やがて必ずと知ってはいても
遠く離れて住む叔父の訃報が届きました。一人暮らしをしていたため、いつかこんなことにならなければいいな、と
その心配がそのままになり、切ない気持ちでいっぱいになりながらも
安らかを想い、祈ることにしました。
こういう話をすると、気づかされるのが自分がいかに共感の水属性か、なのだけど
これは否定せず、自分の能力と認めようと思うことにしました(真顔)
以前は、何となく隠していたり、共感が得られないだろうからと、ちょっとエネルギーを落として話したりとかしていたのだけど
もう、認めようか、と。それから、共感を得られる得られないというところに固執して、伝えられなかったり閉じてしまうのはよくないなーと
その前に、話してもいい相手か否かは見極めよう(笑)とかね。
ここが、わたしの8ハウスだなぁーと感じるような、叔父の死はそれを押してくれたようです。
昨日はちょうど、日蝕をともなう新月の日で、何かがそのメッセージを届けてくれたように感じます。
これから、半年かけてまた自分を観察しようかな、とかね。
その死を通して、周囲の気持ちを吸い取るような時間になったり(この気持ちの正誤はわからないけれど)吸いじゃなく、汲み取るか?
どうも吸ってしまうようなのでね・・・・・・
まさか、という知らせをうけた日となりました。
すでに親族によって、納骨も済ませた後の知らせとなったけど(諸事情に)おかんとお別れしてから、そんなに時間経たずのうちに、こんなことがありました。
わたしたち家族の内情をいちばん気にかけ、力を分けてくれたのが叔父だったので、何だかいろんな意味で家族のあれこれが終わったのだなぁと
もう少し、そんな気持ちで過ごしそうです。