卒業式
卒業式のシーズンだ。
今年は新型コロナウイルスのこともあり、例年通りの卒業式は行われないところが多いようだ。ご多分に漏れず、地域の中学校も保護者の列席はなく、卒業生と先生だけの卒業式になるという。
私には忘れられない卒業式がある。
真ん中の息子の高校の時の卒業式だ。
真ん中の息子は、高校の卒業式をでていない。…というか、高校3年生の3学期はほぼ行ってない。
行ってない、…というか行けなくなったという方がしっくりくる。
3学期のある朝、二階から「おかあさん!」と息子の呼ぶ声が聞こえた。
急いで行ってみると、ベッドに座ってポロポロと涙をこぼす彼の姿。
「学校に行かなきゃと思うんだけど、足が動かない」と言う。
制服に着替えでベッドに座ったまま立つこともしない。
どこが悪いわけでもないのだが…
とりあえず、学校に電話して担任の先生に話をして休むことにした。
そこから彼は、ベッドからも起きられなくなった。
何故、そうなったのかは長くなるのでまた次回書くことにする。
担任の先生は女性の、年齢は定年近いくらいの方だった。快く、「ゆっくり休ませてあげてください」といっていただいた。
彼は、何日も眠り続けた。
その後もベッドから起き上がることもなく過ごした。三食はベッドまで運んだ。
出席日数は足りているので、ということでその後、学校へ行くことはなかった。
担任の先生が、卒業式だけでもこれない?と電話やメールをくださって、彼も先生にはお世話になったので卒業式だけは出ようと思っていたみたいだ。
…が、しかし…
卒業式の前日から彼はインフルエンザに罹ってしまって、結局卒業式は欠席。
後日、彼と私で学校へ行き、卒業証書を受け取りに行った。
職員室で、単に卒業証書を渡されただけ。
そっか、こんな扱いか…と、思ってしまった。
養護教諭の方にはお世話になったので挨拶に行った。
部活の顧問に挨拶は行かなかった。
担任の先生は授業中で会えなかった。
息子はメールで挨拶したようだ。
こんなことは今までになかった。
悲しいとか寂しいとかいう気持ちより、高校に別れを言えたことで気持ちは軽くなった。
校舎から出て車までの間、息子と私は笑顔だった。
この柵からやっと解放されるという、そんな感じ。
ここに嫌な感情は置いて行こう。そう思った。
(そうはならなかったけど…)
息子は今でも言う。
「あの時、インフルエンザになって卒業式にでられなくて、よかった。」
卒業式…
それは自分自身が今までの自分自身に卒業することなのかもしれない。
区切りをつけるのは、自分自身だ。
今回のことは残念なことかもしれない。
今までの自分にコンマをつけて、自分自身の新しいスタートラインで自分自身がスタートの号砲を鳴らしてほしい。
今までの自分、お疲れさま。
そしてこれからの自分、
よーいどん!
新しい旅立ち。