その他大勢ではなく、パートナーというものについての認識の違いなのだーと単純に思た(笑)けど、いい気づきを得たなと思います。
支えるべきっっっっ!!!というわけではなく、純粋に支えたいと思ったり、守りたいと感じるのは、わたしの蟹座質からなのだと感じます。
以前は、蟹の母性とか保護とか、何?って思っていたのだけど、どうやらその域まで来ているようだ。優劣ではないけれど、なつめも先輩もどちらかと言うと受け身なタイプの人たちなので、そこで支えることの喜びを感じるわたしとは、当然違いがあるわけです。もちろん、支え合う、が理想だけどね。熱量を惜しみなく出し合える人に、わたしも逢ってみたくなったのだなぁと思います。
順調に、うんうんうん、です。