ただ彷徨うそれは

海王星が見せるそれなのか、最近、嫌なことを思い出すようになる。
とはいえ、相変わらず不幸癖が抜けなかったり、わざとそこへ誘っていくのは、自分自身なのだけど。
この不幸癖というのは、自分の根性を底上げするための力(爆)だったりもするので、厄介なのだけど、そんなことはもうやめようぜと思う。

嫌なことというのは、こどもの頃にうけた暴力のことで、躾を超えた理解し難いものを体験したことを、今頃になってまた思い出すのだ。
そしてその体験が、自分に大きな傷となってずっと在ることと、どうしようもないことに途方にくれていた。

占星術の勉強をしていると、この人生はすべて自分があらかじめ設定してきたものなんだよ、と言われているのだけど
それにしたって、えーって思うこともあるんだ。それでも、納得してしまうというか、たしかにこれまで経験したことがすべて、本当にどのことも自分の糧になっているのだから、認めざるを得ない・・・というのかな。

暴力を受けたことによって、というのは設定していないと思いたいが(笑)理不尽な、全く理解できないことから何かを探すというのは、わたしの魂のテーマの一つにはなっていると思う。

記憶をなくすほどひっぱたかれる経験をしたことがある人は、ほとんどいないだろうと願いたいけれど(あってはならない)
これはなぜなのか、わたしは自分が気を失うまで何発ひっぱたれるか?というのをカウントしながら受けていた。
この精神状態は、何といえばいいかわからないけど、とにかく気を失うまでという。それで、そのことはあまり思い出さないように忘れたフリをしていたのに、最近、やたらと思い出すようになってしまい、理解し難いことがたくさんあったこどもの頃を思い出していた。
思い出したのか、引っ張り出したのか、出されたのか?とにかくそんな中に
いた。

たしか、30発ひっぱたかれたところまでは思い出していて、その後静かに気を失っていくのをどこかで見ている、感じているわたし(という名の意識)がいたのを覚えている。
回数も、どこまで耐えられるかというよりは、どれくらいひっぱたかれたら
相手の気は済むのだろうか?と一発一発数えながら思っていた。
それが、痛いとか恐怖というよりは様々な感覚、感情の間でわたしは生きている、ということを実感することでもあったように感じている。

そして残ったものは、人から触れられることへの恐怖だ。というのに、つい最近気づいた。
そして、この傷がわたしの感情に深い損傷を与えている、いたことに
もう30年以上も経って知らされるのだから、えーーーとなっている(笑)

語れたり、笑となるとは、ある程度理解して超えたからなのだと思う。

わたしの魂は、このできごとを通して何を感じ学んだろうか?と
考えた時、
”あなた(わたし)は、どんなことをも超える人”という力を持っている”と。

そ、そんな・・・えーーーーー(クレーム的)と思うのだけど
たしかにそうだな、というところに落ち着く。
そして、どんな傷を受けようとも、人はそれを、容易くはないけれど
必ず超えられるということを体現する人、なんだなと思う。

クレームをつけたい相手は、もうこの世にはいないので、今更もうしょうがないのだけど、それでも傷の癒し方はいろいろに、見つかるものです。
それを、見つけたい場合に限りかも知れないけれど。

わたしの年齢くらいの人は、ホロスコープのネイタル、キロンがもうしばらくすると還ってくる頃です。キロンは魂的傷とも言われているし、その癒し手でもある。
わたしは、ネイタルのキロンの位置でプログレスの新月を迎えたので(2017年に)そこから30年は、この傷をいよいよ癒す旅をしているのだと
最近強く感じています。いいね、楽しみだね!と思っているし、その機会を与えられていることに感謝している。
傷を、持たないことに越したことはないけれど、この魂をさらに磨くためには、過去のそれがきっと必要なことだったのでしょう。
気づけないままだったら、ずっと苦しいままだっただろうけど、気づいたら
そこからはもう、ぐーーーーーんっとしちゃうんだからね。

海王星の逆行が、そんなことを想わせてくれました。

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