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天王星の相違

あぁ、退屈だなぁと、時々気づいてしまう時がある。

そう、いつも気づかないふりをしているのだ。ふわふわゆるやかに、というよりは、心の奥底に熱情を感じていたいので、人によってはそれはとても個性的(悪い意味)に映ることがあるらしい。奥底に隠し持っているはずなのに、他者にはダダ漏れなんだ(笑)

それでも、この間、これは重さではなく、持つ人の深みであり魅力なので、他者にそれとは違うと映っても、それはその人の器の違いだから気にしなさんな、という記事を目にして、とても励まされました。人間界で生きるために質量を調整しなくちゃいけないのは、どんなに窮屈なことなのかとだいぶ悩んでいたので、肯定されたその記事にうむっとなりました。

人間界で生きる、というのを意識している人がどれくらいいるか分からないけれど、小さな頃から生きづらさと共存している人というのは、見た目とても人間らしいよね。そうなる努力をしているからー

意識して生きる、という感覚がそれ、なんだと思う。


時々、退屈だなぁと感じる時、いつも思い出す言葉があります。

【おもしろき こともなき世を おもしろく】 高杉晋作殿の言葉だ。

といっても、わたしは彼がどんな人物だったのか?その歴史を知らず、某乙女ゲームのキャラクターとしてそれを知ったのだけど(爆)ちょっと学んでみようかな?幕末を。

退屈だなぁと感じることができるには、ある意味とても恵まれているのかも知れません。健康でいること、ごはんが食べられること、やりがいがあり楽しいと思える仕事、職場があること。

でも、たぶんそうじゃないんだ、という、わたしの魂は、それではない何かを求めていて、きっと欲張りなのだろう。この人生が一度きりで、時間も限られていることをきちんと想うようになったのでしょう。もっとずっと前は、一日のほとんどをぐうたらとクウネルしていたのだから。

おもしろいことは、自らが働きかけて改革していくしかないでしょう。

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