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主体性と自主性の認知度

 最近、気になった言葉。
上記にあげた言葉の違いとは?
どちらも、自ら積極的に…というイメージ?

 スポ少の保護者代表やコーチは子どもたちが自主的にする活動なので、シャトル拾いとか手を出さないように…と言った。それでも子どもたちが拾わない時は「シャトル、拾って」とか、「シャトル揃えて」とか「投げる人に渡して」とか指示が飛ぶ。

 それでやるようになるかといえば…?である。

 私は、シャトル拾いはまずは子どもたちと一緒にやることにしている。拾いながら子どもたちとコミュニケーションを取る。
「◯◯ちゃん、いっぱい拾ってくれたなぁ。」
「◯◯くん、遠いところに飛んだん拾いにいってくれたんや!」
「◯◯くん、そこのお願い!拾って〜。」
そんな声かけをすることで、お互いの信頼関係を築こうと思っている。

 しかし、これは理解されない。
理解されるどころか、甘やかしていると言われる。😅

ある日の一場面。
 小学一年生の男の子が2人。まだまだ初心者なのでハーフネット(簡易のネットでコート外に設置)で基礎練習していた。
 30個くらいシャトルがあっただろうか。10個打っては交代をしていた。
 シャトルを拾う子と私が何個拾うか競争!みたいにやっていた。これはノリノリでやってくれた。
 次に声かけしたのは、「打ちたい数を自分で決めて投げてくれる人に渡そう」

 そうすると、自分が打ちたい数を自分で決めて拾って投げる人に渡し始めた。
 2人ともいっぱい打ちたいから、床に残るシャトルは一つもなかった。
 投げてくれる人が「こんなにいっぱい持てないよ。」
 というと、「じゃあ、◯◯君のお母さん横で持っててなくなったら、投げる人に渡して」と、サポートする人まで2人が決めた。

同じ練習なのにその中に自分たちが考えて決めたことが入っただけで、顔つきが変わった。楽しそうだった。満足そうだった。

基礎練習は、覚える必要のあることももちろんある。でも、自分たちで決められることというのは子どもたちに任せてもいいのではないかと思う。

 上記の球数の他にも、どういうのが打ちたいか?
 シャトルを大きく飛ばす、床に打ちつける、まっすぐ飛ばす、右方向へ飛ばす左方向へ飛ばす。
 自分で決めることで自分で考え工夫しようと思うのではないか?と考える。その中で、伝えたいこたがあれば少しだけ伝えればいいのではないか。

 初心者でネットの練習をした時、まだヘヤピンネットが何かも分からない子にその子と会話しながらやっていた時の話。

 「このネットを越えたちょうど下にポトンと落とすには、ラケットの面をどうしたらいいと思う?」
  その子はあれこれ、いろいろ考えて何度も試してみている。

 「試行錯誤」

 そういう時間って、大事なんじゃないかと思う。そんな時間が主体性が育つ時なんじゃないかな。

 ヘヤピンネットをするのはこのフォームで打つ!みたいに手を持って型として教え込むやり方もあり?なのかもしれないけど…

 自分で気づいて自分で実践したことの方が覚えるのではないかと思う。

 まずは主体性を育てることが大事ではないだろうか。

 自主性も大切だけど、その自主性に「注意されたくないから動く」だったり「やることだからやっている」というのが隠れていたりしないだろうか?

 ここのところ「主体性を育てる」ということが教育の場はもちろんのこと、社会でもよく耳にする。

 コーチングにしてもそうである。

しかしながら、それがまだまだ認知されていないのが現状である。

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