熱量を惜しみなく出し合える人

自分の感情の受け取り具合に、時々ヤラレることがあります。何か酷いんだ(笑)けど、そのルーツ、根底にあるものは何なのか?を探すというのが
わたしの人生テーマの一つになっているので、いい課題を持ったものだと、感じています。

それは、突然にやってくるので(ただし自分の内側だけで渦巻く)いつもお話ししていますが、占星術の学びを持っていることで、それによって死を味わうこともなくなり、もしこの学びを持たないままでいたら、本当にしんどかっただろうなぁーと思うのです。

当たる、当たらないのそれ、と占星術(占い)においていつも思うのはこのことなのだけどね。
なので、わたしに星詠みの知識があるということを知っている人からは、時々、”どうすれば幸せになれますか?”と聞かれることがあるのだけど
本当はとても困ります(笑)
そんなの自分で探してね、って思うんだよ。というより、自分でしか見つけられないのです。
それで、探すことがめんどくさかったりするから人に聞いたりするんだろうけど。
いいかい?自分で探そうぜ?って思うよ(真顔)だって、それが楽しいよ!というのを、小出しに伝えていくのがわたしの役目だと感じています。
自分の幸せは、その人にあったツールできっと探せる。それが占いかもしれないし、何か別のものかも知れないけれど、何でもよくて。
大切なのは、その人が、その人自身で知ろうとしたり、探そうとしたり、見つけたりその過程なんだと思います。

それでわたしも幸せは自ら生み出して自分へ贈るもの、というスタンスでいるので
安易に”どうしたら幸せになれますか?”と聞かれても困るのです。でも、困りながらも、何か提案できたらなとは思っているのだけどね。
それにきっと、安易にでもないのだろうし。
一人一人に、いろいろ思うことや悩みがあるのだなと日々感じています。


タイトルから離れてしまったけれど、ちょうど一年前に記事の中にこの言葉があったので、ほほーっと思っていた。

内側を、この一年でだいぶ掘れたなと感じていて、外的な変化もあったし
内面は、最初の記したけれど、感情の受け取りも一年前はもっとずっと酷かったように思います。いちいち酷かった(笑)

まだこどもの頃、自分の扱い方がわからずに、今思えばむやみやたらに本当に悩んだなぁと思い出していたけれど、私の家族や友人はもっと手を焼いていたのだろうな、すみません(爆)と思う。これでも、だいぶ自分のことが扱えるようになってきたので、扱うとは=つまり、自分の声にただただ素直に耳を傾けることで、何か難しくこねくり回したり、脚色することなく、今これがしたい、あれがしたい、めちゃめちゃ怒っている、小躍りしてしまいたいほどうれしいとか、それらを聴いてみることだ。

ちなみに、今わたしはジューシーなネギタン塩を白米にバウンドしたい、とか

そんなことを思っている(何という幸せwww)シンプルとかピュアとか、ずいぶん遠くのところにあったのを、取りに来た感覚です。本当は、すぐそこにあったのにね。



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