器をつくる時間だとして
7月に、新しく事務所メンバーをお迎えして、わたしたちはそれぞれ10ずつ
年齢が離れている。
ちなみにわたしは、2番目で新人くんとは20歳も歳の差!なのである。
会社とは、そういうもので、様々な性別、年齢、価値観その他、縁あって出逢う人たち。
誰かとの出逢いが、わたしに影響を与え、わたし自身もまた、誰かに多少なりともそんな影響を与えているのだろう。
新人くんの入社は、急遽決まり、そして決まる時はトントン拍子に、というのを見ていてとても感じました。
同じように、各営業所もシン担当者を募集していて、何人もの面接があってもなかなか決まらずと聞いていた中、新人くんはあっという間に決まり。
照らし合わせているわけではないけれど、この新人くんの登場は、ここ2年くらいのわたしの職場でのもやっとを一掃してくれるものとなり、何かの采配としか思えない(真顔)とかね。
もしも、彼の登場がなかったら、または別の誰かだったら、または担当者を募集するタイミングがまだ先だったら(当初、秋以降の予定だった)の
今ここのタイミングでした。
新人くんの仕事ぶりは、わたしの美しスコープを(あえて)はずしてみても
物事に自ら積極的に取り組み、素直な人は皆にかわいがられるという姿を見せてくれます。
(なので、各所の担当者たちもどんなメンバーなのか興味あり)
わたしは、もうずいぶんベテランになってしまったので、入社した頃の初々しさは遠い時間となってしまったけど、あの頃の自分はどんな風に仕事やこの環境に向かっていたかなーなんて思い出す時間をもらいました。
きっと、初々しかったのだ(笑)そして、きっと素直だった・・・はず?
そんな新人くんを通して、じつはある気づきがありました。
ボスや後輩くんへの、もやっとが何にもやっとしていたのか明確となり
そこには、自分の被害妄想的な部分も含まれていたことを知り、彼らは誰に対しても、だいたいそういう態度で接していてそれがまったく通常運転であり
わたしは、常に人への配慮とかそういうことを重んじているので、彼らに( ,,`・ω・´)ンンン? と思うことがあったり、雑に扱われていると感じることがあったりしたのだけど、配慮の足りなさや気づけないっていうのは、わたしとはまた別の”体質・性質”で、これはどうしようもないことで、そもそもわたしが気にやむことでもないのだな、と開き直ることができました。
よく、自分の中にわたしならこんなことはしない、とか思うけど
このわたしなら、というのがポイントで、そう彼らは”わたし”ではないのです。
なので、そこに腹を立てる必要もなかったり、元々そのレベルにいなかったり、違うということを知らなくてはいけないし、人は誰でも自分の(この場合はわたしなら、というものさし)基準でこの世界を見ていて、人の数だけ世界が存在しているような?ね。
雑に扱われているように感じる、というのも強ち間違ってはいない部分もあるけれど、そもそも人をそんな風に扱えるものか、というわたしでいようと思えました。それから、そもそも次元が違うものにわざと自分が合わせたりしないことーというのも大切で。
それでも、わたしならこんなことはーというのを、自分の中に大切に育てつづけて自分の魅力に変えていこうなんて思えました。
ちなみに、ボスの後輩くんへの扱いもけっこう雑多な感じに気づいて
あぁ、この人はこういう人なんだなぁーと思えたし、後輩くんの何だか鼻につく雰囲気というか、もの言いも、わたしの好みとか(爆)ただ感じすぎているだけで、大したもんじゃないかも知れないなと思ったりして
距離をとっておけばいいか、と感じるようになりました。
少し前のわたしだったら、鼻につくーに反撃してやるwwwとか思っていたのでね。
と、他者のことばかり言っているけど、わたしの持つ価値観が他者からしたらまた、それはどうなの?とか、私自身もまたけっこう気取ったりしてるから(笑) そういう自分を気づかせてもらったようにも思います。
もやっとする私に出逢えたこともまた、成長ステップには必要なことで、悩み?というのは、大小、何かしらこうして出てきたりするんだろうねぇ。
とはいえ、彼らの何かが変わったわけではなく、自分だけが変化していけばいいのです。
何かのめぐり逢わせで、一緒に仕事をすることになった新人くんの登場が
ここを気づかせてくれたことに、彼はもちろん気づくはずもなく
自分を新しい環境に挑戦させているのだよね。
わたしは、静かに見守っているところです。何年かして、今日のお礼を言う日が来るかも。
そういえば、先日、”2018年の今頃の”とInstagramを読み返していたのです(備忘録なので)が
あの頃、すごい激おこぷんぷん丸していて、火星エネルギーが暴走していた頃でした。2018年のを読み返してみてーって声がしたのよ(笑)
たしか当時のボス(もう退職してしまったけど)にも、いろいろ言われることがあって、当時は両親の介護が絶賛格闘中の頃もあったり、怒りの向け方とかコントロールが不能になっていて、再会した友人にも、プンプン丸ぶりをぶつけて帰ってくるという、思春期の中学生男子みたいなわたしだったのを
思い出していました(ごめんにゃ)
プンプンプンにならないわけがない時期だったのでね。
よくあそこを越えたじゃないかーと思うのです。
だいたい人が怒りに満ちている時は、ネイタル・トランジット共に火星や天王星を詠んでそこからヒントを得ます。
そう、ヒントを詠み解くことが占星術の醍醐味で、そこから自分をどうクリエイトしていくか、行動を重ねて、また壁にぶつかってはひねくれて、はっ!と気づいて、再構築していく。自分の中で、それをひたすらやっていくのです。
そう考えると、プンプンも起爆剤として成長していく糧とするならムダにはならないと思うのよね。
火星期→木星期の移行を益々させる時。