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触れる

しばらくおかんに会っていない。介護施設の面会が、コロナウイルスの影響でできなくなっているからなのだけど、今年はまだ一度も面会しておらず、こんなに会っていないのは、生まれてはじめてのことだなぁと

ぼんやりしていた。それで、ふと思い出したのが、まだ一緒に暮らしていた頃に、すでに病の進行で、身体はだいぶ動かなくなっていた冬の寒い日に

おかんの手が冷たかったので(血行も悪くなってる)、手にはああああって、息を吹きかけながらさすさすすると、小さな女の子のように、うふふっと笑って喜んでいたのを思い出していた。

こんなことで、喜んでくれるのかと不思議な気持ちだったけど、わたしもうふふっとしたのだった。何てことないことの大切さというのか、そういうのを教えてくれるようなね。

それで、わたしの根源はきっとそれなんだろうなぁと、またぼんやり想っていた。

コロナの影響で、ソーシャルディスタンスが取り入れられるようになり、接触、という概念がちょっと変わりましたが、考えることもいろいろ。というわたしはじつは人に触れられるのがとても苦手。自分から、触れるのは何ともないのだけどね(なんならハグ魔www)それは、幼少期の頃の傷からきているのか。でも、それもちょっとずつ自然になってきて、きっとその傷が少しずつ癒えてきているのかも知れないと。

ハグ魔なのは、エネルギーの交換に近いような気がしています。触れることで感じ取れる何か、みたいな。誰彼構わずというわけではないけど(笑)あぁ、きっとその交換で、わたしも誰かに癒されているのだなと思います。

おかんには、まだしばらく会えそうにないけれど元気にしているようだし、施設の人たちと温かい時間を過ごしているようで、とても安心している。

人の想いや、エネルギーの温かいほうを信じていたい。そしてそれを、纏っていたい。



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