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木を見て森を見ず、的な

自分の内側にアクセスすることは、小さな頃からの習慣で、食う寝る遊ぶと同等だ。

わたしは、他者の感情をものすごく受け(というより取り込む)のを無意識にし続けていたので、”自分”というものがいつもなかったように感じている。

誰かのため、多くは家族のためという思いがとても強くて、それを使命感としていたことがあって、でも、ためといいながら、うまく人の感情を引きこんで生きやすい環境を作っていたのだけど。それは、健全なことではないけれど、そうやって生きる環境を作っていると、もれなく崩壊するものです。

宇宙から、もうそれあかんよってスイッチを押されたのは、いつ頃だったかな?と思って、過去検証のために星を詠むこともあります。これが不思議なほどリンクしているのだよね(当たり前だけど)

なるほどなーって思うことばかりでした。とは言え、そう考えると使いかたはいろいろだけど、星を使っているのだなと。使い方は、本当にいろいろなのです。

わたしは、わりと物事にこだわりを持つタイプです。よく言えば、集中力と深い洞察力を持ち、また見かたを変えると、執着ご執心な人でもあります。エネルギーの健全な使い方を、たくさん失敗してみて使いこなせるものだけど、なるべく失敗したくないなというのが人間だけど、それでもたくさんの経験を積んでこそだなと思うと、失敗も失敗ではなくなりますね。命にはかわらないように、というところだけは注意だけど!

自分で経験できないこともたくさんあります。そんな時、それらを経験している人の話を聞かせてもらうのがまた自分の学びとなって、逆にわたしが経験したこともまた、誰かの楽しみだったり、指針になれたりしたら幸せだなぁと想う。

人の感情を吸収してしまうところも、ここ近年はうまくコントロールできるようになり、これが身につくと人の話もその人の経験として、変な憶測をもったり、読みすぎたりすることなく、健全に。そう、健全っていうのがとても大切なのです。

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